蔵の街


車を1時間走らせ、蔵の街に出かける。


その街には、昔ながらの古い蔵もあれば
新しく建てられた蔵もある。


新しい蔵があるにしても
蔵が並んでいる街並みには惹きつけられるものがある。
それらの蔵は、こだわりのある蕎麦屋や喫茶店であったり
ランプ、ガラス工芸、伝統工芸家具、骨董品などを扱う、品のいい店になっている。


水曜日は、殆どの店が定休日だが
それでも窓からなかを覗くと、それぞれ趣のある空間になっていて
覗くだけでも満足する。


一ヶ月ぶりに、とあるレストランに入る。
30代の夫婦が開いている、こぢんまりとした店で
趣味よし、味よし、もてなしよしのお気に入りのレストラン。
もちろん蔵の造りだ。


今日も期待を裏切らない料理だった。



ご夫婦と挨拶を交わし外に出て、蔵の街を後にして車を走らせる。
森に戻る帰路、不思議と後ろ髪を引かれる想いに襲われた。


人との出会いがあったせいだろうか
伝統的な落ち着いた空間に身を置いたせいだろうか。


それはたぶん、両方だろう。


自然も素晴らしいが、伝統に根ざした落ち着きもまた素晴らしい。


アメリカの町を歩いていて決して感じることのない
ヨーロッパの街並みを歩く時に感じる落ち着きと似ていた。


それは、文化に根づいた懐の深さなのかもしれない。
伝統的な文化に根づくことは、大事なことではないだろうか。


そこに還るとき、日本人としてのアイデンティティを見出すのかもしれない。


今日、その街の病院で目の悪い老婆と出会い、しばしの交流をもった。
日本人の母性的なこころの温かさ、芯の強さと謙虚さが
その老婆の何気ない言葉から、静かに心に染み入ってきた。


そのような精神性は
自然に囲まれた伝統的な文化のなかで育まれるような気がした。


投稿者 haruki : 2007年01月24日 21:57

民家と墓地


昼下がりの午後、カメラを持って車に乗り
近くにある里山の村に行ってみる。


心惹かれた風景に出合うと車を停めて
ファインダーを覗き、シャッターを押す。


集落から少し離れたところに、一件の民家があった。
冬山が背景に聳える里山の風景だ。


「これは絵になる」と思い、ファインダーを覗くと
左側にある墓地が邪魔に思えた。


しかし帰りの運転中に、ふと思い浮かんだことがある。
「一昔前、先祖代々の墓は、このように家の裏にあり
 祖先や親族の亡骸は身近にあったのだ」と。


「先祖供養」という言葉は、都会に居ると
法外なお布施を求める新興宗教のようなイメージがある。
でも実際は、このように身近に先祖の亡骸が眠り
先祖に対して、敬う気持ちや守られている感覚が感じられて
自ずと供養の気持ちが生じたのだろう。


家の裏に墓があれば
インドのガンジス河岸での火葬、チベットの鳥葬まではいかなくても
死を受容していくプロセスを十分経験することが可能だと思う。


都会で死がどんどん隠されているのとは反対に
里山では、まだ死が身近にある。



30年前に都会から移り住んだ先輩が同じ地域に住んでいる。
彼はこう言った。


「30年経っても村人からは『きたりもん』と呼ばれる。
 それどころか、三世代くらいじゃまだ新参者なんだよ。」


その言葉を聞いた時は正直、「村人は、何でそこまで閉鎖的なんだ」と思った。
でも村人にしてみると、十世代以上も前からこの地に居るわけで
それだけ「この地に根づいている」ということなのだろう。


そのような根づきは、しがらみも多く窮屈な部分もあると思う。
もし私が若い頃にそのような地に居たら
苦しくて都会に飛び出していたことは明白だ。


でも、ある程度歳を重ねると
そのような「血」への根づきと、「地」への根づきを羨ましくも思う。


投稿者 haruki : 2007年01月25日 16:35

囲炉裏での団欒


今日もまた、飽きずにとある山村に出かける。


昨日は爽やかな晴天だったのに、今日は曇り。
そのために、残念ながら山並みなど風景は望めなかった。


しかしながら、風景が望めないおかげで
今日は屋内で温かな時間を過ごすことができた。


殆どが傾斜地である山村では、田圃は棚田の形状を取り
そのため米作りは、かなりの労力になり
米の収穫量は、多くはない。


米を主食には出来ないので、この山村では昔から
小麦粉を使ったおやきが主食だったという。



今日は、この山村にあるおやきのお店に行った。
ここは「村おこし」のために起業されたようで
村民が働いていた。


特に60代以上の方が多かった。
聴くところによると、この店を持つ会社では
目標として60歳入社を掲げている。
それは長い間、家でおやきを作り続けてきたお母さん達を
宝物としているから。


お店の奧には囲炉裏があり、囲炉裏脇ではお婆さんがおやきを作っていたが
温かそうな分厚い手によって、包み込まれながら作られていくおやきを見ていると
長年のお婆さんの愛情が篭もっているように思えた。


こうやって長い間、家族のために愛情を込めておやきを作り続けたのだろう。



小麦粉を水で溶いた皮に、いろいろな野菜や小豆で作ったあんを入れて丸め
それを鉄鍋のようなものに置き、ゆっくりと中まで温める。
十分に温まった時点で、火に近づけて焙り焼き、焦げ目をつけていく。
そして、本当はその後に、囲炉裏の灰にまぶして蒸すらしい。


蕎麦茶を飲みながら、出来立ての熱いおやきを囲炉裏脇に座って食べる。
中まで熱くて、美味しい。



囲炉裏を囲んで座っていると
そこには、別のお客さんが来たとしても
自然と会話を交わしそうな雰囲気がある。


囲炉裏の中心には温かな火があり
愛情を込めて作ってくれるお婆さんが側に居る。
そのような空間に身を置くだけで心が和む。


心理学的に滋養というのは、栄養と愛情の両方を意味するが
このように囲炉裏を囲んで食べることは
本当の滋養が得られる感じがした。


囲炉裏を囲む文化が、日本に母性社会を作り出したと言っても
大袈裟でないと思った。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 00:17

結界と縁


先週、山村に行った折りに、地元の里人から
代々暮らしてきた集落の歴史や家の歴史など
その地にまつわる、いろいろな話を聴く機会があった。


昔は養蚕や麻栽培で生計を立てていたこと
明治時代には、火災が起きて、家屋が茅葺きだったために
集落全体に燃え移ってしまったこと
その後は、火事が起きても燃え移らないように
茅葺きではなく土蔵造りの家が増えたこと、など
決して観光雑誌には取り上げられることもない
小さな集落の話をしてくださった。


車で通りすぎれば、簡単に見過ごすような集落だったが
その地の里人と関わると、いろんなものが見えてくる。


そのような話を聴いているなかで
心に残る言葉があった。


「田舎だと、お隣りさんとの敷地の境界ははっきりしねぇんだよ。
 そんなこと、こだわらねぇからな。まぁ、大体、あの辺りだろうな。」


里人と接していて、いつも感じることは
代々受け継がれている土地をどれだけ大事にしているか、ということである。


しかし、この言葉からわかるように
それだけ大事にしている土地にもかかわらず
敷地の境界にはこだわりを持っていないのだ。


都会とは違い、里人は農地を含めると広い土地を持っているから
境界が明確でなくても困らないのだろう。


ただ、それだけではない、文化的な作用、精神的な作用が
働いているように感じられた。



そのことを考えて思い浮かぶのは、「結界」と「縁」という思想だ。


結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られている。


里山に居ると、いろいろな結界が見えてくる。
集落の境にある道祖神や結界石、神社の鳥居、寺院の本堂に至る石段
家屋の門、玄関の扉、土間からの上がりかまち、敷居や畳縁など。


私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。


それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。


「郷に入れば郷に従え」という諺も、結界の思想から来たものだろう。



この結界によって区切られた空間を結びつけるのが
「縁」というものである。


この「縁」というのは、境界線と言われるような「線」ではなく
民家の縁側のような、空間として存在する。


縁側は、ソトでもありウチでもある曖昧な空間だ。


民家の軒先にかかる暖簾や生け垣、垣根のような
見えそうで見えない結界も、縁側と同じ曖昧な質を持っている。


このように、日本では、結界に区切られた空間は尊重されつつも
隣り合う空間は、曖昧な空間である「縁」によって結ばれている。



このような「結界」と「縁」の思想に基づく空間の区切り方は
日本人の精神構造に現れていると思う。


空間を人に置き換えてみると
自分と他者の互いの質は、境界によって尊重されながらも
縁側のような、自分と他者が混じり合う場が存在していることになる。


日本人は、その混じり合う場での出会いを大切にしてきたからこそ
明確な自我境界で衝突することはせずに
言葉以外での間接的な表現、察し合う感受性、譲り合いの精神を育んできたように思う。


そして、この自他が混じり合う場において、共時的な出会いが起きる。
「袖振り合うも多生の縁」とは、このことを意味している。


以前、河合隼雄氏の書籍にも書かれてあったが
本来日本人は、自我よりも自己と親和性が高い。


それはまさに、お隣りさんとの敷地の境界にはこだわりを持たないが
代々受け継いできた土地を大切にする里人の精神と重なる。


「自己の内奥と繋がっているからこそ、曖昧な境界を持つことができる強さと柔軟さ」


これこそが懐の深い、日本人の精神だと思う。


私たちは、日本人に備わる精神性を見直す必要はないだろうか。



現代は、インターネットを初めとして、外資系企業の進出を含め
グローバル化やバリアフリーが求められる時代だ。


その時代の流れのなかで、日本人が不足している
自己主張すること、責任の所在を明確にすること、公私混同を避けることなど
自我境界のしっかりした西洋から学ぶべきことは多い。


しかし、そればかりを良しとして、本来私たちの身体と心に備わっている
美質までをも失ってしまうなら、私たちは根無し草になり
国際社会のなかで右往左往するだけだろう。


日本の精神的美質と大地に根を下ろした上で
西洋の素晴らしいものを吸収し
東洋と西洋を統合していくことが、日本人としてのあり方だと思う。


投稿者 haruki : 2007年08月01日 22:47

豪雪の里


ようやく時間が出来たので
昨年末に訪れた遠くの山里に出かける。


この地域は、積雪量が多い年で5メートル以上にもなる
世界有数の豪雪地帯である。


そのような豪雪地帯には、生まれてこのかた足を運んだことがなかったので
昨年末訪れた時から待ちこがれていた。


道路脇の2メートル以上の雪の壁に感動し
朝5時から除雪車やロータリー車が動いていることに驚き
3階の屋根の上で平然と雪下ろしをする人に驚嘆する。


何もかもが新鮮である。



地元の方と話をすると
豪雪地帯での生活の大変さは切実だ。


公道は除雪車で綺麗になるが
私道は、それぞれが雪かきをしなければならない。


酷いときには、一晩で1メートルは積もるらしい。


そうなると毎朝、雪かきをしてから
仕事に出なければならなくなる。


ましてや、高齢者にとっては、さぞかし負担なことだろう。



昨夜は、その地域にある日本三大薬湯のひとつに宿をとった。


雪を見ながらの露天風呂は
風情あり、効能ありで素晴らしかった。


雪で冷えきった身体は芯から温まり
疲れが抜けていく。



風呂から出て、部屋に戻る。


夜中に、雪が降りしきる外を眺めながら、静かに座る。


雪は雨とは違い、本当に静かだ。
その静寂の世界で、1時間ほど目を閉じて座った。
容易に内面の静けさに触れていく。


この感覚は、刺激の多い都会では難しいだろう。


この地域は、歴史に名を残す数多くの師が生き
日本の霊性を深めてきた。


それは、雪に閉ざされ
否応無しに、内面に向かはざるを得なかったからかもしれない。



今日は、近くにあるブナ林に行った。


スノーシューも初体験で
道なき道を歩いていく。


よく言われることだが
足跡が全くないところを歩くのは気持ちがよかった。



最後に博物館を訪ねる。


この博物館には、国宝に指定されている縄文土器が
たくさん展示されているので、楽しみにしていた。


この地域では、火焔土器が多く出土している。


火焔土器と対座していると
縄文人の芸術性の素晴らしさと、炎のような熱き情熱が伝わってくる。


まるでゴッホのようだ。


岡本太郎氏は、この火焔土器をよく眺めていたという。
太郎氏はこのように述べている。


「日本の芸術ですばらしいのは縄文の土器と土偶のみである。」


そして梅原猛氏は、このように述べた。


「太郎の言葉として『芸術は爆発である』という言葉が有名であるが
 太郎がその言葉を発したとき、この火焔土器のことが頭にあったのではないか。
 火焔土器はまさに爆発する縄文土器といってよかろう。」



なぜ、このような豪雪地帯に縄文人は住んだのだろう。


それを知るすべはないが、このような雪深い地域だからこそ
太郎氏に「爆発だ」と言わしめた火焔土器が作られたのだと思った。


そして、その流れは、日本の霊性を深めた先人達にも受け継がれている。



生きるには過酷な地域だが
「日本の霊性」という側面では、エッセンスに満ち溢れている地域だった。


これからも、たびたび訪れよう。


投稿者 haruki : 2008年02月01日 23:08

奥への憧れ


17年前に、一番近い個人商店まで車で20分という
南アルプスの過疎村で過ごしたことが影響しているのか
それ以来ずっと、新聞もテレビもない、世間から隔絶された
自然に囲まれた環境に憧れてきた。


住まいのみならず、神社や寺院にしても
京都や鎌倉よりも、山麓にあるものの方に、何故か惹かれる自分がいる。


20年前は、年に数回、高野山に行ったものだ。
奥の院に続く道が好きだった。
特に御廟の橋を越えてからの空間は特別で
身が引き締まっていた記憶がある。


この10年間は、戸隠の奥社が気に入っている。
宝光社、中社を経て、戸隠山に近づいていき
鏡池から歩いて随神門に至り
圧倒されそうな杉並木を歩いて奥社に向かう。
奥社に向かえば向かうほど、気持ちが高まると同時に静まってくる。


気がつけば、実際の生活環境も
引越の度ごとに、東京から奥へ奥へと移り
「奥」に惹かれ続けている自分がいる。


そして今、「奥」に導かれて越後まで達し
越後奥寂庵に辿り着いた。



朝、集落の外れにある氏神様の前を通った。
丁度、朝日が鳥居に当たり、美しい光景だったので
思わずカメラを取り出して撮影した。


この氏神様も私のお気に入りの場所である。
なぜなら、集落の外れにあり、神聖な空間だから。


最近、「奥」というのは、私が惹かれるだけではなく
日本人の精神を現しているように感じている。



ヨーロッパなどでは、精神的支柱である教会は
高い塔をそびえさせて、街の中心に位置している。
それは、街の何処からでも見ることができるし
教会を中心にして街が成り立っているとも言える。


このように、しっかりと存在感を示す、父性的で全能なる神も素晴らしい。


対照的に日本では、集落にある氏神様は、集落の外れにあり
鳥居は外から見えるけれど、その奥は鎮守の杜に囲まれていて
奥行きがあり、何があるのかが全くわからない。


神道の知識がないので、全くの誤解かもしれないが
感覚として日本の神は、このように全く存在感を感じさせない
奥ゆかしい母性的な神であるように感じる。


興味深いことに、存在感がないが故に
「奥」は「空」となり、吸引力を生み出し
私たちは、磁力のように「奥」に引き寄せられるのではないだろうか。


また、「奥」は母胎のように受容してくれる場所でもある。


私たちは、「参道」を通って「お宮」にお参りに行くが
「産道」を通って「子宮」に向かう母胎回帰を象徴しているように思う。


そのようにして、私たちは、お参りに行くたびに
死と再生を繰り返している。



日本の昔の家屋も、神社仏閣のように奥行きのある空間を持たせていると
以前読んだ、藤原成一氏の本に書かれてあった。


「昔の家屋は、物質的身体的快適さや安全性よりも
 精神的なものを肌身で感じることが快さであり
 それを感じさせてくれる家が求められた」


「物心両面において、ひかえ目で質素簡素にして清潔
 そしてなによりも奥行きがあることが、家に求められる快さであった」


越後奥寂庵もそうだが、確かに昔の家屋は
玄関から入ると土間があり
履き物を脱いで上がり框から板の間に上がり
茶の間、上座敷、奥座敷へと向かうようにできている。
 

実際、越後奥寂庵で玄関から奥に向かって歩いていくと
高野山の奥の院、戸隠の奥社に向かうような
神聖さが増していく感覚がある。


特に奥座敷は、他の部屋とは違い
何かに引き寄せられるものがある。


そして、奥座敷のさらに奥には床の間があり
床の間の空間は、あたかも異次元への入口であるかのように
さらに奥にある「何か」の気配を感じさせてくれる。


藤原成一氏は、さらに続ける。


「神は清浄清明なところに宿る。奥は神の在所として、清浄清明に保たれてきた。
 空っぽに保たれてきた。イエや集落において奥であるところ
 床の間や神社は、世俗の入らない唯一の空っぽの地である」


「核の中では、心身ともに清浄でなければならない。
 心身を浄化するために、奥への道筋が設けられた。
 奥行きは、空間と心身を清浄にするためのものであった」



私は、人の表面的な言葉の背後にあるもの
こころの奥にある「美質」に意識を向ける仕事をしていることも
この「奥への憧れ」から来ているかもしれないと、最近思う。


そして、人のこころの奥にある「美質」に近づくときも
私自身、心身を清浄にしていくことが大事だろう。



存在感を誇示しない、奥ゆかしさという美徳
言葉の背後にあるものを察する感性
背後にあるものを感じたとしても、そのままにしておく情感


そのような日本人にとって大切な美質を意識して
これからも人と関わりたいと、あらためて強く思う。


投稿者 haruki : 2009年01月29日 01:48

田の字型という間取り


長い間、多くの古民家を観てきたが
越後奥寂庵も含め、例外なく「田の字型」の間取りだった。
文字通り「田」の形をした間取りである。


私は、小学校4年生までは社宅住まい
その後は、普通の住宅に住んできたので
田の字型の間取りでの生活は、体験がない。


以前、地元の方と、その方の家の前で立ち話をしていた時
大きくて立派な家であることを褒めるとこう言われた。


「昔ながらの田の字型の家だから」


廊下もない、田の字型での生活を想像すると
部屋と部屋がふすまで仕切られているだけなので
台所や洗面所の行こうとすると、他の部屋を通らなければならない。


プライバシーがない環境である。



悩みを持って相談に来る方の話のなかで
嫌な思い出として、よく聴くことがある。


それは、思春期の頃、親に自分の部屋に無断で入られて掃除をされる体験や
自分宛のはがきや手紙、日記などを親に読まれる体験である。


自分の子どもであっても、親の所有物ではないので
子どもを一人の人間として尊重すべきだと思うし
特に思春期になれば、秘密を持つことは子どもにとって自立への大切な要素となる。


子どもを愛しているからこそ、心配をし、面倒をみる親の気持ちもわかるが
同時に、子どもの秘密や尊厳をも大事にして貰いたいと思う。


ただ、田の字型の間取りを観ていて、このようなことは
単に、個々の関係性に寄るものだけではないと、思うようになった。



私たちの心、身体、精神は、意識するしないにかかわらず、環境の影響を受ける。
家族との関係はもちろんであるが
生活空間である住環境から受ける影響も大きいと思う。


日本は何百年と、田の字型の間取りにふすまや障子という生活空間だった。


それは、個を重んじる家造りではなく
部屋を繋ぎ、人の和を大切にした家造りである。


冠婚葬祭時には、ふすまが外されて大広間となり
ハレの舞台となることからもうなずける。


ふすまや障子で仕切られた家では、何処にいても
家族の気配や息づかいが感じられ
家族は各々の状態を、言葉を交わさなくても
察することができたのではないだろうか。


そのような環境から私たちは、言葉で確認し合うことよりも
察しあうこと、気持ちを汲み取ること、息を合わすことなど
非言語レベルの関わりと感受性を発達させていったのだろう。


また、ふすまや障子という淡い境界であるために
「親しき仲にも礼儀あり」という諺が示すように
逆に、礼節、義、仁、惻隠という日本的な美質が培われたように思う。



ところが、ここ数十年ほどで、住環境は大きく変わった。


1960年頃から文化住宅という和洋折衷の住宅が建ち始め
最近では、壁それ自体が構造物となるツーバイフォー、ツーバイシックス工法など
アメリカ生まれの家が多くなった。


マンションはもちろんのこと、そのような家は
部屋を繋ぎ、人の和を優先した家造りではなく
部屋を明確に分け、個を重んじることを優先した家である。


鍵をかければ家族から離れ、自分の世界に没入できることは
とても恵まれていることだ。


それは、西洋の「個」を重んじる良さであり
日本文化のなかに取り入れていく必要はある。


しかし同時に、気配を察するという非言語レベルの関わりと感受性が
長い年月をかけて、遺伝子レベルや民族的な集合無意識に染みついた
私たちにとって、混乱も生じているようにも思う。


頑丈な壁に仕切られた部屋にいる子どもの気配を感じ取ろうとしても難しく
西洋で長い年月をかけて形成されていった、個を重んじる関係の築き方もわからない親は
やむにやまれず、子どもの部屋に勝手に入り
子どもの状態を把握しようとしている部分もあるように思う。


また、「親子であろうとも人間として対等であり
責任と自己主張を伴う個人主義」が徹底されないなかで、子どもに個室を与えることは
子どもが周りへの気遣いをせず、好き勝手に行動する
一因となっているかもしれない。


数百年かけて培われた住まいの構造が、短期間に変われば
そこに住む人々の身体と心、関係性は、変化について行くことは難しいし
混乱するのが当たり前だろう。



日本は昔から、渡来するものを柔軟に吸収して
自分のものにするという懐の深さを持っているから悲観はしていない。


ただ、時間はかかるにしても
日本的な良さと弱さ、西洋的な良さと弱さ双方に目を向けて
どのように統合していくかを模索することは、大事だと思う。


投稿者 haruki : 2009年02月10日 01:53

からだは魂にとっての住み家


今、越後奥寂庵の補修工事をしていて
毎朝、大工さんと電話で打ち合わせをしている。


保険会社と自治体による損壊調査のため
何も手をつけられなかったが
7月に入りようやく補修を始めることができた。


保険会社の診断は、半壊。


一見、それほど大きな損壊があるとは思えないけれど
基礎廻りにかなりのずれが生じていることから
そのような診断が下った。


そのために、基礎廻りには大々的に補修工事が行われている。


お金はかなりかかってしまうが
これを機に、今まで以上に丈夫で良い空間にしようと思っている。


今日は、1階の床下すべてに大量の炭を入れていると連絡が入る。


今度、訪れるのが楽しみだ。



大工さんがこんなことを言っていたのが印象的だった。


「こんな家はよう、手がかかるもんだよ。
 たびたび、床下に入ってよう、様子を観るもんだ。
 こんな家は、畑と一緒でな。
 まめに手を入れる必要があるんだよう。」


また、別の業者さんはこんなことを言っていた。


「家っていうのはな、住まねぇと駄目なんだ。
 住んでいる家は、見えるところが駄目になっていく。
 でもな、住まねぇ家は、見えねぇところが駄目になってくもんだ。
 だからな、住んでやんねぇと、家が傷んでしまうぞ。」


補修が終わってからは、なるべく越後奥寂庵に滞在する日を多くしよう。



大工さんたちの話を聴いていて
人間も一緒だな、と思った。


からだのなかにしっかりと存在し
からだからのサインに耳を傾けていれば
少しの変調から、からだの状態を知ることができる。


からだに対して五感を研ぎ澄ますことによって
変調だけではなく、何処に居たいのか、何を食べたいのか、誰と会いたいのか
何を不快に感じるのか、何をしたいのか、どう感じているのか・・・などなど
いろいろと自分自身のことを教えてくれる。


でも、外側にばかり意識を向けていたり
心ここにあらずで頭のなかで空想ばかりしていたら
からだを忘れ、抜け殻状態になってしまう。


そうすると現実ではなく、仮想空間に生きることになる。


からだにしっかり根づけば
心身は生命力に溢れ、からだの動きに優雅さがもたらされて
自ずと内面から輝き出すことだろう。



からだは魂にとっての住み家だと言える。


家と同様、いつもしっかりとからだのなかに
住んでいたいものだ。


投稿者 haruki : 2011年07月25日 19:45

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