味噌造り


今日は、近所の人達と味噌を造った。
否、味噌を仕込んだと言う方が正しい。


水に漬けた14キロの大豆を、地元の農家から借りた大釜で煮炊きし
ミンチ状に潰し、軽トラの荷台に養生シートを敷き、その上に拡げて冷ます。
冷えてから米麹、麦麹と塩を撒き、念入りにかき混ぜる。
そして一旦団子状にこねてから、樽に空気を入れないように詰め
焼酎を噴き、最後に塩をふってラップをかけて終了。


この作業を、2年前に仕込んだ味噌で作った豚汁
自家製の高菜漬けやおにぎりを食べながら
ワイワイ楽しんで行った。


涼しい場所で熟成させ、早ければ半年後には食べられる。
でも、本当に美味しいのは2年後。
これからは人間の仕事ではなく乳酸菌や酵母の仕事だ。


発酵食品は冷蔵庫のない時代、保存食として重宝されたが
昔は人工保存料や人工発酵というものがなかったので
酵母や細菌など自然界にあるものだけを使い、出来上がるまでに時間がかかった。


日本では味噌以外に、醤油、酢、酒、納豆、漬け物など
様々な発酵食品があり、時間がかかるものが多い。
しかも人間は環境を整えるだけで、酵母や細菌のような「他力」の仕事となる。


そのような長い年月が基準となった昔の生活は
「コンビニエンス」「ファーストフード」という言葉に象徴される現代のリズムとは
全く異なったタイム感だ。



先日、地元の温泉で知り合いと話していて
ショックを受けたことがある。


地元で林業を営む初老の男性から聴いた話だった。


「大人になって林業に携わって、何十年も木を植えているがよぉ
 植えた木がお金になる頃にゃあ、俺はもう生きていねぇんだ。」


何というタイム感だろう。


自然とともに生きることは、インスタントなものではなく
とても時間を有することだった。


そのタイム感は、生産性や効率性に価値を置く現代人の思考からすれば
無駄な勿体ない時間かもしれない。


しかし、自然を征服するのではなく
自然と共生し、自然のリズムとともに生きることは
現代社会では得られない豊かさをもたらしてくれるように思う。


あたかも食品が自然のリズムで発酵することによって
味わいに深みがでるかのように。


私も、インスタントなものではなく
自然のリズムで「他力」とともに成熟していきたいと思った。


投稿者 haruki : 2007年02月08日 22:48

ベーコン造り


今日は、薫製機を持つ友人宅に集まり、ベーコンを造った。


1週間前、豚バラ肉2キロに塩、砂糖、胡椒、ハーブを丁寧に擦り込み
冷蔵庫で保管し、前日に流水で塩出しをする。


そのように仕込んだ豚バラ肉を、友人たちが各々持ち寄り
庭に置いた薫製機に凧糸で吊し
薫製機の下に設置したカセットコンロの火をつけ
サクラやヒッコリーのチップで燻していく。


薫製機の内部が55度から60度になるように火加減を見守り
煙が出なくなるとチップを足し
カセットコンロの安全装置が働いて火が消えると
温度が下がらないうちにボンベをサッと取り替える。


この作業を6時間続けた。


これは、レストランにたまに卸している友人直伝の作業。
うまくいかないわけがない。


以前造らせて貰ったのは寒い季節で、身体が冷えて辛かったが
今日は山でも桜が咲き始め、気温も日中は21度まで上がり
暖かく気持ちが良かった。


薫製機の前の椅子に座り、話に夢中になり
知らぬ間に時間が過ぎていく。


しかし、夕方陽が山に沈んでからは、気温が急激に下がり
冬物のコートを着ても寒さが身に浸みる。
立って身体を動かしていないと凌げない寒さになった。


標高が高い場所での日較差はあなどれない。


ありがたいことに、友人宅から見える夕焼けと
友人たちとの楽しい会話に救われた。



薫製が無事終わって家に入り、楽しい夕食の時間を過ごした。
最後に出来立てのベーコンを少しずつ試食。


「うまいねぇ」の連続。


市販のベーコンに比べて、薫製の香りが強く
旨みの肉汁も詰まっている。


何より、愛情と手間暇かけたことが大きいかもしれない。


この2ヶ月、忙しかったので
友人とのんびり過ごすことはなかった。


友人が居ることの幸せをしみじみ感じた一日だった。


友人たちに感謝。


投稿者 haruki : 2007年03月29日 01:01

害獣という名の動物


里山での田畑では、農作物が成長し
地元の店には、旬の野菜が並んでいる。
しかもありがたいことに、無農薬有機栽培の野菜が多い。


その日の朝に収穫した新鮮な野菜や、地元農家の天日干しの米が
都会より安く手に入ることは、生産地に暮らす良さだろう。


しかし、生産地に暮らすということは
いろんなことを考えさせられる。


里人との会話で必ず出る話題は、農作物の被害についてだ。
それも「害獣」と呼ばれる猪、猿、鹿について。


時期が来ると、迷彩服にオレンジ色の派手なベストを着たハンター達が
猟犬を従えて「害獣駆除」の名目で山に入ってくる。
遠くに響き渡る散弾銃の音を聞くと、心が痛む。


猿だけは、駆除をするのに報酬が出るらしい。
駆除をする際に、子猿は人間の子供に見えるから
ハンター達は、撃ちたがらないそうだ。


子猿は、散弾銃で狙いを定められると
ハンターに向かって手を合わせ、祈るような仕草をする
と聞いたことがある。



里人の立場に立ってみると、お金と時間と愛情を注ぎ込んだ田畑が
動物たちに根こそぎ荒らされるなら、経済的損失は言うに及ばず
感情的に許せない気持ちになるのも理解できる。


都会に居ると、お金を支払いさえすれば、食材は簡単に手に入り
生産地で起きていることまでは思いも及ばない。
食材は、料理の単なる材料でしかない。


しかし生産地に暮らしてみると、食肉はもちろんのこと
農作物も、多くの命の犠牲の上に存在することを痛感する。


私たちのために犠牲となった多くの命に対して、感謝の祈りを捧げ
「生かさせて頂いている」という謙虚さをもって生きることが
人間としての責任ではないだろうか。



最近、命を軽んじる事件が多い。
命を軽んじる背景には、「人間は多くの命によって生かされている」という現実を
肌で感じる機会が少なくなっていることもあるように思う。


動物に対する感謝の気持ちをもち、動物を害獣ではなく神や神の使者とみなしている
アラスカやアイヌなどの先住民族の智慧や生き方からも
私たちは多くを学べるはずだ。


私たちの生活は、多くの命の犠牲の上に成り立っている。
その事実を、しっかりと受け止める必要がある。


投稿者 haruki : 2007年06月14日 11:33

囲炉裏での団欒


今日もまた、飽きずにとある山村に出かける。


昨日は爽やかな晴天だったのに、今日は曇り。
そのために、残念ながら山並みなど風景は望めなかった。


しかしながら、風景が望めないおかげで
今日は屋内で温かな時間を過ごすことができた。


殆どが傾斜地である山村では、田圃は棚田の形状を取り
そのため米作りは、かなりの労力になり
米の収穫量は、多くはない。


米を主食には出来ないので、この山村では昔から
小麦粉を使ったおやきが主食だったという。



今日は、この山村にあるおやきのお店に行った。
ここは「村おこし」のために起業されたようで
村民が働いていた。


特に60代以上の方が多かった。
聴くところによると、この店を持つ会社では
目標として60歳入社を掲げている。
それは長い間、家でおやきを作り続けてきたお母さん達を
宝物としているから。


お店の奧には囲炉裏があり、囲炉裏脇ではお婆さんがおやきを作っていたが
温かそうな分厚い手によって、包み込まれながら作られていくおやきを見ていると
長年のお婆さんの愛情が篭もっているように思えた。


こうやって長い間、家族のために愛情を込めておやきを作り続けたのだろう。



小麦粉を水で溶いた皮に、いろいろな野菜や小豆で作ったあんを入れて丸め
それを鉄鍋のようなものに置き、ゆっくりと中まで温める。
十分に温まった時点で、火に近づけて焙り焼き、焦げ目をつけていく。
そして、本当はその後に、囲炉裏の灰にまぶして蒸すらしい。


蕎麦茶を飲みながら、出来立ての熱いおやきを囲炉裏脇に座って食べる。
中まで熱くて、美味しい。



囲炉裏を囲んで座っていると
そこには、別のお客さんが来たとしても
自然と会話を交わしそうな雰囲気がある。


囲炉裏の中心には温かな火があり
愛情を込めて作ってくれるお婆さんが側に居る。
そのような空間に身を置くだけで心が和む。


心理学的に滋養というのは、栄養と愛情の両方を意味するが
このように囲炉裏を囲んで食べることは
本当の滋養が得られる感じがした。


囲炉裏を囲む文化が、日本に母性社会を作り出したと言っても
大袈裟でないと思った。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 00:17

贅沢な食事


ゴールデンウィーク明けは
毎年、楽しみにしていることがある。


それは、ご夫妻で開いている家庭的な食堂で
山菜定食がメニューの載るからだ。


朝、ご夫妻で標高の高い山麓に入って山菜を採取し
それを料理して、定食にしてくれる。


山菜天ぷら(たらの芽、コシアブラ、コゴミなど)
筍の刺身
ウドの酢醤油漬け
ワラビの煮付け
筍ご飯
コシアブラご飯
お吸い物


それに地元の釣り名人が渓流で釣ってくる
天然岩魚の塩焼きが付いてくる。


ご夫妻の心がこもった贅沢な定食である。


幸せな瞬間だ。



そしてもう一つ、美味しい料理がメニューに載る。


コシアブラのパスタである。


山に住むまでは、コシアブラのことは知らなかったが
山に住み始めてから、地元の人によく言われたものだ。


「たらの芽よりも、断然コシアブラの方がうまいだよ。」


実際、口に入れた時の香りが素晴らしい。
春菊のえぐみを消して上品にしたような香りが
口の中に広がる。


一つのパスタに入れるコシアブラを採るだけでも
相当な労力だろうに、ご夫妻に感謝である。



家には、たらの木があり
この時期は、食事前にたらの芽を摘み
天ぷらにする。


捥ぎ立てのたらの芽の天ぷらは、本当に美味しい。


コシアブラと比較すること自体
無意味なことだ。


それぞれに良さがあるから。



私は食事に関しては、ストイックな信念はなく
美味しく食べられるものは何でも戴く。


それでも、地元で採れる旬のものを食べることには
心身ともが喜ぶような気がしてならない。


それは、人間も自然の一部だからなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2008年05月07日 18:54

味噌仕込み


節分の豆蒔きをした翌日の立春の今日、味噌を仕込んだ。


昨日のうちに、23キロの大豆を洗って水に浸しておいたので
今朝は、9時にご近所の方々が集まり、作業を開始。


2年前もお隣りのお庭で仕込ませて頂いたが
今年も、同じ場所に釜を置かせて頂く。


9時に伺った時点で、すでに釜に火を入れて
大豆を煮始めてくださっていた。


時々、大豆の柔らかさ加減を見るために、一粒ずつ食べてみるが
味付けを何もしていないにもかかわらず、これが美味しい。
自然な甘みだけで十分戴ける。


お湯が吹けば水を差し、薪を動かして火の調節をし
アクが溜まれば、取り除く。


そのような作業をしながら、ご近所の方々と雑談をして
楽しい時間を過ごす。


1時間半で、丁度良い柔らかさになった。



軽トラの荷台に養生シートを敷き詰めてアルコール除菌をし
ミンサーを乗せて、次の行程の準備をする。


軟らかくなった大豆を水切りし、どんどんミンサーに入れていき
ミンチ状になった大豆を、養生シートに均一に広げていく。


大豆が冷めたところで塩を撒き、まんべんなくかき混ぜ
その後に米麹と麦麹を撒いて、丁寧に混ぜる。


混ぜ終わると、団子状に丸めていく。


この作業は、かなりの力仕事である。


ちなみに、下の画像の団子は、総量の1/4である。



今回は、大豆の量が多かったので
これまでの行程をもう一度繰り返す。


この行程がすべて終わり
消毒した樽に、空気が入らないように、しっかりと詰め込む。


最後に、表面に塩を撒き、ラップをかけてフタをして終了。


終わったのは午後1時半。
4時間半の作業で、総量85キロの味噌を仕込むことができた。



終了後、外で、ご近所の方々とビールやお酒を飲みながら
それぞれが持ち寄った、炊き込みご飯、おにぎり、豚汁
漬け物、惣菜、お汁粉を食べて、幸せなひとときを過ごした。


半年後に、樽を開けて天地返しをするが
今回の味噌はどんな味になっていることだろう。


今から楽しみである。


投稿者 haruki : 2009年02月04日 22:30

TOP PAGE