土との触れ合い
この3ヶ月、「森の生活」も、「越後奥寂庵だより」も
読んでくださっている方には申し訳ないと思いつつ
更新できなかった。
それは休みになると、ほとんど外にいるために
パソコン離れをしているから。
山梨では朝から日が暮れるまで畑に出ているし
新潟では、やはり朝から日が暮れるまで敷地の草刈りのため刈払機を担いでいる。
ニッカボッカに地下足袋を履き、足首に脚絆を巻き付けて
首には濡れたタオルを巻いてTシャツのなかに入れ
軍手をはめるのが、休日スタイル。
いずれにしても土と触れ合いながら
身体を動かすのは気持ちがいい。
いざ畑を始めてみると知らないことばかり。
地元の農家の方をはじめ、通りすがりの諸先輩方に相談しながらも
試行錯誤の連続だ。
みなさんからは、温かい言葉をかけて頂いているが
内心、「なにをやっているんだろう」と思われていることだろう。
それでも、畑を介して
地元の方々と交流できるのは嬉しい。
無農薬有機栽培で行っているので
この1年は何でも実験だという気持ちでいるが
先日、通りかかった地元の方にこう言われた。
「もう60年以上も農業をしているが、毎年ほやほやの1年生だよ。
昨年うまくいったからといって、今年同じことをしても
うまくいくとは限らない。
なんといってもお天道様次第だからね。
農業は奥が深いんだよ。」
「毎年、実験になるのか」と思うと気が遠くなるけれど
それだけ面白いとも言える。
そのように実験として始めたけれど、
収穫してみると予想以上に採れて、消費するのに大変。
しかも、甘かったり、柔らかいのにしっかりしていたり
香りが強かったりと、本当に美味しくて幸せになる。
この3ヶ月で作った野菜は、以下の通り。
ミニトマト、大玉トマト、きゅうり
長なす、水なす、普通のなす
ピーマン、セニョリータ、バナナピーマン、万願寺、唐辛子
トウモロコシ2種類、長ネギ、シソ、バジル
枝豆、チンゲンサイ、ルッコラ
昨日は、終わった夏野菜を抜いて、完熟堆肥と有機肥料をすき入れ
土を作っていたところには、秋冬野菜の植え込みを始めた。
キャベツ、白菜、レタス
ブロッコリー、スティックセニョール、オレンジカリフラワー
これからも時間が許す限り、いろいろと植えていこう。
投稿者 haruki : 2010年09月02日 12:12
トラクターの威力
昨夜は、3時間半しか眠っていなかったが
朝起きて雨が上がっているのを確認して、実行することにした。
実行するのは、休耕地の開墾作業。
実は1年前、里山にある休耕地を地元の方からお借りしたが
この1年ずっと忙しくて、昨年は結局、刈払いもできなかった。
今年こそは、周囲の畑と田んぼに迷惑がかからないよう
せめて刈払いだけはしようと思っていたし
できるなら少しずつ開墾して、菜園を作りたいという思いもあった。
先週、休耕地の前を通ったときに
雑草がかなり背を伸ばしているのを目の当たりにしたことと
先週購入した越前と土佐の鍬を試したい気持ちもあったので
雨が降らなければ、今日開墾を始めようと決めていた。
休耕地に、鍬、鎌、刈払機、レーキ、シャベルなどを持って行く。
周囲の畑と田んぼの広さに比べると
休耕地は小さく見えていたが
実際に刈払いを始めると、広いこと広いこと。
100坪近くはあると思う。
刈払いが済み、刈った雑草をレーキで集める。
そして、鍬で土を耕していくが
長い間、休耕地になっていたのだろう
敷地一面に、ヨモギの根っこが蔓延っていた。
途方に暮れていると
お隣りの畑で作業をしていた知人が、声をかけてくださる。
「趣味で行うんだから
楽しく農作業をしないとね。
一度にやろうとするのではなく
気長に、毎年少しずつ開墾して
菜園を拡げていけばいいんだから。」
それもそうだな、と思い直して
開墾をしていると、車が停まり声が聞こえた。
声の主は、近くに住む知人だった。
「刈った草を脇にはけてくれれば
トラクターを持ってきて一気にやってやるよ。
トラクターだったら、このくらいの面積なら3分だから。」
10分ほどしたら、大きなトラクターがやってきた。
凄い勢いで土を耕していく。
感動ものだった。
感謝の気持ちを伝えてから
どのようにお礼をすればいいかを聴くと、こう言われた。
「そんなのいいんだよ。ボランティアさ。」
ありがたい。今度、お酒でも持って行こう。
越後奥寂庵にいたときに、好意で除雪作業を
あっという間にしてくれたことを思い出す。
越後は、摩訶不思議な土地で
何か困ったことがあると、必ず村人と出会って解決できたが
山梨もそうなんだ、と実感した。
大地の近くにいると、そのような共時的なことが起きるのかもしれないし
私が行くべき方向に、導いてくれているのかもしれない。
3時間半しか眠っていなくても
身心ともに、活き活きする農作業。
身心が活き活きすることは、自分へのメッセージ。
これからも時間が許す限り、農作業をしよう。
投稿者 haruki : 2010年05月25日 21:49
諏訪大社の御柱祭
昨日、越後奥寂庵から山梨まで戻る途中
長野県のある街に寄る。
なぜなら、その街には、僕のお気に入りのお店があるから。
南部鉄瓶、囲炉裏周りの器具、農具などを扱っている昔からの金物屋さんで
店主が全国を回って良い物だと認めたものや
職人さんに注文して作らせたものしか扱っていない。
今回は、南部鉄瓶を注文していたので、楽しみにしていた。
土佐と越前の職人さんが作った、お勧めの鍬2本と
左利き用の鎌もあったので購入する。
いつもその店に行くと
店主が飲み物と和菓子を用意してくださり
四方山話に花が咲く。
店主は、金物についてはもちろんのこと
文化、芸術、建築についての造形が深い。
それも地元のものから世界的なものまで広範囲だ。
芸術的な建築を行う
有名な建築設計事務所で設計をしていた経歴を持つので
話題は尽きない。
昨日も、居心地が良く3時間もお邪魔をしてしまった。
店主は、今年、諏訪大社の御柱祭の氏子として
一週間毎日祭りに参加したとのこと。
お店に訪れていた他のお客さんに、御柱祭の体験を店主が話していたら
今年は、死者が3名、けが人が数十名出たことに話が及ぶ。
そのことについて店主が言ったことが心に残った。
「亡くなられたのは残念なことですが
彼らは死を覚悟して御柱に乗っています。
6年間準備をして迎える祭りですし
祭りに携わる人にとってみると、あれは最高潮になる瞬間なんですよ。
あれは、イニシエーションであり
山を信仰し、自然と神と自分が一体になる体験ですから
死は、神と一体になることなので、彼らは死を怖れていないんです。
そして、死の瞬間を子どもたちも観ている。
そうやって、生と死を感じることも大事なことだと思います。」
精神性のために死を怖れない文化が
まだ日本に残っているとは、正直思わなかった。
店主に、北陸にある縄文遺跡はもともとウッドサークルで
それは聖なる魂を送る儀式なのではないかと
梅原猛氏が唱えていると話すと、店主はこう言われた。
「私たち人間が行うことは、昔も今もそれほど変わらないと思うんです。
この辺りにも国宝の土器や土偶がありますから
御柱祭の精神も、縄文時代のものが脈々と続いている可能性はありますね。」
僕は人混みが苦手なので、御柱祭を観に行ったことはない。
それでも、その場に居た人から話を聴くだけでも
伝統、祭り、歴史の重みを感じられた。
いつかは、御柱祭を観に行ってみたいと思った。
投稿者 haruki : 2010年05月18日 18:29
雪掻き三昧
越後奥寂庵だよりにも書いたが
先週は、豪雪地帯にある越後奥寂庵で5時間雪掻きをしてきた。
そして今日は、八ヶ岳セラピールーム緋彩で
2時間近く、雪掻きをした。
越後奥寂庵での、凄まじい豪雪を体験していると
緋彩の雪を観て、楽勝だな、と感じる。
越後奥寂庵での雪掻き体験がなかったなら
緋彩での雪掻きは、難儀に感じたことだろう。
人間は、比較によって認識しているのがよく分かる。
以前、北信州の飯山に住む知人がこう言っていた。
「雪が降らない地域に住んでいる人が羨ましい。
だって毎日の雪掻きのために、どれだけの時間が無駄になっていることか。
朝早くに起きて、雪掻きをしてから仕事に行かなくてはならない。
その時間があれば、本も読めるし好きなことができるのに。」
確かに、豪雪地帯だったら、ひと冬の雪掻きに費やす時間は
凄い時間になるだろう。
それを数年単位で換算してみたら、雪掻きの時間と労力がなければ
何かを成し遂げることができると思う。
ただ、マイナスの面だけではなく、プラスの面もあるように思う。
雪掻きをしていると、頭がからっぽになり
今の瞬間に集中する。
身体感覚にも敏感になるし、足腰も鍛えられる。
忍耐強くもなる。
豪雪地帯で生活をされている方には
「なにを甘っちょろいことを言って」と叱責されそうだが
そのような心身への恩恵もあると思う。
越後奥寂庵で感じる、地元の方々の懐の深さと優しさは
豪雪という厳しさのなかで育まれたように感じるのは
果たして思い違いだろうか。
投稿者 haruki : 2010年02月02日 23:04
元旦の誓い
年明けてすぐに、近所の神社まで車を走らす。
真夜中に集落を抜けて、山麓にある神社に向かうが
他に車は見あたらない。
神社に行っても、誰もいなくて真っ暗かもしれないと不安になったが
実際に行ってみると、地元の方々が20人ほど集まっていた。
初詣をして、ふと見上げると
満月だった。
おみくじを引き
ふるまわれた甘酒を嗜む。
良い時間だった。
昨年末、1年間のスケジュール帳と日記を振り返ってみたら
1年間殆ど休まずに馬車馬のように働いてきたことに
あらためて気づく。
気持ちのなかでは
対処できなかったことが多かったと、自分を責めていたが
スケジュール帳を眺め
風邪も引かずに、よくもまあ、ここまで頑張れたものだと、思い直した。
これ以上、働くことは無理だった。
昨年は、このエッセイを書くにも
時間的にも気持ちの上でも余裕がなかった。
今年は、少しでいいから自分にゆとりを与えて
音楽や自然を深く味わったり、自然と対話しながら写真を撮ったりと
魂に滋養を与えようと、元旦に誓った。
投稿者 haruki : 2010年01月05日 23:23
ニセアカシアの花
初夏のような陽気になると
川沿いには一斉に、ニセアカシアの白い花が咲き乱れる。
この花の香りは、とても甘いので
川沿いを運転して、この香りが漂ってくると
誘惑に勝てずに、車を停めて外に出て
鼻先を花に近づけて深呼吸をしてしまう。
そうすると、甘い香りが胸に広がっていく。
一度、天ぷらにして食べたことがあるが
やはり食べるより、この甘い香りの方が好きだ。
以前から気になっているのは、この花の名称である。
なぜ、「ニセ」と付くのだろう。
数年前にアマゾンに行った際
アカシアの木から抽出したオイルを買ったことがあり
同じような甘い香りだった。
アカシアに香りが似ていることから
誰かがニセアカシアと名付けたのだと、勝手に思っている。
東京から中央道を走り、甲府盆地を抜けていくと
南アルプスが正面に迫ってきて、その後に右前方に八ヶ岳が見えてくる。
いつも運転しながら、この景色を見ると嬉しくなってしまう。
しかし、この景色に見慣れていても
八ヶ岳が見える前に、同じような裾野をもつ茅ヶ岳が見えてくるので
一瞬、茅ヶ岳を八ヶ岳と見間違ってしまうことがある。
そのように見間違いをする人が多いのだろう。
茅ヶ岳には「にせやつ」という愛称が付いている。
私たちは、違いによって物事を認識していて
違いがあるからこそ、それぞれを別個のものと認識できる。
その違いを、個性、固有の質といってもいい。
人工的なものは別にしても
自然界にもともと存在するものには
高低、優劣というものはなく、存在するものすべてが平等だと思う。
そのような自然界にもともと存在するものに
「にせ」という名称を付けてしまうのは
暴力的なことではないだろうか。
そのようなスタンスから、すでに自然破壊は始まっている。
私たちは、主観から抜け出せないことから
自分を基準にして物事を捉えるのは仕方のないことだが
だからといって、自分以外の存在を軽んじてはいけないと思う。
それは人間関係でも同じこと。
「にせ」とまでは思わなくても
「自分の方が正しい、優れている」というスタンスで人と関わるなら
どんなに表面的には優しくしても
私たちは、相手に対して暴力を振るうことになる。
それは、本人は無自覚でも、ちょっとした仕草に現れる。
そのような無自覚な暴力によって
どれだけ多くの人が苦しみ、辛い思いをしていることだろう。
私たちは、自分のエゴの働きに意識的になる必要がある。
投稿者 haruki : 2009年05月23日 01:08
素敵なご縁
先日、ネイティブアメリカンの部族出身で
30年間スウェットロッジの儀式を行ない、サンダンサーでもある方とその娘さんを
来日している間、アメリカの友人の紹介ということでお世話をさせて頂いた。
以前、アメリカの友人からは、そのスピリチュアル・リーダーは
お尻まで髪の毛を伸ばしている、と聴いていたので
待ち合わせ場所に、どんな風貌で現れるのか、楽しみにしていた。
実際にお会いしてみると、洋服も地味で、あまりに普通であり
自分を誇示することは一切なかった。
ただ、何か特別なことを話しているわけでもないのに
目が合うと、何故か涙がこみ上げてきそうになる。
それほどハートで生きている人だった。
スウェットロッジやサンダンスのこと、彼の歩んできた道についてなど
貴重な話を聴けたことも嬉しかったが
彼の存在そのものの素晴らしさと一緒に居られたこと
それが何よりのプレゼントだった。
かけがえのないご縁に感謝である。
投稿者 haruki : 2009年04月08日 23:40
田の字型という間取り
長い間、多くの古民家を観てきたが
越後奥寂庵も含め、例外なく「田の字型」の間取りだった。
文字通り「田」の形をした間取りである。
私は、小学校4年生までは社宅住まい
その後は、普通の住宅に住んできたので
田の字型の間取りでの生活は、体験がない。
以前、地元の方と、その方の家の前で立ち話をしていた時
大きくて立派な家であることを褒めるとこう言われた。
「昔ながらの田の字型の家だから」
廊下もない、田の字型での生活を想像すると
部屋と部屋がふすまで仕切られているだけなので
台所や洗面所の行こうとすると、他の部屋を通らなければならない。
プライバシーがない環境である。
悩みを持って相談に来る方の話のなかで
嫌な思い出として、よく聴くことがある。
それは、思春期の頃、親に自分の部屋に無断で入られて掃除をされる体験や
自分宛のはがきや手紙、日記などを親に読まれる体験である。
自分の子どもであっても、親の所有物ではないので
子どもを一人の人間として尊重すべきだと思うし
特に思春期になれば、秘密を持つことは子どもにとって自立への大切な要素となる。
子どもを愛しているからこそ、心配をし、面倒をみる親の気持ちもわかるが
同時に、子どもの秘密や尊厳をも大事にして貰いたいと思う。
ただ、田の字型の間取りを観ていて、このようなことは
単に、個々の関係性に寄るものだけではないと、思うようになった。
私たちの心、身体、精神は、意識するしないにかかわらず、環境の影響を受ける。
家族との関係はもちろんであるが
生活空間である住環境から受ける影響も大きいと思う。
日本は何百年と、田の字型の間取りにふすまや障子という生活空間だった。
それは、個を重んじる家造りではなく
部屋を繋ぎ、人の和を大切にした家造りである。
冠婚葬祭時には、ふすまが外されて大広間となり
ハレの舞台となることからもうなずける。
ふすまや障子で仕切られた家では、何処にいても
家族の気配や息づかいが感じられ
家族は各々の状態を、言葉を交わさなくても
察することができたのではないだろうか。
そのような環境から私たちは、言葉で確認し合うことよりも
察しあうこと、気持ちを汲み取ること、息を合わすことなど
非言語レベルの関わりと感受性を発達させていったのだろう。
また、ふすまや障子という淡い境界であるために
「親しき仲にも礼儀あり」という諺が示すように
逆に、礼節、義、仁、惻隠という日本的な美質が培われたように思う。
ところが、ここ数十年ほどで、住環境は大きく変わった。
1960年頃から文化住宅という和洋折衷の住宅が建ち始め
最近では、壁それ自体が構造物となるツーバイフォー、ツーバイシックス工法など
アメリカ生まれの家が多くなった。
マンションはもちろんのこと、そのような家は
部屋を繋ぎ、人の和を優先した家造りではなく
部屋を明確に分け、個を重んじることを優先した家である。
鍵をかければ家族から離れ、自分の世界に没入できることは
とても恵まれていることだ。
それは、西洋の「個」を重んじる良さであり
日本文化のなかに取り入れていく必要はある。
しかし同時に、気配を察するという非言語レベルの関わりと感受性が
長い年月をかけて、遺伝子レベルや民族的な集合無意識に染みついた
私たちにとって、混乱も生じているようにも思う。
頑丈な壁に仕切られた部屋にいる子どもの気配を感じ取ろうとしても難しく
西洋で長い年月をかけて形成されていった、個を重んじる関係の築き方もわからない親は
やむにやまれず、子どもの部屋に勝手に入り
子どもの状態を把握しようとしている部分もあるように思う。
また、「親子であろうとも人間として対等であり
責任と自己主張を伴う個人主義」が徹底されないなかで、子どもに個室を与えることは
子どもが周りへの気遣いをせず、好き勝手に行動する
一因となっているかもしれない。
数百年かけて培われた住まいの構造が、短期間に変われば
そこに住む人々の身体と心、関係性は、変化について行くことは難しいし
混乱するのが当たり前だろう。
日本は昔から、渡来するものを柔軟に吸収して
自分のものにするという懐の深さを持っているから悲観はしていない。
ただ、時間はかかるにしても
日本的な良さと弱さ、西洋的な良さと弱さ双方に目を向けて
どのように統合していくかを模索することは、大事だと思う。
投稿者 haruki : 2009年02月10日 01:53
味噌仕込み
節分の豆蒔きをした翌日の立春の今日、味噌を仕込んだ。
昨日のうちに、23キロの大豆を洗って水に浸しておいたので
今朝は、9時にご近所の方々が集まり、作業を開始。
2年前もお隣りのお庭で仕込ませて頂いたが
今年も、同じ場所に釜を置かせて頂く。
9時に伺った時点で、すでに釜に火を入れて
大豆を煮始めてくださっていた。
時々、大豆の柔らかさ加減を見るために、一粒ずつ食べてみるが
味付けを何もしていないにもかかわらず、これが美味しい。
自然な甘みだけで十分戴ける。
お湯が吹けば水を差し、薪を動かして火の調節をし
アクが溜まれば、取り除く。
そのような作業をしながら、ご近所の方々と雑談をして
楽しい時間を過ごす。
1時間半で、丁度良い柔らかさになった。
軽トラの荷台に養生シートを敷き詰めてアルコール除菌をし
ミンサーを乗せて、次の行程の準備をする。
軟らかくなった大豆を水切りし、どんどんミンサーに入れていき
ミンチ状になった大豆を、養生シートに均一に広げていく。
大豆が冷めたところで塩を撒き、まんべんなくかき混ぜ
その後に米麹と麦麹を撒いて、丁寧に混ぜる。
混ぜ終わると、団子状に丸めていく。
この作業は、かなりの力仕事である。
ちなみに、下の画像の団子は、総量の1/4である。
今回は、大豆の量が多かったので
これまでの行程をもう一度繰り返す。
この行程がすべて終わり
消毒した樽に、空気が入らないように、しっかりと詰め込む。
最後に、表面に塩を撒き、ラップをかけてフタをして終了。
終わったのは午後1時半。
4時間半の作業で、総量85キロの味噌を仕込むことができた。
終了後、外で、ご近所の方々とビールやお酒を飲みながら
それぞれが持ち寄った、炊き込みご飯、おにぎり、豚汁
漬け物、惣菜、お汁粉を食べて、幸せなひとときを過ごした。
半年後に、樽を開けて天地返しをするが
今回の味噌はどんな味になっていることだろう。
今から楽しみである。
投稿者 haruki : 2009年02月04日 22:30
奥への憧れ
17年前に、一番近い個人商店まで車で20分という
南アルプスの過疎村で過ごしたことが影響しているのか
それ以来ずっと、新聞もテレビもない、世間から隔絶された
自然に囲まれた環境に憧れてきた。
住まいのみならず、神社や寺院にしても
京都や鎌倉よりも、山麓にあるものの方に、何故か惹かれる自分がいる。
20年前は、年に数回、高野山に行ったものだ。
奥の院に続く道が好きだった。
特に御廟の橋を越えてからの空間は特別で
身が引き締まっていた記憶がある。
この10年間は、戸隠の奥社が気に入っている。
宝光社、中社を経て、戸隠山に近づいていき
鏡池から歩いて随神門に至り
圧倒されそうな杉並木を歩いて奥社に向かう。
奥社に向かえば向かうほど、気持ちが高まると同時に静まってくる。
気がつけば、実際の生活環境も
引越の度ごとに、東京から奥へ奥へと移り
「奥」に惹かれ続けている自分がいる。
そして今、「奥」に導かれて越後まで達し
越後奥寂庵に辿り着いた。
朝、集落の外れにある氏神様の前を通った。
丁度、朝日が鳥居に当たり、美しい光景だったので
思わずカメラを取り出して撮影した。
この氏神様も私のお気に入りの場所である。
なぜなら、集落の外れにあり、神聖な空間だから。
最近、「奥」というのは、私が惹かれるだけではなく
日本人の精神を現しているように感じている。
ヨーロッパなどでは、精神的支柱である教会は
高い塔をそびえさせて、街の中心に位置している。
それは、街の何処からでも見ることができるし
教会を中心にして街が成り立っているとも言える。
このように、しっかりと存在感を示す、父性的で全能なる神も素晴らしい。
対照的に日本では、集落にある氏神様は、集落の外れにあり
鳥居は外から見えるけれど、その奥は鎮守の杜に囲まれていて
奥行きがあり、何があるのかが全くわからない。
神道の知識がないので、全くの誤解かもしれないが
感覚として日本の神は、このように全く存在感を感じさせない
奥ゆかしい母性的な神であるように感じる。
興味深いことに、存在感がないが故に
「奥」は「空」となり、吸引力を生み出し
私たちは、磁力のように「奥」に引き寄せられるのではないだろうか。
また、「奥」は母胎のように受容してくれる場所でもある。
私たちは、「参道」を通って「お宮」にお参りに行くが
「産道」を通って「子宮」に向かう母胎回帰を象徴しているように思う。
そのようにして、私たちは、お参りに行くたびに
死と再生を繰り返している。
日本の昔の家屋も、神社仏閣のように奥行きのある空間を持たせていると
以前読んだ、藤原成一氏の本に書かれてあった。
「昔の家屋は、物質的身体的快適さや安全性よりも
精神的なものを肌身で感じることが快さであり
それを感じさせてくれる家が求められた」
「物心両面において、ひかえ目で質素簡素にして清潔
そしてなによりも奥行きがあることが、家に求められる快さであった」
越後奥寂庵もそうだが、確かに昔の家屋は
玄関から入ると土間があり
履き物を脱いで上がり框から板の間に上がり
茶の間、上座敷、奥座敷へと向かうようにできている。
実際、越後奥寂庵で玄関から奥に向かって歩いていくと
高野山の奥の院、戸隠の奥社に向かうような
神聖さが増していく感覚がある。
特に奥座敷は、他の部屋とは違い
何かに引き寄せられるものがある。
そして、奥座敷のさらに奥には床の間があり
床の間の空間は、あたかも異次元への入口であるかのように
さらに奥にある「何か」の気配を感じさせてくれる。
藤原成一氏は、さらに続ける。
「神は清浄清明なところに宿る。奥は神の在所として、清浄清明に保たれてきた。
空っぽに保たれてきた。イエや集落において奥であるところ
床の間や神社は、世俗の入らない唯一の空っぽの地である」
「核の中では、心身ともに清浄でなければならない。
心身を浄化するために、奥への道筋が設けられた。
奥行きは、空間と心身を清浄にするためのものであった」
私は、人の表面的な言葉の背後にあるもの
こころの奥にある「美質」に意識を向ける仕事をしていることも
この「奥への憧れ」から来ているかもしれないと、最近思う。
そして、人のこころの奥にある「美質」に近づくときも
私自身、心身を清浄にしていくことが大事だろう。
存在感を誇示しない、奥ゆかしさという美徳
言葉の背後にあるものを察する感性
背後にあるものを感じたとしても、そのままにしておく情感
そのような日本人にとって大切な美質を意識して
これからも人と関わりたいと、あらためて強く思う。
投稿者 haruki : 2009年01月29日 01:48
初詣での出会い
三が日に、都内で初詣をした。
参道では、たくさんの人が行き交い
焼きそば、お好み焼きなどの屋台が脇をかため
威勢のいい呼び込みの声が響き
食欲をそそる匂いが漂ってくる。
普段は慌ただしく仕事をしているであろう人も
家族と幸せそうにゆったりと歩いている。
朝の満員電車は、ギスギスしていて苦手だが
参道を賑わす人々のなかにいるのは
人々の緩やかな気持ちが伝わってきて心地がいい。
山に戻ってから、山麓の神社にお参りをした。
三が日が終わったからなのか
山麓の神社には、誰一人いなかった。
この神社は、集落からずっと山の奥に入ったところにあるため
誰もいないと、少し心細い。
それでも、新しいしめ縄が張られていることから
新年の雰囲気が漂っていた。
神社の脇の方に佇む小さな石仏に目がとまる。
説明書きが何もない苔むした石仏。
苔で何が彫られているのかわからないが
紙垂の間から見せる顔から
狛犬とは対照的な深い静けさを感じた。
脇の方で静かに佇む在り方から
「自分が自分が」という「我」が少しも感じられない。
そのような在り方に憧れる。
名も無き小さな石仏に出会えてよかった。
一年の始まりの良き出会いに、感謝。
投稿者 haruki : 2009年01月05日 16:49
大晦日の夕空
夕方、外に出て1分もしないうちに
手がかじかんだ。
昼間、暖かいと思っていたのに
日が沈むと途端に寒くなる。
でも、山と木をシルエットにして、空のグラデーションを眺めていると
寒さを一瞬忘れられる。
一年間の疲れが溜まった身体が、ピーンと澄んだ空気に晒されて
浄化される感じがした。
風に揺れる木の奥で
三日月が控えめに輝いていた。
年の終わりに、素敵な光景に出合えて、嬉しい。
投稿者 haruki : 2008年12月31日 18:37
クリスマスの祈り
私はクリスチャンではないし
心理療法を行うようになってからは
仏教やアニミズムに親和性を感じている。
ただ、クリスマスになると
「聖夜」のエネルギーに包まれる感覚が生じる。
保育園、中学、高校とカソリック系であったし
小学生のときは、クリスマスには教会に行っていた。
その際、聖堂でろうそくを灯し、賛美歌を歌い、神を讃えた。
賛美歌が響く、聖堂の雰囲気がとても好きだった。
中学1年生のときは、目黒のサレジオ教会の敷地内に学校があったこともあり
昼休みになると、毎日のように一人でサレジオ教会の聖堂で過ごしていた。
聖堂に入ると、薄暗く静かでひんやりとしていた。
別空間だった。
そこで一人で過ごす時間が、とても好きだった。
クリスマスになると、聖堂で過ごした
その時の感覚が自分に押し寄せてくる。
ハートが開き、神に祈りを捧げる感覚は、キリスト教の好きなところ。
保育園に通っていた頃
毎晩、純心に神様に祈りを捧げていた。
あの頃の純粋に祈る感覚を取り戻したい、そんな気持ちを
クリスマスはもたらしてくれる。
それが、私にとってのクリスマス プレゼント。
Prayer of St. Francis
Lord, make me an instrument of thy peace.
Where there is hatred, let me sow love;
Where there is injury, Padon;
Where there is doubt, faith;
Where there is despair, hope;
Where there is darkness, light;
And where there is sadness, joy,
O, Divine Master, grant that l may not so much
Seek to be consoled as to console;
To be understood as to understand;
To be loved as to love;
For it is in living that we receive.
lt is in pardoning that we are pardoned,
And it in dying that we are born to eternal life.
投稿者 haruki : 2008年12月25日 23:06
熊の出没
先日、家から1キロも離れていない集落の民家に熊が出た。
朝、玄関を開けたら倉庫の前に熊がいた、とのことだった。
猟友会の人が来て、本来は麻酔銃を使って眠らせて
山に戻すらしいが、今回は実弾を使ったという。
大人4人がかりでも運ぶのが大変だったと
地元の人に聴いた。
この話を聴いたとき
不思議と怖さは感じなかった。
それよりも、殺された熊が可愛そうに感じていた。
集落に出没したということは
山のなかにある家に出没しても不思議ではないのに
怖さを感じない、自分の反応にちょっと驚いた。
それは、被害がなかったからなのかもしれないし
熊がすでに殺されていたからなのかもしれない。
山では、狸、猿、狐、猪、鹿と出遭ってきたが
出遭いたくないのは熊であることは間違いない。
でも、以前、東京に住んでいた時の方が
熊が出たことを伝えるニュースを見て
怯えていたように思う。
山に住み始めて数年が経つうちに
何かが、自分のなかで少しずつ変わってきているのかもしれない。
投稿者 haruki : 2008年12月23日 09:20
師匠逝く
先週の日曜日に
20数年前にお世話になったドラムの師匠が、死去された。
享年49歳だった。
丁度、師匠が生死の境を彷徨っていた時
ライムワークスのコンサートとワークショップを行っていた。
ドラマーの仕事を辞めてからの20数年間
趣味でドラムセットに座ることはあっても
お金を戴いて、ドラムセットに座ることはなかった。
それが、今年の9月から、ライムワークスとして活動するようになり
先週末のコンサートでは、20数年ぶりに2時間近く演奏した。
そして、師匠が死去された日曜日
ワークショップで、参加者たちに師匠の話をしていた。
久しぶりに師匠のことを思い出し
師匠との間で経験したことを話していた
丁度その頃、師匠が死去された。
翌日、訃報を知り、愕然とした・・・。
自分の人生を振り返るとき
もう一度お会いして
心から感謝の気持ちを伝えたい人の顔が数人、思い浮かぶ。
その時々で、お礼を言ってきたと思うけれど
若い頃は、生きることに必死で、自分のことしか見えず
無我夢中に突き進んでいたので
心の底から感謝の気持ちを伝えていないように思う。
今だからこそ、その時に施された行為や気持ちが
どれほど、自分の助けになったかがよく分かる。
感謝の気持ちを伝えたい数人のうちのひとりが、師匠だった。
今、感じている気持ちが、師匠に届きますように。
ひぐっつぁん、ありがとう。
投稿者 haruki : 2008年12月06日 15:06
初雪
前回、エッセイを書いたのは
源氏蛍が飛び交う季節だった。
それが、もう初雪が降る季節になってしまった。
「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだ。
本当に月日が流れるのが速い。
振り返ってみると、確かにこの数ヶ月、とても忙しく
目の前にあることを次から次へと、休む暇もなくこなしていく日々だった。
そのことによって、成し遂げることは多く
新しい出会いもあり、充実していたのも事実だが
自分の心象風景に目を向けるゆとりがなかったのは、残念なことだった。
この数ヶ月は、交感神経が優位だったと思う。
それは必要だったことだった。
なぜなら、交感神経が優位になることで
目の前にあることに集中して対処することができるから。
でも、そろそろ副交感神経を優位にする、ゆとりを自分に与えたいと思う。
そのことによって、内側にある心象風景を浮かび上がらせることができるから。
12月に入ったら、久しぶりに「地球の体液」である温泉に浸かりながら
自分の心象風景に再会しよう。
投稿者 haruki : 2008年11月23日 17:51
光り輝くとき
昨年の今頃のエッセイを読んでみると
7月13日に、源氏蛍のことを書いていた。
丁度一年後の今、また家の前の沢に
源氏蛍が20〜30匹飛んでいる。
一年前に書いたエッセイと
同じことを今年も感じている。
同じことを感じているのに
新鮮な気持ちでいることが嬉しい。
蛍は、カレンダーもないのに
毎年、同じ時期に光り輝き飛びまわる。
梅の花も、桜の花も、桃の花も、ハナミズキの花も
カレンダーもないのに
申し合わせたように一斉に咲く。
私たちも、内面にあるリズムを信頼することができるなら
他者の評価によって自己価値が上下することもなく
機が熟せば、自ずと花咲き、光り輝くことだろう。
投稿者 haruki : 2008年07月11日 20:59
魂を育む大地
丁度、去年の今頃、田圃の水面に惹かれて写真を撮っていた。
そして今年も相変わらず、田圃の水面に惹かれている。
これほどまでに、田圃の水面に惹かれていても
天候、風景、田圃の水入れ、すべてのタイミングが揃うのは
一年のうち、ほんの数日だ。
今朝は天気がよかったので、眠い目を擦りながらも思い切って起き
カメラを持って車に乗り込む。
田圃の水面を見つけると車を停め
水面に映る風景を確認しながら撮影ポイントを探し
惹かれた風景に出合うとシャッターを押す。
その行動を繰り返していると、先ほどまでの眠気がなくなって
感覚が冴え渡り、魂が活き活きと喜んでいた。
魂が感応し夢中になると、どんなに身体が疲れて消耗していても
活き活きしてくるのは何故だろう。
「ねばならぬ」でいやいや行動していると、身体は消耗するが
魂が感応し夢中になり、その感覚に身を委ねていくと
疲れた身体が元気になっていく。
そういう意味で、身体は正直だ。
私たちは、魂を日常の意識で直接実感することは難しい。
でも身体が、魂に添っているかどうかを知るバロメーターになる。
身体は、魂の乗り物。
そして身体は、魂を育む大地である。
投稿者 haruki : 2008年05月15日 19:04
贅沢な食事
ゴールデンウィーク明けは
毎年、楽しみにしていることがある。
それは、ご夫妻で開いている家庭的な食堂で
山菜定食がメニューの載るからだ。
朝、ご夫妻で標高の高い山麓に入って山菜を採取し
それを料理して、定食にしてくれる。
山菜天ぷら(たらの芽、コシアブラ、コゴミなど)
筍の刺身
ウドの酢醤油漬け
ワラビの煮付け
筍ご飯
コシアブラご飯
お吸い物
それに地元の釣り名人が渓流で釣ってくる
天然岩魚の塩焼きが付いてくる。
ご夫妻の心がこもった贅沢な定食である。
幸せな瞬間だ。
そしてもう一つ、美味しい料理がメニューに載る。
コシアブラのパスタである。
山に住むまでは、コシアブラのことは知らなかったが
山に住み始めてから、地元の人によく言われたものだ。
「たらの芽よりも、断然コシアブラの方がうまいだよ。」
実際、口に入れた時の香りが素晴らしい。
春菊のえぐみを消して上品にしたような香りが
口の中に広がる。
一つのパスタに入れるコシアブラを採るだけでも
相当な労力だろうに、ご夫妻に感謝である。
家には、たらの木があり
この時期は、食事前にたらの芽を摘み
天ぷらにする。
捥ぎ立てのたらの芽の天ぷらは、本当に美味しい。
コシアブラと比較すること自体
無意味なことだ。
それぞれに良さがあるから。
私は食事に関しては、ストイックな信念はなく
美味しく食べられるものは何でも戴く。
それでも、地元で採れる旬のものを食べることには
心身ともが喜ぶような気がしてならない。
それは、人間も自然の一部だからなのかもしれない。
投稿者 haruki : 2008年05月07日 18:54
日本的霊性の深化
先週は、ある国際会議が黒部であったおかげで
親鸞ゆかりの地を再び訪れることができた。
前回、訪れることが出来なくて心残りだった神社に向かう。
この神社は、流罪になった親鸞が上陸して
最初に参拝した神社であると言われている。
親鸞は、早く赦免になるよう
そして念仏が盛んになるよう、祈願したという。
その時の状況から
親鸞がそのように祈願する気持ちはわかる。
しかし、神仏習合に詳しくないからかもしれないが
素朴な疑問が浮かぶ。
「将来を約束された比叡山を降り
既成仏教から反発を受けながらも、阿弥陀仏に帰依する親鸞が
流罪の地で、なぜ最初に神社に参拝したのだろうか。」
神仏習合については今後、学んでみたいと思うが
他宗教を異端と決めつけ、数多くの宗教戦争を行なってきた一神教の宗教では
このようなことは想像し難いことだろう。
鈴木大拙老師は、日本的霊性の目覚めとして
越後に流罪になった親鸞を重要視している。
「宗教は、親しく大地の上に起臥する人間
即ち農民の中から出るときに、もっとも真実性をもつ。」
「本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して
遺憾なきものは親鸞上人である。」
「親鸞が、具体的事実としての大地の上に
大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して
彼らの大地的霊性に触れたとき
自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。」
「親鸞は、どうしても京都では成熟できなかったであろう。
京都には、仏教はあったが日本的霊性の経験はなかったのである。」
これらの老師の文章を読むと
親鸞の流罪が、日本人の精神性に
どれほど大きな影響をもたらしたかがわかる。
もともと親鸞は、神仏習合の精神を持っていたからこそ
越後の地で、大地性を柔軟に吸収して
霊性を深めることができたのだと思う。
そして、梅原猛氏はさらに
大地性の起源を「農民」から「縄文人」へと、推論を押し進める。
「親鸞が、越後で宗教的霊性に目覚めたのは
後の上杉謙信同様、縄文時代の霊性の名残をとどめるこの地から
何らかの影響を受けたゆえであろうか。」
親鸞は、周囲から尊敬されても天狗にならず
弟子も取らず教団も作らず
最後まで自分の足元を見続けた
阿弥陀仏に帰依する凡夫だったと思う。
これだけの人が凡夫で在り続けることは
凡人には難しいことだ。
そのような在り方は
万物を人間と同等としていた縄文時代の霊性を基層にした
「大地性」ゆえかもしれない。
デクノボーに憧れていた宮沢賢治を思い出す。
先週行なわれた国際会議は、ひきこもりやニートに関するものだったが
何人かの発表者が以下のように述べていた。
「NPOなどの民間団体が連携して
縦割り行政に働きかけていくことが
社会を変えていくと思う。」
このような提唱が、神仏習合が強固になった白山と
霊性を深めた越後との間で行なわれたことは
私にとっては意味深かった。
実際、すべての発表者は
ご自身の信念を貫き、長年行動してきているにもかかわらず
ご自身の活動に固執せずに周りに開かれていた。
帰りに日本三大薬湯のひとつに立ち寄る。
疲れた心身が癒される。
豪雪地帯のため、まだ残雪があったが
少しずつ棚田に人が入り、田んぼの準備をしていた。
またこの地に来よう。
投稿者 haruki : 2008年04月10日 01:12
