民家と墓地


昼下がりの午後、カメラを持って車に乗り
近くにある里山の村に行ってみる。


心惹かれた風景に出合うと車を停めて
ファインダーを覗き、シャッターを押す。


集落から少し離れたところに、一件の民家があった。
冬山が背景に聳える里山の風景だ。


「これは絵になる」と思い、ファインダーを覗くと
左側にある墓地が邪魔に思えた。


しかし帰りの運転中に、ふと思い浮かんだことがある。
「一昔前、先祖代々の墓は、このように家の裏にあり
 祖先や親族の亡骸は身近にあったのだ」と。


「先祖供養」という言葉は、都会に居ると
法外なお布施を求める新興宗教のようなイメージがある。
でも実際は、このように身近に先祖の亡骸が眠り
先祖に対して、敬う気持ちや守られている感覚が感じられて
自ずと供養の気持ちが生じたのだろう。


家の裏に墓があれば
インドのガンジス河岸での火葬、チベットの鳥葬まではいかなくても
死を受容していくプロセスを十分経験することが可能だと思う。


都会で死がどんどん隠されているのとは反対に
里山では、まだ死が身近にある。



30年前に都会から移り住んだ先輩が同じ地域に住んでいる。
彼はこう言った。


「30年経っても村人からは『きたりもん』と呼ばれる。
 それどころか、三世代くらいじゃまだ新参者なんだよ。」


その言葉を聞いた時は正直、「村人は、何でそこまで閉鎖的なんだ」と思った。
でも村人にしてみると、十世代以上も前からこの地に居るわけで
それだけ「この地に根づいている」ということなのだろう。


そのような根づきは、しがらみも多く窮屈な部分もあると思う。
もし私が若い頃にそのような地に居たら
苦しくて都会に飛び出していたことは明白だ。


でも、ある程度歳を重ねると
そのような「血」への根づきと、「地」への根づきを羨ましくも思う。


投稿者 haruki : 2007年01月25日 16:35

自然の神々


先週の木曜日、花見には絶好の陽気だったので
毎年この時期に必ず訪れる、近所のお寺に行ってきた。


このお寺はテレビや雑誌でも話題になったせいか
毎年、訪れる人が増えているが
平日のせいか、思ったより人が出ていなかった。


このお寺の良さは
なんといっても、桜と水仙と雪山の構図の素晴らしさである。
自然の美しさのなかに、寺院があると言ってもよい。
また、山岳信仰とは関係のないお寺だと思うが
このようにして眺めると、あたかも雪山を祀っているようにも見える。


実際に、威厳ある神々しい山の姿には、畏敬の念が湧いてくる。



そしてもう一つ、このお寺には素晴らしいものがある。
それは、境内にある一本の桜の樹。


この桜の樹は、樹齢2000年だそうだ。
人間の平均寿命を80歳とすると
この桜は、人間の25倍もの人生を生きている。


同じ場所に2000年もの間、ずっと根付き
存在し続けている桜。


もし、桜に意識があるのなら
どんなものを観て、何を感じてきたのだろうか。


花見の時期が過ぎ、人気がなくなった頃に
桜の樹の前で静かに目を閉じ
こころの耳を澄ましてみたい、と思った。



アニミズムは原始的宗教と言われるが
温暖化が深刻な現代には
アニミズムの良さに目を向ける必要があると痛切に思う。


山尾三省さんの言葉を思い出す。


「土は無限の道場、詩はそこに正座する。」


まさにこの一本の桜の樹は、三省さんの言葉を体現していた。
私にとっては、この桜の樹も雪山も神である。


投稿者 haruki : 2007年04月08日 13:01

桜の木に支えられた思い出


一昨日、まだ観光名所になっていない
地元の人しか知らない桜並木に行ってきた。


ここは、村のはずれにある農道沿いの桜並木で
とてものんびりした空気が流れている。


まさに「スローライフ」という言葉がぴったりの場所だ。


この場所が、旅行雑誌に掲載され
観光バスが行き来し、たくさんの人が押し寄せて
賑やかにならないことを祈ろう。


「ひっそりと佇む美しさが保たれますように。」



なぜ私たち日本人は、これほど桜に惹かれるのだろう。
この答えは、皆それぞれ違うと思う。


私は小学校を二度転校したこともあるだろうが
私にとっての桜は、転校した学校での新学期の始業式のイメージと重なる。


期待と不安とが入り交じった登校初日、校庭にはたくさんの桜が咲いていた。


友達がまだ一人もいない初日、桜の木の下に座って
在校生が校庭で元気にボール遊びをしているのを
羨ましさとともに眺めていたことを思い出す。


そんな心細い私の背中を、満開の桜の木は支えてくれていたのだった。


日本では新学期を4月と決めたのは
その頃の人々が季節のリズム、自然のリズムに調和していた証拠だと思う。


新しいものが生まれるエネルギーに満ち溢れる季節に
新学期を迎えられたことは幸せだった。


桜の木に感謝。


投稿者 haruki : 2007年04月14日 01:32

里人の温かさ


最近、地元の人の温かさを感じる機会が増えている。


定期的に通っている病院では、先生、看護士さんをはじめスタッフが
患者さんと心を通わせているのが、その場にいると伝わってくる。


会話のテンポものんびりしていて
方言が入っていることも影響しているのだろう。
会話に入らなくても、その場にいるだけで心が和む。


先週、病院に行く途中、いつものガソリンスタンドに寄ると
店員さんがガソリンを入れた後に、笑みを浮かべて大きな袋を持ってきた。


「今朝、タケノコ採れたから、持ってって。」


大きなタケノコと灰が入っていた。
毎年、このスタンドで貰うタケノコは格別に美味しい。


その日の午後、里山を散歩していると
田圃の近くで、地元の農家の方が何かを摘んでいるのが見えた。


挨拶をして何をしているかを尋ねると
蕗味噌を作るために蕗を採っているのだと。
蕗味噌の作り方から始まり、地元のいろんな話をしてくれ
最後に「今度、家に寄ってくだされ」と、にこやかに挨拶をして去っていった。



翌日、地元の神社で神楽があった。


天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になった時
アメノウズメが滑稽な踊りを岩戸の前で踊ったことが
神楽の起源だそうだ。


その滑稽な踊りに神々は大笑いをし
その笑いに誘われて天照大神が覗き見をしようとしたところを
引っ張り出されて、再び世界に光りが戻ったのだと。


私は神道には詳しくないが
日本の神々は、なんと大らかで生命の輝きに満ちているのだろう。


本殿の奧に地元の知人が見えたので、遠くから会釈をすると手招きされる。
近づいていくと「よう来てくれたな」と声をかけてくれ
「家に飾って」と、神楽で使用する弓矢を手渡してくれた。


連日、里人の温かさに触れ、心が満たされる。



神楽から戻って休んでいると
ドアをトントンと叩く音が聞こえた。
玄関に出ると、地元の好々爺が佇んでいた。


「散歩をしていたが、疲れてしまってのぉ。
 ちょっとそこまで車で送ってくれないかのぉ。」


里人に連日、温かく接して貰ったこともあり
里人に恩返しが出来る気がして快く引き受け、車で送っていく。
車中では世間話をするが、なんとも話すテンポがのんびりしていて心地が良かった。



田舎暮らし関連の書籍や雑誌からは
「集落の人々との付き合いでは苦労する」と脅されてきた。
その脅しのため、里人とはつかず離れずの距離を保ってきたが
もしかしたら必要以上に過敏になっていたのかもしれない。


実際に接してみると、里人は温かい心と懐の深さを持っている。
そして何より、支え合って生きる共同体が里山にはしっかりと残っている。


自然と同様、里人もいろんなことを教えてくれ、与えてくれる。
里山を囲む自然とそこに生きる里人に、私はどんな恩返しができるのだろうか
と思いを馳せた。


投稿者 haruki : 2007年04月22日 12:24

可愛らしい石仏たち


今日、ある村を初めて訪れたが
新緑の森を背景に、八重桜と菜の花が咲いていた。


思いがけず美しい風景と出合える瞬間は
感動をもたらしてくれる。


今日も美しい風景に出合えることができた。
遠くまで来た甲斐があったものだ。


角を曲がり、後ろを振り返ると
その風景のなかに、石仏が並んでいた。


新しい石仏で、顔の表情がなんとも可愛らしく
八重桜と菜の花が背後に見えることもあるだろうが
今にも踊り出しそうに見えた。


「おい、ずっと同じ姿勢で突っ立ってないで
 踊りながら春を祝おうじゃないか。」


「そうだな、今夜は祝祭の踊りだ!」


そんな会話が聞こえそうだった。



この石仏には、チューリップがお供えしてあった。


お地蔵さんなどへのお供え物を観るたびに
どんな人が、どんな気持ちでお供えをしているのだろう、と思う。


投稿者 haruki : 2007年05月02日 23:49

氏神様


最近、里山の田圃に水が入った。


田圃に水が入ると、風景が一変する。
なぜなら、水面に風景が映り、景色に深みが出るからだ。


田圃の水面に映る風景を観ていて
東山魁夷の「緑響く」を思い出した。


最初に「緑響く」を観た時、湖面に映る逆さの風景が
みごとに描かれていて、感動したものだ。


魁夷画伯の描く絵は、画伯の心象風景であるとともに
多くの日本人の心象風景でもある。
だからこそ魁夷画伯の絵は、多くの日本人の共感を得ているのだろう。
私は「緑響く」を前にして、この風景のなかに入ってみたいと思っていた。


今日、集落のはずれにある農道を車で走っていて
ふと窓の外に目をやると、「緑響く」と似ている風景が飛び込んできた。


「緑響く」のような幻想的な風景ではないが
田圃に映る緑は、画伯の心象風景の世界に足を踏み入れた気がした。



「緑響く」では、水辺に白馬が描かれているが
私が撮った画像では、白馬の位置に鳥居がある。


田畑という生活の場に、精神的な支えとなる聖域があるのは
なんと素晴らしいことではないだろうか。


自然と身近な神々に対し、畏敬の念と感謝の気持ちを抱き
大地に根づいた生活を日々繰り返すことこそが
日本的霊性の象徴であるように思う。


里山では、そのような生活が延々と続いているからこそ
里人は懐が深く、優しいのではないだろうか。


最近、心が痛む事件が新聞を賑わしているが
このような時代には、日本にもともと在る「大地の生活に根づいた霊性」を
取り戻す必要があると痛切に思う。


投稿者 haruki : 2007年05月16日 23:55

神話への親和力


今日も、田圃の水面の魅力に惹きつけられて
車を停めては、シャッターを押した。


霧と同様、水面にも惹き付けられる自分がいる。


子供の頃、水溜まりに映る景色を見て
不思議な感覚を感じていたものだ。


あたかも景色を映す水溜まりが、異次元への入口のように感じたことを
鮮明に覚えている。


子供の頃は、いろんな場所に異次元への入口があった。
道路脇にあるお稲荷さんのほこらや、石の階段の隙間など。


そのような創造性から、個人的な神話の世界が生まれていったのかもしれない。
それだけ子供は、無意識と親和性があるのだろう。


大人に成長する過程で教育を受け、社会に出ていき
私たちの現実適応力は培われていく。
それは自我形成にとっては大切なことだ。


でも、現実しか見えなくなってしまうと
子供の頃に感じていた、神話の世界を私たちは忘れてしまう。
その忘却は、人生を味気ないものにしてしまうと思う。


里山には、大人になって忘却の彼方に追いやられた
神話や無意識への親和力がある。


特に里山には、日本人としての集合無意識を想起させる力がある。
それを題材にしたのが「となりのトトロ」だろう。



水面の映る空を観ていると吸い込まれそうになる。


実際は、田圃の水深は10センチほどだろうが
映し出される空を観ていると
無限の空間が奥底に拡がっているように感じる。


霧も水面も、個人的神話や心象世界を映し出してくれるからこそ
惹かれるのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年05月17日 22:59

大地と向き合う


里山では、今が田植えの季節。


冬には閑散としていた農道は
軽トラや苗を積んだトラックで賑わっている。


現在は、殆どの田圃では田植機を使用して苗を植えているが
それでも田植機では植えられない場所や、植え付けが抜けている箇所には
手作業で苗を植えている。


私が子供の頃は、東京でも腰がかなり曲がったご老人をお見かけしたが
最近、東京ではそのような方にお目にかからない。


しかし里山では、まだまだ腰の曲がっている方をよくお見かけする。


長い年月、田植えや畑仕事をしていると
このような姿勢が定着してしまうのだろう。



このような姿勢は、身体にとって無理な姿勢なので
腰はもちろんのこと、身体のいろんな部位に負荷がかかり
痛みが生じやすかったり呼吸も浅くなりやすい。
実際、腰痛を患っている方は多いと思う。


と同時に、長い時間この姿勢で作業をしていると
下半身はどんなに鍛えられることだろう。


また、私たちの心と身体は相関しているので
落ち込んだり抑鬱的な気分になると、頭が垂れ
背中が丸くなり猫背になる。


だから、腰が90度曲がっているご老人を観るにつけ
「空は見にくいし、下ばかり見ていると、気持ちも暗くなるのではないか」
という思いがあった。


それは当事者に訊いてみないとわからないことだが
ただ、下を向くということを、ネガティブに捉えている自分に気づいた。



この方達の生活は、大地と向き合っている生活だった。


人生の大半を大地と向き合っている方達は
どんな人生観、価値観をお持ちなのだろう。


「希望を抱いて上を向き、胸を張って生きていくこと」も大切なことだ。
しかし、大地と向き合って生きることは
別のリアリティを与えてくれるのかもしれない。


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出した。


投稿者 haruki : 2007年05月23日 13:22

無為の行為からの音


今日は、初夏のような陽気だったので
夜は、網戸で過ごす。


網戸にすると、夜の冷気と静けさが家に染み入ってくる。
それとともに遠くの里の田圃からカエルの合唱が聞こえてくる。


目を閉じ、音楽もテレビもない静けさのなか
ただ、遠くからのカエルの合唱に耳を済ましていると
季節を感じることはもちろんだが、心の琴線に触れる。


秋の夜に鈴虫の音に耳を済ますときと、同じ琴線に触れる。


それはなぜだろう。


私は、カエルの合唱や鈴虫の音は
静けさを遮る音ではなく、静けさに溶け入る音
私たちの心を、静けさのなかに埋没させてくれる音のように想う。


それは、あたかも山水画のようでもあり
禅寺にある獅子脅しのようでもある。


人工的に創り出した無音の環境よりも
むしろこのようなカエルの合唱や鈴虫の音があった方が
心の内にある静寂に至ることができるのかもしれない。


自然が奏でる音は、世界で著名な演奏家の演奏に引けを取らないと思う。
否、それ以上のものかもしれない。


なぜなら、表現しようという意図すらない無為の行為だから。


この無為の行為からの音だからこそ
私たちは、静寂に導かれるのだろう。



このような感覚を日本人は、古来から大事にしてきた。


日本人に生まれてきたことに感謝しつつも
日本人としてこの感覚を大切に育み
多くの人に分かち合いたいと思う。


投稿者 haruki : 2007年06月07日 00:05

害獣という名の動物


里山での田畑では、農作物が成長し
地元の店には、旬の野菜が並んでいる。
しかもありがたいことに、無農薬有機栽培の野菜が多い。


その日の朝に収穫した新鮮な野菜や、地元農家の天日干しの米が
都会より安く手に入ることは、生産地に暮らす良さだろう。


しかし、生産地に暮らすということは
いろんなことを考えさせられる。


里人との会話で必ず出る話題は、農作物の被害についてだ。
それも「害獣」と呼ばれる猪、猿、鹿について。


時期が来ると、迷彩服にオレンジ色の派手なベストを着たハンター達が
猟犬を従えて「害獣駆除」の名目で山に入ってくる。
遠くに響き渡る散弾銃の音を聞くと、心が痛む。


猿だけは、駆除をするのに報酬が出るらしい。
駆除をする際に、子猿は人間の子供に見えるから
ハンター達は、撃ちたがらないそうだ。


子猿は、散弾銃で狙いを定められると
ハンターに向かって手を合わせ、祈るような仕草をする
と聞いたことがある。



里人の立場に立ってみると、お金と時間と愛情を注ぎ込んだ田畑が
動物たちに根こそぎ荒らされるなら、経済的損失は言うに及ばず
感情的に許せない気持ちになるのも理解できる。


都会に居ると、お金を支払いさえすれば、食材は簡単に手に入り
生産地で起きていることまでは思いも及ばない。
食材は、料理の単なる材料でしかない。


しかし生産地に暮らしてみると、食肉はもちろんのこと
農作物も、多くの命の犠牲の上に存在することを痛感する。


私たちのために犠牲となった多くの命に対して、感謝の祈りを捧げ
「生かさせて頂いている」という謙虚さをもって生きることが
人間としての責任ではないだろうか。



最近、命を軽んじる事件が多い。
命を軽んじる背景には、「人間は多くの命によって生かされている」という現実を
肌で感じる機会が少なくなっていることもあるように思う。


動物に対する感謝の気持ちをもち、動物を害獣ではなく神や神の使者とみなしている
アラスカやアイヌなどの先住民族の智慧や生き方からも
私たちは多くを学べるはずだ。


私たちの生活は、多くの命の犠牲の上に成り立っている。
その事実を、しっかりと受け止める必要がある。


投稿者 haruki : 2007年06月14日 11:33

素晴らしき山村との出合い


今日は、梅雨の時期にもかかわらず、初夏の爽やかな気候だったので
近頃行ってみたいと思っていた山村に向かった。


いつもは、別の村に行くために
この山村近くのインターチェンジは通り過ぎていた。
だから今日初めて、このインターチェンジで降りる。


天気がよく、山並みが遠くまで、くっきりと見えたこともあり
山深い土地にもかかわらず、それほど閉鎖的な感じがせず
とても気に入った。



いつも家から眺めている山々も気に入っているが
ここで眺める山々は、印象が違って見える。


いつも眺めている山々は、家が山麓にあることもあって
山々の懐に私個人が抱かれている感じがする。


それに比べて今日眺めた山々は、遠くに長く連なり
大袈裟な言い方だが、日本列島を支えている感じがした。
まさに「日本の屋根」と呼ばれるには相応しい、堂々たる存在感だ。



このような山深い土地で、農業をされている方々が居ることも驚いた。
天気の良い日に、観光気分で車で走っていると気持ちいい。
しかし、一生、このような山深い土地に暮らすことは、厳しいことだと思う。


道路脇の石碑には「農魂」と刻まれていた。


このような決意を持たないと、この土地で農業はできないのだろう。
辛い時には、この言葉を心に刻み込み、自分を奮い立たせるのかもしれない。


都会に育った私にとっては、想像を絶する世界だ。



また、それだけ厳しい環境だからこそ
信仰心も育まれ、霊性も鍛えられるのかもしれない。


この山村の入口には、変わった道祖神が祀られている。


滑稽で親しみを持って旅の安全を守ってくれると同時に
邪悪なものを村に入れないような恐さを持つ道祖神。


正月のしめ縄で作ると説明書きにあった。
毎年、年の初めに、一年の祈りを込めて作るのだろう。


親しみと恐さを持つ神というのは
村人たちの神に対する想いを反映していると思った。


これらの神々は、決して遠くにいるのではなく
近くで見守ってくれる存在たちだった。



山村には、棚田があり
その向こうに、集落がぽつりぽつりと点在していた。


日本人の原風景のような光景で
原田泰治さんの絵の世界が、そこには拡がっていた。


素晴らしい山村との出合いがあった、良い一日だった。


投稿者 haruki : 2007年06月17日 00:02

結界と縁


先週、山村に行った折りに、地元の里人から
代々暮らしてきた集落の歴史や家の歴史など
その地にまつわる、いろいろな話を聴く機会があった。


昔は養蚕や麻栽培で生計を立てていたこと
明治時代には、火災が起きて、家屋が茅葺きだったために
集落全体に燃え移ってしまったこと
その後は、火事が起きても燃え移らないように
茅葺きではなく土蔵造りの家が増えたこと、など
決して観光雑誌には取り上げられることもない
小さな集落の話をしてくださった。


車で通りすぎれば、簡単に見過ごすような集落だったが
その地の里人と関わると、いろんなものが見えてくる。


そのような話を聴いているなかで
心に残る言葉があった。


「田舎だと、お隣りさんとの敷地の境界ははっきりしねぇんだよ。
 そんなこと、こだわらねぇからな。まぁ、大体、あの辺りだろうな。」


里人と接していて、いつも感じることは
代々受け継がれている土地をどれだけ大事にしているか、ということである。


しかし、この言葉からわかるように
それだけ大事にしている土地にもかかわらず
敷地の境界にはこだわりを持っていないのだ。


都会とは違い、里人は農地を含めると広い土地を持っているから
境界が明確でなくても困らないのだろう。


ただ、それだけではない、文化的な作用、精神的な作用が
働いているように感じられた。



そのことを考えて思い浮かぶのは、「結界」と「縁」という思想だ。


結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られている。


里山に居ると、いろいろな結界が見えてくる。
集落の境にある道祖神や結界石、神社の鳥居、寺院の本堂に至る石段
家屋の門、玄関の扉、土間からの上がりかまち、敷居や畳縁など。


私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。


それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。


「郷に入れば郷に従え」という諺も、結界の思想から来たものだろう。



この結界によって区切られた空間を結びつけるのが
「縁」というものである。


この「縁」というのは、境界線と言われるような「線」ではなく
民家の縁側のような、空間として存在する。


縁側は、ソトでもありウチでもある曖昧な空間だ。


民家の軒先にかかる暖簾や生け垣、垣根のような
見えそうで見えない結界も、縁側と同じ曖昧な質を持っている。


このように、日本では、結界に区切られた空間は尊重されつつも
隣り合う空間は、曖昧な空間である「縁」によって結ばれている。



このような「結界」と「縁」の思想に基づく空間の区切り方は
日本人の精神構造に現れていると思う。


空間を人に置き換えてみると
自分と他者の互いの質は、境界によって尊重されながらも
縁側のような、自分と他者が混じり合う場が存在していることになる。


日本人は、その混じり合う場での出会いを大切にしてきたからこそ
明確な自我境界で衝突することはせずに
言葉以外での間接的な表現、察し合う感受性、譲り合いの精神を育んできたように思う。


そして、この自他が混じり合う場において、共時的な出会いが起きる。
「袖振り合うも多生の縁」とは、このことを意味している。


以前、河合隼雄氏の書籍にも書かれてあったが
本来日本人は、自我よりも自己と親和性が高い。


それはまさに、お隣りさんとの敷地の境界にはこだわりを持たないが
代々受け継いできた土地を大切にする里人の精神と重なる。


「自己の内奥と繋がっているからこそ、曖昧な境界を持つことができる強さと柔軟さ」


これこそが懐の深い、日本人の精神だと思う。


私たちは、日本人に備わる精神性を見直す必要はないだろうか。



現代は、インターネットを初めとして、外資系企業の進出を含め
グローバル化やバリアフリーが求められる時代だ。


その時代の流れのなかで、日本人が不足している
自己主張すること、責任の所在を明確にすること、公私混同を避けることなど
自我境界のしっかりした西洋から学ぶべきことは多い。


しかし、そればかりを良しとして、本来私たちの身体と心に備わっている
美質までをも失ってしまうなら、私たちは根無し草になり
国際社会のなかで右往左往するだけだろう。


日本の精神的美質と大地に根を下ろした上で
西洋の素晴らしいものを吸収し
東洋と西洋を統合していくことが、日本人としてのあり方だと思う。


投稿者 haruki : 2007年08月01日 22:47

黄金色の風景


今、田圃では、稲穂は頭を垂れ、稲の葉は黄緑色になり
遠くからは、田圃が黄金色に輝いて見える。


自分のエッセイの画像を振り返って観てみると
田圃の画像が多いことに、あらためて気づく。


このエッセイを始めるまで
これほど田圃の画像を撮るとは
予想だにしていなかった。


春、田圃に水が入り、水面に風景が映り風景が深くなっていた。
上の画像は、春先のエッセイ、「氏神様」で載せた画像と
同じ構図で撮影したものだが、同じ風景でも季節が変わると
こうも違う印象を与えてくれる。


森の緑を映していた水面は、今ではまるで黄金色の絨毯のようだ。



その後には、田植えがあった。
腰を屈めて植えられた小さな苗が、少しずつ育っていった。


植えられてすぐの頃は、少し緑色はしているものの
まだ、風景を水面が映し出していた。


そして梅雨の時期に、苗はぐんぐんと成長し
夏になると、青空と積乱雲の下
田圃は深い緑色で、そよ風になびいていた。


そして秋の今、一面の黄金色になり、収穫の時期を向かえている。



このように木で稲架を組んで
刈り取った稲穂を掛けていく天日干しは
まだまだこの地には多い。


コンバインで刈り取って火力で乾燥させる行程に比べると
天日干しは、人の手で行うので
かなり手間暇がかかるらしい。


それでも、天日干しにするのは、味が如実に違うから。



コンバインで刈り取って、火力で急激に乾燥させるのとは違い
自然の太陽の光ものと、徐々に乾燥させていくことで
米が割れにくいそうだ。


そして刈り取られた後も、最後の最後まで
栄養分を米に送っていると聞いたこともある。


ありがたいことに、もうすぐ天日干しの新米が店先に並ぶ。


天日干しを行っている農家の方々に感謝である。



黄金色の田圃の上には
赤とんぼがたくさん飛んでいた。


その光景を見ていたら、「赤とんぼ」を口ずさんでいた。


20代、30代と、唱歌を口ずさむことはなかったが
このように里山の近くに住むようになって
唱歌というものが、里山の風景をいかに美しく表現しているか
よく分かった。


唱歌の表現する日本の美しさが、なるべく多く残されますように。


投稿者 haruki : 2007年09月19日 22:01

魂への滋養


今日は、自動車免許の更新のために山から降りる。


遠回りだが、最近見つけた、昔ながらの町並みが残る道を走る。


途中、一本の桜が目に飛び込んできた。
光の加減で紅葉した葉っぱが透けて輝いていた。


瞬時に、その光景に心惹かれたが
運転をしていたので、そのまま通り過ぎる。


心残りはあったが、「帰りに写真を撮ればいいか」
と自分を納得させた。


でも、戻りたい衝動にどうしても駆られ
手続きの受付時間を気にしながらも車をUターンさせて
桜の木に向かった。


車を停めてカメラを取り出し、撮影ポイントを探して走り回る。
残念ながら良い撮影ポイントは見つからない。


時間がなかったので妥協して写真を撮る。


すると数分も経たないうちに、光線の加減が変わってしまった。


自然相手だと、心惹かれる瞬間が「そのタイミング」であることを
あらためて感じさせてくれた出来事だった。



フランスから来たトレーナーの言葉を思い出す。


「食べ物は心身に滋養を与えるが
 感覚を味わうことは魂に滋養を与える。」


まさに、心惹かれる瞬間は「魂からの叫び」だ。


その叫びに耳を傾け、行動を起こすことで
魂に滋養を与えることができるのだ。



無事、更新手続きが終わり、帰路についた。


途中で、何故だかわからないが、どうしても左折をしたくなった。
その衝動に従い、左折して車を走らせる。


ふと左を向くと、そこには夕陽のなかに富士山が浮かび上がっていた。



自然のなかでは、感覚が研ぎすまされ
魂が喜んでいく。


誰もが自然を求めるのは、魂からの叫びなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年11月14日 18:47

柿の季節


里山にいると、干し柿にするために
軒先に柿が吊るされている光景をよく目にする。


生のままでは食べられない渋柿が
日の光によって、甘い食物になる。


最初にそのようなことを誰が発見したのだろう、と思いを馳せる。


また、柿は食べるだけではなく
古来から日本では柿渋として重宝されてきた。


柿渋は、柿の果実を搾った液を発酵させたものだ。
この柿渋は、おもに防腐剤として
木工品や建築の塗装の下地塗りとして用いられてきた。


現在は、新建材に取って代わられているが
シックハウス症状を起こさない塗料として
見直されている。


柿渋が塗られた柱や梁を見たことがあるが素晴らしかった。


なぜなら、元々の木材の味わいに
より深みを持たせているように見えたから。



聴き間違いでなければ
戦争中、漆喰の土蔵だと空から認識され、爆撃を受けるからと
土蔵に柿渋を塗ったそうだ。


実際に、里山では赤い壁の土蔵によく出合う。


私は戦後生まれではあるが、赤い壁の土蔵の前に立つと
その当時の人々の気持ちに、触れているようだった。


どんな思いでこの壁に柿渋を塗ったのだろう。


古い建物には、歴史が刻まれている。



その赤い壁の前に立った時
先日行った、介護予防教室のことが思い出された。


会場に、一組のご夫婦がいらした。
旦那さんは杖をつき、奥さんが付き添われていた。


様子を見ていると奥さんが
無理矢理、旦那さんを連れてきた感じだった。


教室が始まる前、旦那さんがトイレに行っている間に
奥さんと立ち話をした。


「あの人は中学を出てすぐに軍隊に入り、戦争をくぐり抜けてきた人でね。
 終戦後は、ずっと自衛隊にいたんですよ。
 だから、楽しむことをしてこなかった人なんです。
 それもあって、教室とかで人から指図されるのがとても嫌いでね。


 でもねぇ、心臓を煩っているから少しでも元気になって貰いたいと思って
 本人は嫌がるんですけど、何とか連れてきたんですよ。」


確かに旦那さんは、不機嫌そうな面持ちで椅子に座られた。


介護予防教室を行っている間
私は、その旦那さんのことを気にかけていた。


そこには太鼓を、表情一つ変えずに叩いている姿があった。



最後のシェアリングの時に、その方の表情が
初めて柔らかくなり、このように話をしてくださった。


「私は伊豆で生まれ育ちましたが
 太鼓を叩いている時に
 子供時代に、よく聴いていたお祭りのお囃子が思い出され
 自分がそのお囃子を叩いているようでした。


 楽しい時間でした。
 ありがとうございました。」


無表情だったその人の奥から、笑顔と輝きが現れたことが
何より嬉しくて、心からその方にお伝えした。


「ようこそ、お越しくださいました。
 こちらこそ、ありがとうございました。
 またお待ちしていますね。」


投稿者 haruki : 2007年11月23日 19:01

雪と棚田


今回は、今までよりもさらに遠くの地域に向かった。
初めて向かう地域なので、出かける前から期待が高まっていた。


家を出る時は快晴だったのだが
途中で雲が増え始め、雨になる。


そして、目的地は雪だった。


地域が変わると、これほどまでに天気が違うものか、と驚く。


今まで通っていた山村とは、また違ったエネルギーの地域だった。



この地も気に入ってしまう。


なにしろ棚田の規模が違うのと
山間の集落だが開放的で
雪が降っているにもかかわらず、暗く重たくなかったからだ。


そして、日本の原風景がしっかりと残っている地だった。



この地は、家からは遠くではあるけれど
頻繁に訪れたい気持ちになった。


それは、この棚田が四季を通じて
どんな表情を見せてくれるのか、観てみたくなったから。



来年早々、雪深い時にまた来よう。


雪が深々と降りしきるなか、静寂を感じてみたい。


帰ってきたばかりなのにもかかわらず
次回の訪れを、もう楽しみにしている自分がいる。


投稿者 haruki : 2007年12月21日 23:01

日本的霊性の深化


先週は、ある国際会議が黒部であったおかげで
親鸞ゆかりの地を再び訪れることができた。


前回、訪れることが出来なくて心残りだった神社に向かう。


この神社は、流罪になった親鸞が上陸して
最初に参拝した神社であると言われている。



親鸞は、早く赦免になるよう
そして念仏が盛んになるよう、祈願したという。


その時の状況から
親鸞がそのように祈願する気持ちはわかる。
しかし、神仏習合に詳しくないからかもしれないが
素朴な疑問が浮かぶ。


「将来を約束された比叡山を降り
 既成仏教から反発を受けながらも、阿弥陀仏に帰依する親鸞が
 流罪の地で、なぜ最初に神社に参拝したのだろうか。」


神仏習合については今後、学んでみたいと思うが
他宗教を異端と決めつけ、数多くの宗教戦争を行なってきた一神教の宗教では
このようなことは想像し難いことだろう。



鈴木大拙老師は、日本的霊性の目覚めとして
越後に流罪になった親鸞を重要視している。


「宗教は、親しく大地の上に起臥する人間
 即ち農民の中から出るときに、もっとも真実性をもつ。」


「本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して
 遺憾なきものは親鸞上人である。」


「親鸞が、具体的事実としての大地の上に
 大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して
 彼らの大地的霊性に触れたとき
 自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。」


「親鸞は、どうしても京都では成熟できなかったであろう。
 京都には、仏教はあったが日本的霊性の経験はなかったのである。」


これらの老師の文章を読むと
親鸞の流罪が、日本人の精神性に
どれほど大きな影響をもたらしたかがわかる。


もともと親鸞は、神仏習合の精神を持っていたからこそ
越後の地で、大地性を柔軟に吸収して
霊性を深めることができたのだと思う。



そして、梅原猛氏はさらに
大地性の起源を「農民」から「縄文人」へと、推論を押し進める。


「親鸞が、越後で宗教的霊性に目覚めたのは
 後の上杉謙信同様、縄文時代の霊性の名残をとどめるこの地から
 何らかの影響を受けたゆえであろうか。」


親鸞は、周囲から尊敬されても天狗にならず
弟子も取らず教団も作らず
最後まで自分の足元を見続けた
阿弥陀仏に帰依する凡夫だったと思う。


これだけの人が凡夫で在り続けることは
凡人には難しいことだ。


そのような在り方は
万物を人間と同等としていた縄文時代の霊性を基層にした
「大地性」ゆえかもしれない。


デクノボーに憧れていた宮沢賢治を思い出す。



先週行なわれた国際会議は、ひきこもりやニートに関するものだったが
何人かの発表者が以下のように述べていた。


「NPOなどの民間団体が連携して
 縦割り行政に働きかけていくことが
 社会を変えていくと思う。」


このような提唱が、神仏習合が強固になった白山と
霊性を深めた越後との間で行なわれたことは
私にとっては意味深かった。


実際、すべての発表者は
ご自身の信念を貫き、長年行動してきているにもかかわらず
ご自身の活動に固執せずに周りに開かれていた。



帰りに日本三大薬湯のひとつに立ち寄る。
疲れた心身が癒される。


豪雪地帯のため、まだ残雪があったが
少しずつ棚田に人が入り、田んぼの準備をしていた。


またこの地に来よう。



投稿者 haruki : 2008年04月10日 01:12

魂を育む大地


丁度、去年の今頃、田圃の水面に惹かれて写真を撮っていた。
そして今年も相変わらず、田圃の水面に惹かれている。


これほどまでに、田圃の水面に惹かれていても
天候、風景、田圃の水入れ、すべてのタイミングが揃うのは
一年のうち、ほんの数日だ。


今朝は天気がよかったので、眠い目を擦りながらも思い切って起き
カメラを持って車に乗り込む。


田圃の水面を見つけると車を停め
水面に映る風景を確認しながら撮影ポイントを探し
惹かれた風景に出合うとシャッターを押す。


その行動を繰り返していると、先ほどまでの眠気がなくなって
感覚が冴え渡り、魂が活き活きと喜んでいた。



魂が感応し夢中になると、どんなに身体が疲れて消耗していても
活き活きしてくるのは何故だろう。


「ねばならぬ」でいやいや行動していると、身体は消耗するが
魂が感応し夢中になり、その感覚に身を委ねていくと
疲れた身体が元気になっていく。


そういう意味で、身体は正直だ。


私たちは、魂を日常の意識で直接実感することは難しい。
でも身体が、魂に添っているかどうかを知るバロメーターになる。



身体は、魂の乗り物。


そして身体は、魂を育む大地である。


投稿者 haruki : 2008年05月15日 19:04

初詣での出会い


三が日に、都内で初詣をした。


参道では、たくさんの人が行き交い
焼きそば、お好み焼きなどの屋台が脇をかため
威勢のいい呼び込みの声が響き
食欲をそそる匂いが漂ってくる。


普段は慌ただしく仕事をしているであろう人も
家族と幸せそうにゆったりと歩いている。


朝の満員電車は、ギスギスしていて苦手だが
参道を賑わす人々のなかにいるのは
人々の緩やかな気持ちが伝わってきて心地がいい。



山に戻ってから、山麓の神社にお参りをした。


三が日が終わったからなのか
山麓の神社には、誰一人いなかった。


この神社は、集落からずっと山の奥に入ったところにあるため
誰もいないと、少し心細い。


それでも、新しいしめ縄が張られていることから
新年の雰囲気が漂っていた。



神社の脇の方に佇む小さな石仏に目がとまる。


説明書きが何もない苔むした石仏。


苔で何が彫られているのかわからないが
紙垂の間から見せる顔から
狛犬とは対照的な深い静けさを感じた。


脇の方で静かに佇む在り方から
「自分が自分が」という「我」が少しも感じられない。


そのような在り方に憧れる。


名も無き小さな石仏に出会えてよかった。


一年の始まりの良き出会いに、感謝。


投稿者 haruki : 2009年01月05日 16:49

奥への憧れ


17年前に、一番近い個人商店まで車で20分という
南アルプスの過疎村で過ごしたことが影響しているのか
それ以来ずっと、新聞もテレビもない、世間から隔絶された
自然に囲まれた環境に憧れてきた。


住まいのみならず、神社や寺院にしても
京都や鎌倉よりも、山麓にあるものの方に、何故か惹かれる自分がいる。


20年前は、年に数回、高野山に行ったものだ。
奥の院に続く道が好きだった。
特に御廟の橋を越えてからの空間は特別で
身が引き締まっていた記憶がある。


この10年間は、戸隠の奥社が気に入っている。
宝光社、中社を経て、戸隠山に近づいていき
鏡池から歩いて随神門に至り
圧倒されそうな杉並木を歩いて奥社に向かう。
奥社に向かえば向かうほど、気持ちが高まると同時に静まってくる。


気がつけば、実際の生活環境も
引越の度ごとに、東京から奥へ奥へと移り
「奥」に惹かれ続けている自分がいる。


そして今、「奥」に導かれて越後まで達し
越後奥寂庵に辿り着いた。



朝、集落の外れにある氏神様の前を通った。
丁度、朝日が鳥居に当たり、美しい光景だったので
思わずカメラを取り出して撮影した。


この氏神様も私のお気に入りの場所である。
なぜなら、集落の外れにあり、神聖な空間だから。


最近、「奥」というのは、私が惹かれるだけではなく
日本人の精神を現しているように感じている。



ヨーロッパなどでは、精神的支柱である教会は
高い塔をそびえさせて、街の中心に位置している。
それは、街の何処からでも見ることができるし
教会を中心にして街が成り立っているとも言える。


このように、しっかりと存在感を示す、父性的で全能なる神も素晴らしい。


対照的に日本では、集落にある氏神様は、集落の外れにあり
鳥居は外から見えるけれど、その奥は鎮守の杜に囲まれていて
奥行きがあり、何があるのかが全くわからない。


神道の知識がないので、全くの誤解かもしれないが
感覚として日本の神は、このように全く存在感を感じさせない
奥ゆかしい母性的な神であるように感じる。


興味深いことに、存在感がないが故に
「奥」は「空」となり、吸引力を生み出し
私たちは、磁力のように「奥」に引き寄せられるのではないだろうか。


また、「奥」は母胎のように受容してくれる場所でもある。


私たちは、「参道」を通って「お宮」にお参りに行くが
「産道」を通って「子宮」に向かう母胎回帰を象徴しているように思う。


そのようにして、私たちは、お参りに行くたびに
死と再生を繰り返している。



日本の昔の家屋も、神社仏閣のように奥行きのある空間を持たせていると
以前読んだ、藤原成一氏の本に書かれてあった。


「昔の家屋は、物質的身体的快適さや安全性よりも
 精神的なものを肌身で感じることが快さであり
 それを感じさせてくれる家が求められた」


「物心両面において、ひかえ目で質素簡素にして清潔
 そしてなによりも奥行きがあることが、家に求められる快さであった」


越後奥寂庵もそうだが、確かに昔の家屋は
玄関から入ると土間があり
履き物を脱いで上がり框から板の間に上がり
茶の間、上座敷、奥座敷へと向かうようにできている。
 

実際、越後奥寂庵で玄関から奥に向かって歩いていくと
高野山の奥の院、戸隠の奥社に向かうような
神聖さが増していく感覚がある。


特に奥座敷は、他の部屋とは違い
何かに引き寄せられるものがある。


そして、奥座敷のさらに奥には床の間があり
床の間の空間は、あたかも異次元への入口であるかのように
さらに奥にある「何か」の気配を感じさせてくれる。


藤原成一氏は、さらに続ける。


「神は清浄清明なところに宿る。奥は神の在所として、清浄清明に保たれてきた。
 空っぽに保たれてきた。イエや集落において奥であるところ
 床の間や神社は、世俗の入らない唯一の空っぽの地である」


「核の中では、心身ともに清浄でなければならない。
 心身を浄化するために、奥への道筋が設けられた。
 奥行きは、空間と心身を清浄にするためのものであった」



私は、人の表面的な言葉の背後にあるもの
こころの奥にある「美質」に意識を向ける仕事をしていることも
この「奥への憧れ」から来ているかもしれないと、最近思う。


そして、人のこころの奥にある「美質」に近づくときも
私自身、心身を清浄にしていくことが大事だろう。



存在感を誇示しない、奥ゆかしさという美徳
言葉の背後にあるものを察する感性
背後にあるものを感じたとしても、そのままにしておく情感


そのような日本人にとって大切な美質を意識して
これからも人と関わりたいと、あらためて強く思う。


投稿者 haruki : 2009年01月29日 01:48

味噌仕込み


節分の豆蒔きをした翌日の立春の今日、味噌を仕込んだ。


昨日のうちに、23キロの大豆を洗って水に浸しておいたので
今朝は、9時にご近所の方々が集まり、作業を開始。


2年前もお隣りのお庭で仕込ませて頂いたが
今年も、同じ場所に釜を置かせて頂く。


9時に伺った時点で、すでに釜に火を入れて
大豆を煮始めてくださっていた。


時々、大豆の柔らかさ加減を見るために、一粒ずつ食べてみるが
味付けを何もしていないにもかかわらず、これが美味しい。
自然な甘みだけで十分戴ける。


お湯が吹けば水を差し、薪を動かして火の調節をし
アクが溜まれば、取り除く。


そのような作業をしながら、ご近所の方々と雑談をして
楽しい時間を過ごす。


1時間半で、丁度良い柔らかさになった。



軽トラの荷台に養生シートを敷き詰めてアルコール除菌をし
ミンサーを乗せて、次の行程の準備をする。


軟らかくなった大豆を水切りし、どんどんミンサーに入れていき
ミンチ状になった大豆を、養生シートに均一に広げていく。


大豆が冷めたところで塩を撒き、まんべんなくかき混ぜ
その後に米麹と麦麹を撒いて、丁寧に混ぜる。


混ぜ終わると、団子状に丸めていく。


この作業は、かなりの力仕事である。


ちなみに、下の画像の団子は、総量の1/4である。



今回は、大豆の量が多かったので
これまでの行程をもう一度繰り返す。


この行程がすべて終わり
消毒した樽に、空気が入らないように、しっかりと詰め込む。


最後に、表面に塩を撒き、ラップをかけてフタをして終了。


終わったのは午後1時半。
4時間半の作業で、総量85キロの味噌を仕込むことができた。



終了後、外で、ご近所の方々とビールやお酒を飲みながら
それぞれが持ち寄った、炊き込みご飯、おにぎり、豚汁
漬け物、惣菜、お汁粉を食べて、幸せなひとときを過ごした。


半年後に、樽を開けて天地返しをするが
今回の味噌はどんな味になっていることだろう。


今から楽しみである。


投稿者 haruki : 2009年02月04日 22:30

トラクターの威力


昨夜は、3時間半しか眠っていなかったが
朝起きて雨が上がっているのを確認して、実行することにした。


実行するのは、休耕地の開墾作業。


実は1年前、里山にある休耕地を地元の方からお借りしたが
この1年ずっと忙しくて、昨年は結局、刈払いもできなかった。


今年こそは、周囲の畑と田んぼに迷惑がかからないよう
せめて刈払いだけはしようと思っていたし
できるなら少しずつ開墾して、菜園を作りたいという思いもあった。


先週、休耕地の前を通ったときに
雑草がかなり背を伸ばしているのを目の当たりにしたことと
先週購入した越前と土佐の鍬を試したい気持ちもあったので
雨が降らなければ、今日開墾を始めようと決めていた。



休耕地に、鍬、鎌、刈払機、レーキ、シャベルなどを持って行く。


周囲の畑と田んぼの広さに比べると
休耕地は小さく見えていたが
実際に刈払いを始めると、広いこと広いこと。


100坪近くはあると思う。


刈払いが済み、刈った雑草をレーキで集める。


そして、鍬で土を耕していくが
長い間、休耕地になっていたのだろう
敷地一面に、ヨモギの根っこが蔓延っていた。


途方に暮れていると
お隣りの畑で作業をしていた知人が、声をかけてくださる。


「趣味で行うんだから
 楽しく農作業をしないとね。
 一度にやろうとするのではなく
 気長に、毎年少しずつ開墾して
 菜園を拡げていけばいいんだから。」


それもそうだな、と思い直して
開墾をしていると、車が停まり声が聞こえた。


声の主は、近くに住む知人だった。


「刈った草を脇にはけてくれれば
 トラクターを持ってきて一気にやってやるよ。
 トラクターだったら、このくらいの面積なら3分だから。」


10分ほどしたら、大きなトラクターがやってきた。


凄い勢いで土を耕していく。


感動ものだった。


感謝の気持ちを伝えてから
どのようにお礼をすればいいかを聴くと、こう言われた。


「そんなのいいんだよ。ボランティアさ。」


ありがたい。今度、お酒でも持って行こう。



越後奥寂庵にいたときに、好意で除雪作業を
あっという間にしてくれたことを思い出す。


越後は、摩訶不思議な土地で
何か困ったことがあると、必ず村人と出会って解決できたが
山梨もそうなんだ、と実感した。


大地の近くにいると、そのような共時的なことが起きるのかもしれないし
私が行くべき方向に、導いてくれているのかもしれない。


3時間半しか眠っていなくても
身心ともに、活き活きする農作業。


身心が活き活きすることは、自分へのメッセージ。


これからも時間が許す限り、農作業をしよう。


投稿者 haruki : 2010年05月25日 21:49

土との触れ合い


この3ヶ月、「森の生活」も、「越後奥寂庵だより」も
読んでくださっている方には申し訳ないと思いつつ
更新できなかった。


それは休みになると、ほとんど外にいるために
パソコン離れをしているから。


森では朝から日が暮れるまで畑に出ているし
越後では、やはり朝から日が暮れるまで敷地の草刈りのため刈払機を担いでいる。


ニッカボッカに地下足袋を履き、足首に脚絆を巻き付けて
首には濡れたタオルを巻いてTシャツのなかに入れ
軍手をはめるのが、休日スタイル。


いずれにしても土と触れ合いながら
身体を動かすのは気持ちがいい。



いざ畑を始めてみると知らないことばかり。
地元の農家の方をはじめ、通りすがりの諸先輩方に相談しながらも
試行錯誤の連続だ。


みなさんからは、温かい言葉をかけて頂いているが
内心、「なにをやっているんだろう」と思われていることだろう。


それでも、畑を介して
地元の方々と交流できるのは嬉しい。



無農薬有機栽培で行っているので
この1年は何でも実験だという気持ちでいるが
先日、通りかかった地元の方にこう言われた。


「もう60年以上も農業をしているが、毎年ほやほやの1年生だよ。
 昨年うまくいったからといって、今年同じことをしても
 うまくいくとは限らない。
 なんといってもお天道様次第だからね。
 農業は奥が深いんだよ。」



「毎年、実験になるのか」と思うと気が遠くなるけれど
それだけ面白いとも言える。


そのように実験として始めたけれど
収穫してみると予想以上に採れて、消費するのに大変。


しかも、甘かったり、柔らかいのにしっかりしていたり
香りが強かったりと、本当に美味しくて幸せになる。



この3ヶ月で作った野菜は、以下の通り。


ミニトマト、大玉トマト、きゅうり
長なす、水なす、普通のなす
ピーマン、セニョリータ、バナナピーマン、万願寺、唐辛子
トウモロコシ2種類、長ネギ、シソ、バジル
枝豆、チンゲンサイ、ルッコラ



昨日は、終わった夏野菜を抜いて、完熟堆肥と有機肥料をすき入れ
土を作っていたところには、秋冬野菜の植え込みを始めた。


キャベツ、白菜、レタス
ブロッコリー、スティックセニョール、オレンジカリフラワー


これからも時間が許す限り、いろいろと植えていこう。



投稿者 haruki : 2010年09月02日 12:12

初雪


今朝起きて、窓の外を見ると
山の上が白くなっていた。


里山の木々は、紅葉し始めたところだけれど
山頂の雪を見ると、すぐそこまで冬が来ている感じがする。


紅葉が終わり、葉が落ちると冬に突入するだろう。



畑では、白菜、キャベツ、レタス、ブロッコリー、カリフラワー
スティックセニョールが大きくなり、畑に行くたびに収穫をしている。


残念ながら白菜は、苗を植える時期が少し早かったせいか
周りの畑に植わっている白菜に比べると、弱々しい。


季節に敏感にならないと、植える時期が分からないものだと痛感する。


「いつ何をすべきか」ということに敏感になることは
人間の成長にも通じることだと、農作業をしているとよく感じる。


ただ、いくら弱っていても、採れたての野菜は本当に美味しい。
白菜が、これほどみずみずしいものとは思わなかった。


最近植えた大根、ニンニク、小松菜、ほうれん草も
それぞれ元気に育っている。


タマネギ、エンドウ豆、スナックエンドウも早く植えよう。



毎年、この時期になると、地元の椎茸栽培をしている方に
薪ストーブ用の薪を持ってきて貰う。


軽トラからデッキに薪を積み上げた後
雑談をしていると、その方にこう言われた。


「畑、やっているねぇ。
 うちに使っていない農地があるんだよ。
 今、売りに出しているんだが
 もし売れなかったら、使ってもいいぞ。
 猿や鹿、猪が出るところだけれど、網を張れば大丈夫だから」


その方に教えて貰って、その場所に行ってみると
1反(300坪)以上ある農地だった。


用水路が通っているので水の心配もいらないし、良い土だ。


来年は、もっと畑を拡げたいと思っていた矢先だったので
とても嬉しかった。


その農地が売れてしまったとしても
休耕地を借りようと思っている。


来年は、耕耘機を手に入れないとな。



投稿者 haruki : 2010年11月02日 09:01

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