蔵の街


車を1時間走らせ、蔵の街に出かける。


その街には、昔ながらの古い蔵もあれば
新しく建てられた蔵もある。


新しい蔵があるにしても
蔵が並んでいる街並みには惹きつけられるものがある。
それらの蔵は、こだわりのある蕎麦屋や喫茶店であったり
ランプ、ガラス工芸、伝統工芸家具、骨董品などを扱う、品のいい店になっている。


水曜日は、殆どの店が定休日だが
それでも窓からなかを覗くと、それぞれ趣のある空間になっていて
覗くだけでも満足する。


一ヶ月ぶりに、とあるレストランに入る。
30代の夫婦が開いている、こぢんまりとした店で
趣味よし、味よし、もてなしよしのお気に入りのレストラン。
もちろん蔵の造りだ。


今日も期待を裏切らない料理だった。



ご夫婦と挨拶を交わし外に出て、蔵の街を後にして車を走らせる。
森に戻る帰路、不思議と後ろ髪を引かれる想いに襲われた。


人との出会いがあったせいだろうか
伝統的な落ち着いた空間に身を置いたせいだろうか。


それはたぶん、両方だろう。


自然も素晴らしいが、伝統に根ざした落ち着きもまた素晴らしい。


アメリカの町を歩いていて決して感じることのない
ヨーロッパの街並みを歩く時に感じる落ち着きと似ていた。


それは、文化に根づいた懐の深さなのかもしれない。
伝統的な文化に根づくことは、大事なことではないだろうか。


そこに還るとき、日本人としてのアイデンティティを見出すのかもしれない。


今日、その街の病院で目の悪い老婆と出会い、しばしの交流をもった。
日本人の母性的なこころの温かさ、芯の強さと謙虚さが
その老婆の何気ない言葉から、静かに心に染み入ってきた。


そのような精神性は
自然に囲まれた伝統的な文化のなかで育まれるような気がした。


投稿者 haruki : 2007年01月24日 21:57

民家と墓地


昼下がりの午後、カメラを持って車に乗り
近くにある里山の村に行ってみる。


心惹かれた風景に出合うと車を停めて
ファインダーを覗き、シャッターを押す。


集落から少し離れたところに、一件の民家があった。
冬山が背景に聳える里山の風景だ。


「これは絵になる」と思い、ファインダーを覗くと
左側にある墓地が邪魔に思えた。


しかし帰りの運転中に、ふと思い浮かんだことがある。
「一昔前、先祖代々の墓は、このように家の裏にあり
 祖先や親族の亡骸は身近にあったのだ」と。


「先祖供養」という言葉は、都会に居ると
法外なお布施を求める新興宗教のようなイメージがある。
でも実際は、このように身近に先祖の亡骸が眠り
先祖に対して、敬う気持ちや守られている感覚が感じられて
自ずと供養の気持ちが生じたのだろう。


家の裏に墓があれば
インドのガンジス河岸での火葬、チベットの鳥葬まではいかなくても
死を受容していくプロセスを十分経験することが可能だと思う。


都会で死がどんどん隠されているのとは反対に
里山では、まだ死が身近にある。



30年前に都会から移り住んだ先輩が同じ地域に住んでいる。
彼はこう言った。


「30年経っても村人からは『きたりもん』と呼ばれる。
 それどころか、三世代くらいじゃまだ新参者なんだよ。」


その言葉を聞いた時は正直、「村人は、何でそこまで閉鎖的なんだ」と思った。
でも村人にしてみると、十世代以上も前からこの地に居るわけで
それだけ「この地に根づいている」ということなのだろう。


そのような根づきは、しがらみも多く窮屈な部分もあると思う。
もし私が若い頃にそのような地に居たら
苦しくて都会に飛び出していたことは明白だ。


でも、ある程度歳を重ねると
そのような「血」への根づきと、「地」への根づきを羨ましくも思う。


投稿者 haruki : 2007年01月25日 16:35

味噌造り


今日は、近所の人達と味噌を造った。
否、味噌を仕込んだと言う方が正しい。


水に漬けた14キロの大豆を、地元の農家から借りた大釜で煮炊きし
ミンチ状に潰し、軽トラの荷台に養生シートを敷き、その上に拡げて冷ます。
冷えてから米麹、麦麹と塩を撒き、念入りにかき混ぜる。
そして一旦団子状にこねてから、樽に空気を入れないように詰め
焼酎を噴き、最後に塩をふってラップをかけて終了。


この作業を、2年前に仕込んだ味噌で作った豚汁
自家製の高菜漬けやおにぎりを食べながら
ワイワイ楽しんで行った。


涼しい場所で熟成させ、早ければ半年後には食べられる。
でも、本当に美味しいのは2年後。
これからは人間の仕事ではなく乳酸菌や酵母の仕事だ。


発酵食品は冷蔵庫のない時代、保存食として重宝されたが
昔は人工保存料や人工発酵というものがなかったので
酵母や細菌など自然界にあるものだけを使い、出来上がるまでに時間がかかった。


日本では味噌以外に、醤油、酢、酒、納豆、漬け物など
様々な発酵食品があり、時間がかかるものが多い。
しかも人間は環境を整えるだけで、酵母や細菌のような「他力」の仕事となる。


そのような長い年月が基準となった昔の生活は
「コンビニエンス」「ファーストフード」という言葉に象徴される現代のリズムとは
全く異なったタイム感だ。



先日、地元の温泉で知り合いと話していて
ショックを受けたことがある。


地元で林業を営む初老の男性から聴いた話だった。


「大人になって林業に携わって、何十年も木を植えているがよぉ
 植えた木がお金になる頃にゃあ、俺はもう生きていねぇんだ。」


何というタイム感だろう。


自然とともに生きることは、インスタントなものではなく
とても時間を有することだった。


そのタイム感は、生産性や効率性に価値を置く現代人の思考からすれば
無駄な勿体ない時間かもしれない。


しかし、自然を征服するのではなく
自然と共生し、自然のリズムとともに生きることは
現代社会では得られない豊かさをもたらしてくれるように思う。


あたかも食品が自然のリズムで発酵することによって
味わいに深みがでるかのように。


私も、インスタントなものではなく
自然のリズムで「他力」とともに成熟していきたいと思った。


投稿者 haruki : 2007年02月08日 22:48

野生の目


昨夜、家の近くを車で走っていた時
林道の約20メートル前方を大きな物体が二つ、横切っていった。


「大きな物体」に目を移すと
森のなかに二頭の鹿が駆けていくのが見えた。


慌てて車を停めると、鹿も立ち止まった。
二頭とも同時に振り返り、私と目が合う。
一頭には大きな角があった。


1秒ほど見合った後、二頭の鹿は振り返るのをやめ
森の奧に走り去っていった。



私の好きな写真家、星野道夫さんは熊の写真を撮る時
銃も持たずに熊が生息する場所に独りでキャンプをした。
以前、星野道夫さんの本を読んで
確か、このような内容のことが書いてあったと思う。


「熊と同じ空間に身を置くと
 自分のなかにある動物的な感覚が呼び覚まされる。」


私の場合は、安全な車のなかにいて
しかも相手は熊ではなく鹿だ。


それでも一瞬、森のなかの野生の目と出合い
思考がとまり、感覚が研ぎ澄まされ
自分のなかの野生が触発された。


「私も鹿と同じ動物なのだ」と実感した瞬間だった。


昨夜、山には雪が降り冬に戻った。
その雪山がより野生を感じさせてくれた。


投稿者 haruki : 2007年04月19日 22:09

氏神様


最近、里山の田圃に水が入った。


田圃に水が入ると、風景が一変する。
なぜなら、水面に風景が映り、景色に深みが出るからだ。


田圃の水面に映る風景を観ていて
東山魁夷の「緑響く」を思い出した。


最初に「緑響く」を観た時、湖面に映る逆さの風景が
みごとに描かれていて、感動したものだ。


魁夷画伯の描く絵は、画伯の心象風景であるとともに
多くの日本人の心象風景でもある。
だからこそ魁夷画伯の絵は、多くの日本人の共感を得ているのだろう。
私は「緑響く」を前にして、この風景のなかに入ってみたいと思っていた。


今日、集落のはずれにある農道を車で走っていて
ふと窓の外に目をやると、「緑響く」と似ている風景が飛び込んできた。


「緑響く」のような幻想的な風景ではないが
田圃に映る緑は、画伯の心象風景の世界に足を踏み入れた気がした。



「緑響く」では、水辺に白馬が描かれているが
私が撮った画像では、白馬の位置に鳥居がある。


田畑という生活の場に、精神的な支えとなる聖域があるのは
なんと素晴らしいことではないだろうか。


自然と身近な神々に対し、畏敬の念と感謝の気持ちを抱き
大地に根づいた生活を日々繰り返すことこそが
日本的霊性の象徴であるように思う。


里山では、そのような生活が延々と続いているからこそ
里人は懐が深く、優しいのではないだろうか。


最近、心が痛む事件が新聞を賑わしているが
このような時代には、日本にもともと在る「大地の生活に根づいた霊性」を
取り戻す必要があると痛切に思う。


投稿者 haruki : 2007年05月16日 23:55

神話への親和力


今日も、田圃の水面の魅力に惹きつけられて
車を停めては、シャッターを押した。


霧と同様、水面にも惹き付けられる自分がいる。


子供の頃、水溜まりに映る景色を見て
不思議な感覚を感じていたものだ。


あたかも景色を映す水溜まりが、異次元への入口のように感じたことを
鮮明に覚えている。


子供の頃は、いろんな場所に異次元への入口があった。
道路脇にあるお稲荷さんのほこらや、石の階段の隙間など。


そのような創造性から、個人的な神話の世界が生まれていったのかもしれない。
それだけ子供は、無意識と親和性があるのだろう。


大人に成長する過程で教育を受け、社会に出ていき
私たちの現実適応力は培われていく。
それは自我形成にとっては大切なことだ。


でも、現実しか見えなくなってしまうと
子供の頃に感じていた、神話の世界を私たちは忘れてしまう。
その忘却は、人生を味気ないものにしてしまうと思う。


里山には、大人になって忘却の彼方に追いやられた
神話や無意識への親和力がある。


特に里山には、日本人としての集合無意識を想起させる力がある。
それを題材にしたのが「となりのトトロ」だろう。



水面の映る空を観ていると吸い込まれそうになる。


実際は、田圃の水深は10センチほどだろうが
映し出される空を観ていると
無限の空間が奥底に拡がっているように感じる。


霧も水面も、個人的神話や心象世界を映し出してくれるからこそ
惹かれるのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年05月17日 22:59

大地と向き合う


里山では、今が田植えの季節。


冬には閑散としていた農道は
軽トラや苗を積んだトラックで賑わっている。


現在は、殆どの田圃では田植機を使用して苗を植えているが
それでも田植機では植えられない場所や、植え付けが抜けている箇所には
手作業で苗を植えている。


私が子供の頃は、東京でも腰がかなり曲がったご老人をお見かけしたが
最近、東京ではそのような方にお目にかからない。


しかし里山では、まだまだ腰の曲がっている方をよくお見かけする。


長い年月、田植えや畑仕事をしていると
このような姿勢が定着してしまうのだろう。



このような姿勢は、身体にとって無理な姿勢なので
腰はもちろんのこと、身体のいろんな部位に負荷がかかり
痛みが生じやすかったり呼吸も浅くなりやすい。
実際、腰痛を患っている方は多いと思う。


と同時に、長い時間この姿勢で作業をしていると
下半身はどんなに鍛えられることだろう。


また、私たちの心と身体は相関しているので
落ち込んだり抑鬱的な気分になると、頭が垂れ
背中が丸くなり猫背になる。


だから、腰が90度曲がっているご老人を観るにつけ
「空は見にくいし、下ばかり見ていると、気持ちも暗くなるのではないか」
という思いがあった。


それは当事者に訊いてみないとわからないことだが
ただ、下を向くということを、ネガティブに捉えている自分に気づいた。



この方達の生活は、大地と向き合っている生活だった。


人生の大半を大地と向き合っている方達は
どんな人生観、価値観をお持ちなのだろう。


「希望を抱いて上を向き、胸を張って生きていくこと」も大切なことだ。
しかし、大地と向き合って生きることは
別のリアリティを与えてくれるのかもしれない。


宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出した。


投稿者 haruki : 2007年05月23日 13:22

大勢のお父さん


昨日は、夕方になり雨が上がったので温泉に行く。


露天風呂に入ると、いつも決まって地元の方達が会話をしている。
彼らの話題は、熊の出没についてや、農作物の出来不出来についてなど
生活に根づいたものなので、ついつい聞き耳を立ててしまう。


昨日は、お爺さんとお孫さんとの会話が、目を閉じている私の耳に入ってきた。
具体的な内容まではぼんやり聴いていたのでわからなかったが
お爺さんは元気な小さな女の子に少し手を焼いているようだった。


「そんなことをしているとおじさん達に笑われるぞ」
というお爺さんの言葉が聞こえてきた。


「そういう言い方をするから人の目を気にするようになるのに」
と思って目を開ける。


でもその場に流れていた空気は、微笑ましいものだった。


お爺さんの表情はなんとも穏やかで、優しいまなざしを女の子に向けていて
回りにいる地元の年配の方達も、笑顔でその女の子を見つめていた。


女の子も、皆から注目を浴びて恥ずかしがりながらも嬉しそうだった。



温泉から上がり脱衣所で服を着ていると
先ほどの女の子が、アイスクリームを食べながら私に近づき
「おじさん、さっき露天風呂に居たね」と話しかけてくる。


女の子の問いかけに応えているうちに
「おじさんもアイスクリーム食べない?」と、女の子は私を連れて食堂に走り出す。


一緒にアイスクリームを食べながら女の子の話を聴いていた。
お爺さんお婆さんと温泉に来ていること
お母さんが車で迎えに来ること
お父さんは単身赴任で中国に居てなかなか戻ってこないこと
戻ってこないお父さんが嫌いなことなど。


そんな話を私としている間も、地元の年配の男性達が女の子に声をかけていく。



里山では、何らかの事情で父親が不在でも、祖父など親戚はもちろんのこと
同じ集落に住む大人の男性達が、父親代わりになっている。
里山には、集落全体で子供を育てるという共同体が残っていた。


都会で、このように見ず知らずの子供と一緒にアイスクリームを食べていたら
親に警戒されたり怒られるかもしれない。
悲惨な事件がよく起きている現代では、それは致し方ないことだ。


しかし、大家族や共同体という社会的な器が失われていくことは
家族という器を脆いものにしていくように思えてならない。


都会に居ても、里山に残る「人への信頼」「思いやり」を大切にしたいと思った。


投稿者 haruki : 2007年05月31日 14:27

無為の行為からの音


今日は、初夏のような陽気だったので
夜は、網戸で過ごす。


網戸にすると、夜の冷気と静けさが家に染み入ってくる。
それとともに遠くの里の田圃からカエルの合唱が聞こえてくる。


目を閉じ、音楽もテレビもない静けさのなか
ただ、遠くからのカエルの合唱に耳を済ましていると
季節を感じることはもちろんだが、心の琴線に触れる。


秋の夜に鈴虫の音に耳を済ますときと、同じ琴線に触れる。


それはなぜだろう。


私は、カエルの合唱や鈴虫の音は
静けさを遮る音ではなく、静けさに溶け入る音
私たちの心を、静けさのなかに埋没させてくれる音のように想う。


それは、あたかも山水画のようでもあり
禅寺にある獅子脅しのようでもある。


人工的に創り出した無音の環境よりも
むしろこのようなカエルの合唱や鈴虫の音があった方が
心の内にある静寂に至ることができるのかもしれない。


自然が奏でる音は、世界で著名な演奏家の演奏に引けを取らないと思う。
否、それ以上のものかもしれない。


なぜなら、表現しようという意図すらない無為の行為だから。


この無為の行為からの音だからこそ
私たちは、静寂に導かれるのだろう。



このような感覚を日本人は、古来から大事にしてきた。


日本人に生まれてきたことに感謝しつつも
日本人としてこの感覚を大切に育み
多くの人に分かち合いたいと思う。


投稿者 haruki : 2007年06月07日 00:05

害獣という名の動物


里山での田畑では、農作物が成長し
地元の店には、旬の野菜が並んでいる。
しかもありがたいことに、無農薬有機栽培の野菜が多い。


その日の朝に収穫した新鮮な野菜や、地元農家の天日干しの米が
都会より安く手に入ることは、生産地に暮らす良さだろう。


しかし、生産地に暮らすということは
いろんなことを考えさせられる。


里人との会話で必ず出る話題は、農作物の被害についてだ。
それも「害獣」と呼ばれる猪、猿、鹿について。


時期が来ると、迷彩服にオレンジ色の派手なベストを着たハンター達が
猟犬を従えて「害獣駆除」の名目で山に入ってくる。
遠くに響き渡る散弾銃の音を聞くと、心が痛む。


猿だけは、駆除をするのに報酬が出るらしい。
駆除をする際に、子猿は人間の子供に見えるから
ハンター達は、撃ちたがらないそうだ。


子猿は、散弾銃で狙いを定められると
ハンターに向かって手を合わせ、祈るような仕草をする
と聞いたことがある。



里人の立場に立ってみると、お金と時間と愛情を注ぎ込んだ田畑が
動物たちに根こそぎ荒らされるなら、経済的損失は言うに及ばず
感情的に許せない気持ちになるのも理解できる。


都会に居ると、お金を支払いさえすれば、食材は簡単に手に入り
生産地で起きていることまでは思いも及ばない。
食材は、料理の単なる材料でしかない。


しかし生産地に暮らしてみると、食肉はもちろんのこと
農作物も、多くの命の犠牲の上に存在することを痛感する。


私たちのために犠牲となった多くの命に対して、感謝の祈りを捧げ
「生かさせて頂いている」という謙虚さをもって生きることが
人間としての責任ではないだろうか。



最近、命を軽んじる事件が多い。
命を軽んじる背景には、「人間は多くの命によって生かされている」という現実を
肌で感じる機会が少なくなっていることもあるように思う。


動物に対する感謝の気持ちをもち、動物を害獣ではなく神や神の使者とみなしている
アラスカやアイヌなどの先住民族の智慧や生き方からも
私たちは多くを学べるはずだ。


私たちの生活は、多くの命の犠牲の上に成り立っている。
その事実を、しっかりと受け止める必要がある。


投稿者 haruki : 2007年06月14日 11:33

素晴らしき山村との出合い


今日は、梅雨の時期にもかかわらず、初夏の爽やかな気候だったので
近頃行ってみたいと思っていた山村に向かった。


いつもは、別の村に行くために
この山村近くのインターチェンジは通り過ぎていた。
だから今日初めて、このインターチェンジで降りる。


天気がよく、山並みが遠くまで、くっきりと見えたこともあり
山深い土地にもかかわらず、それほど閉鎖的な感じがせず
とても気に入った。



いつも家から眺めている山々も気に入っているが
ここで眺める山々は、印象が違って見える。


いつも眺めている山々は、家が山麓にあることもあって
山々の懐に私個人が抱かれている感じがする。


それに比べて今日眺めた山々は、遠くに長く連なり
大袈裟な言い方だが、日本列島を支えている感じがした。
まさに「日本の屋根」と呼ばれるには相応しい、堂々たる存在感だ。



このような山深い土地で、農業をされている方々が居ることも驚いた。
天気の良い日に、観光気分で車で走っていると気持ちいい。
しかし、一生、このような山深い土地に暮らすことは、厳しいことだと思う。


道路脇の石碑には「農魂」と刻まれていた。


このような決意を持たないと、この土地で農業はできないのだろう。
辛い時には、この言葉を心に刻み込み、自分を奮い立たせるのかもしれない。


都会に育った私にとっては、想像を絶する世界だ。



また、それだけ厳しい環境だからこそ
信仰心も育まれ、霊性も鍛えられるのかもしれない。


この山村の入口には、変わった道祖神が祀られている。


滑稽で親しみを持って旅の安全を守ってくれると同時に
邪悪なものを村に入れないような恐さを持つ道祖神。


正月のしめ縄で作ると説明書きにあった。
毎年、年の初めに、一年の祈りを込めて作るのだろう。


親しみと恐さを持つ神というのは
村人たちの神に対する想いを反映していると思った。


これらの神々は、決して遠くにいるのではなく
近くで見守ってくれる存在たちだった。



山村には、棚田があり
その向こうに、集落がぽつりぽつりと点在していた。


日本人の原風景のような光景で
原田泰治さんの絵の世界が、そこには拡がっていた。


素晴らしい山村との出合いがあった、良い一日だった。


投稿者 haruki : 2007年06月17日 00:02

小さき花


昨夜、知人の法華宗のご住職とお会いした時に、私にこう仰った。


「その年齢で、もう森に住んでいるのかぁ。
 でも、そのくらいで森に住むのはいいかもしれない。」


ヒンドゥー教では人間の一生を4つの時期に分ける、ということが
五木寛之さんの著書「他力」に書かれてある。


社会に出るまでの準備期間である「学生期」
家族を支え、社会に貢献する「家住期」
独りになり、自然のなかで自己と対話をする「林住期」
天寿を全うする日が近いことを悟る「遊行期」


五木さんは「林住期」について、こう書き下ろしている。


「五十歳を過ぎれば晴耕雨読の人間らしい生活
 内面生活に親しむべきだ、ということでしょう。」
 

ご住職が、「林住期」のことをご存じで仰ったかどうかはわからないが
自然のなかに住むことの大切さを知っているからこそ
そう仰ったことはわかった。



四十代後半に入り、「こんなことは今までになかった」という身体症状が生じ
自分が人生の下り坂に入っている現実と向き合うことになった。


私は、まだ十分社会に貢献していないと感じているから
林住期には入っていないと思っているが
自然のなかに住むことは、自分が下り坂に入っている現実を
受け入れることを容易にしてくれる、と最近感じる。


「その現実を受け入れなければならない」と努力するのではなく
知らないうちに、それが自然の成り行きだと受け入れている自分がいる。


「私たちは自然の一部であり、生かし生かされている。
 すべての存在には生老病死という自然の流れがあり
 私もその流れのままに、自然とともに在りたい。」

 
どうやら自然のなかにいると、このことを知的レベルではなく
深くで感じているようなのだ。


仮に、頭では認めたがらないとしても
自然と共鳴している身体や魂から否が応でも知らされる
ということなのかもしれない。


そしてそれは、深刻さをもたらすのではなく
生きることを楽にさせてくれるのであった。


このような死生観に基づいて、人間の尊厳を考えることは
医療、教育、福祉の質を変えるのではないだろうか。



選民思想のような価値観で、自然界の中で人間が優位に立つのではなく
自然界に存在するあらゆる生命を、人間と同じように尊い命と感じたい。


アッシジの聖フランチェスコが亡くなる際
回りに居た弟子達は、最後に発せられるお言葉に耳を済ましていた。


その際の聖フランチェスコのお言葉は、弟子達に対してではなく
弱った彼を、いつも背中に乗せていたロバへの感謝の言葉だったという。


聖フランチェスコには足元にも及ばないが
彼のような、生命に上下を付けない「小さき花」でありたいと思う。


投稿者 haruki : 2007年06月27日 23:49

囲炉裏での団欒


今日もまた、飽きずにとある山村に出かける。


昨日は爽やかな晴天だったのに、今日は曇り。
そのために、残念ながら山並みなど風景は望めなかった。


しかしながら、風景が望めないおかげで
今日は屋内で温かな時間を過ごすことができた。


殆どが傾斜地である山村では、田圃は棚田の形状を取り
そのため米作りは、かなりの労力になり
米の収穫量は、多くはない。


米を主食には出来ないので、この山村では昔から
小麦粉を使ったおやきが主食だったという。



今日は、この山村にあるおやきのお店に行った。
ここは「村おこし」のために起業されたようで
村民が働いていた。


特に60代以上の方が多かった。
聴くところによると、この店を持つ会社では
目標として60歳入社を掲げている。
それは長い間、家でおやきを作り続けてきたお母さん達を
宝物としているから。


お店の奧には囲炉裏があり、囲炉裏脇ではお婆さんがおやきを作っていたが
温かそうな分厚い手によって、包み込まれながら作られていくおやきを見ていると
長年のお婆さんの愛情が篭もっているように思えた。


こうやって長い間、家族のために愛情を込めておやきを作り続けたのだろう。



小麦粉を水で溶いた皮に、いろいろな野菜や小豆で作ったあんを入れて丸め
それを鉄鍋のようなものに置き、ゆっくりと中まで温める。
十分に温まった時点で、火に近づけて焙り焼き、焦げ目をつけていく。
そして、本当はその後に、囲炉裏の灰にまぶして蒸すらしい。


蕎麦茶を飲みながら、出来立ての熱いおやきを囲炉裏脇に座って食べる。
中まで熱くて、美味しい。



囲炉裏を囲んで座っていると
そこには、別のお客さんが来たとしても
自然と会話を交わしそうな雰囲気がある。


囲炉裏の中心には温かな火があり
愛情を込めて作ってくれるお婆さんが側に居る。
そのような空間に身を置くだけで心が和む。


心理学的に滋養というのは、栄養と愛情の両方を意味するが
このように囲炉裏を囲んで食べることは
本当の滋養が得られる感じがした。


囲炉裏を囲む文化が、日本に母性社会を作り出したと言っても
大袈裟でないと思った。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 00:17

結界と縁


先週、山村に行った折りに、地元の里人から
代々暮らしてきた集落の歴史や家の歴史など
その地にまつわる、いろいろな話を聴く機会があった。


昔は養蚕や麻栽培で生計を立てていたこと
明治時代には、火災が起きて、家屋が茅葺きだったために
集落全体に燃え移ってしまったこと
その後は、火事が起きても燃え移らないように
茅葺きではなく土蔵造りの家が増えたこと、など
決して観光雑誌には取り上げられることもない
小さな集落の話をしてくださった。


車で通りすぎれば、簡単に見過ごすような集落だったが
その地の里人と関わると、いろんなものが見えてくる。


そのような話を聴いているなかで
心に残る言葉があった。


「田舎だと、お隣りさんとの敷地の境界ははっきりしねぇんだよ。
 そんなこと、こだわらねぇからな。まぁ、大体、あの辺りだろうな。」


里人と接していて、いつも感じることは
代々受け継がれている土地をどれだけ大事にしているか、ということである。


しかし、この言葉からわかるように
それだけ大事にしている土地にもかかわらず
敷地の境界にはこだわりを持っていないのだ。


都会とは違い、里人は農地を含めると広い土地を持っているから
境界が明確でなくても困らないのだろう。


ただ、それだけではない、文化的な作用、精神的な作用が
働いているように感じられた。



そのことを考えて思い浮かぶのは、「結界」と「縁」という思想だ。


結界は、神道や仏教から来る思想であり
一定範囲の空間を区切るもので
生活には直接必要ではないものを配したり
意図的に段差を設けるなどをして、作られている。


里山に居ると、いろいろな結界が見えてくる。
集落の境にある道祖神や結界石、神社の鳥居、寺院の本堂に至る石段
家屋の門、玄関の扉、土間からの上がりかまち、敷居や畳縁など。


私たちは意識していなくても、人の家や神社を訪れる際
一礼をして鳥居や門をくぐり
履き物を脱いで建物に上がり、敷居や畳の縁をまたいでいく。
それに伴い、その空間の気配を察し、その空間に意識を合わせ
気持ちを新たにし、作法を変えていく。


それだけ私たちは、結界に区切られた空間を尊重している。


「郷に入れば郷に従え」という諺も、結界の思想から来たものだろう。



この結界によって区切られた空間を結びつけるのが
「縁」というものである。


この「縁」というのは、境界線と言われるような「線」ではなく
民家の縁側のような、空間として存在する。


縁側は、ソトでもありウチでもある曖昧な空間だ。


民家の軒先にかかる暖簾や生け垣、垣根のような
見えそうで見えない結界も、縁側と同じ曖昧な質を持っている。


このように、日本では、結界に区切られた空間は尊重されつつも
隣り合う空間は、曖昧な空間である「縁」によって結ばれている。



このような「結界」と「縁」の思想に基づく空間の区切り方は
日本人の精神構造に現れていると思う。


空間を人に置き換えてみると
自分と他者の互いの質は、境界によって尊重されながらも
縁側のような、自分と他者が混じり合う場が存在していることになる。


日本人は、その混じり合う場での出会いを大切にしてきたからこそ
明確な自我境界で衝突することはせずに
言葉以外での間接的な表現、察し合う感受性、譲り合いの精神を育んできたように思う。


そして、この自他が混じり合う場において、共時的な出会いが起きる。
「袖振り合うも多生の縁」とは、このことを意味している。


以前、河合隼雄氏の書籍にも書かれてあったが
本来日本人は、自我よりも自己と親和性が高い。


それはまさに、お隣りさんとの敷地の境界にはこだわりを持たないが
代々受け継いできた土地を大切にする里人の精神と重なる。


「自己の内奥と繋がっているからこそ、曖昧な境界を持つことができる強さと柔軟さ」


これこそが懐の深い、日本人の精神だと思う。


私たちは、日本人に備わる精神性を見直す必要はないだろうか。



現代は、インターネットを初めとして、外資系企業の進出を含め
グローバル化やバリアフリーが求められる時代だ。


その時代の流れのなかで、日本人が不足している
自己主張すること、責任の所在を明確にすること、公私混同を避けることなど
自我境界のしっかりした西洋から学ぶべきことは多い。


しかし、そればかりを良しとして、本来私たちの身体と心に備わっている
美質までをも失ってしまうなら、私たちは根無し草になり
国際社会のなかで右往左往するだけだろう。


日本の精神的美質と大地に根を下ろした上で
西洋の素晴らしいものを吸収し
東洋と西洋を統合していくことが、日本人としてのあり方だと思う。


投稿者 haruki : 2007年08月01日 22:47

魂への滋養


今日は、自動車免許の更新のために山から降りる。


遠回りだが、最近見つけた、昔ながらの町並みが残る道を走る。


途中、一本の桜が目に飛び込んできた。
光の加減で紅葉した葉っぱが透けて輝いていた。


瞬時に、その光景に心惹かれたが
運転をしていたので、そのまま通り過ぎる。


心残りはあったが、「帰りに写真を撮ればいいか」
と自分を納得させた。


でも、戻りたい衝動にどうしても駆られ
手続きの受付時間を気にしながらも車をUターンさせて
桜の木に向かった。


車を停めてカメラを取り出し、撮影ポイントを探して走り回る。
残念ながら良い撮影ポイントは見つからない。


時間がなかったので妥協して写真を撮る。


すると数分も経たないうちに、光線の加減が変わってしまった。


自然相手だと、心惹かれる瞬間が「そのタイミング」であることを
あらためて感じさせてくれた出来事だった。



フランスから来たトレーナーの言葉を思い出す。


「食べ物は心身に滋養を与えるが
 感覚を味わうことは魂に滋養を与える。」


まさに、心惹かれる瞬間は「魂からの叫び」だ。


その叫びに耳を傾け、行動を起こすことで
魂に滋養を与えることができるのだ。



無事、更新手続きが終わり、帰路についた。


途中で、何故だかわからないが、どうしても左折をしたくなった。
その衝動に従い、左折して車を走らせる。


ふと左を向くと、そこには夕陽のなかに富士山が浮かび上がっていた。



自然のなかでは、感覚が研ぎすまされ
魂が喜んでいく。


誰もが自然を求めるのは、魂からの叫びなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年11月14日 18:47

地球の体液


先週、日本三大薬湯に行ったが
今日は、地元の露天風呂に入ってきた。


それぞれ、泉質や効能は違うが
いずれにしても温泉に入ると、心も身体も深くくつろぐ。



昔から温泉は好きだが
地元の温泉の説明書きを読んでから
それまで以上に、温泉が大のお気に入りになった。


説明書きには、こう書いてある。


「地球の神様『ガイア』から授けられた『地球の体液』と言える温泉」



地球の体液に浸かり、地球に抱かれると
心身ともに浄化され、地球から活力を貰い、生まれ変わる感じがある。


地元の温泉は塩分が濃いので、エネルギーフィールドの浄化にもなる。


週一回、温泉に入り、胎内回帰をして生まれ変わることは
健康を保つために、なくてはならないものになっている。



今日も、空気が冷たく澄み渡るなか
露天風呂で、地球の体液に身を委ねた。


目を開けると、空は、新月のために深い藍色だった。


その深い藍色のなかに、雪山が紫色に控えめに輝く。



ある時は、温泉に浸かりながら、うたた寝をし
疲れた心身が癒される。


またある時は、深くくつろぎながら、直感が冴え渡り
いろんな発想が思いつく。


やはり週に一回は、地球に溶け入り
地球から生まれたい。


投稿者 haruki : 2008年02月08日 21:22

親鸞ゆかりの地


今日は、親鸞ゆかりの地を訪ねてきた。


約800年前、親鸞は、35歳の時に京都で僧籍を剥奪され、流罪となったが
親鸞を乗せた舟が着いた流罪地の浜に立ってみる。


現在の浜辺は、800年前より海岸が浸食されていて
実際に親鸞が降り立った場所ではないらしい。


それでも、激しい日本海を前にすると
能生からよくここまで舟で来られたものだと驚く。



この地に着いた親鸞は、「愚禿親鸞」と名乗ったという。
自らを、「僧侶でも俗人でもない愚かなざんばら髪の人間」と称したのだ。


同じく流罪となった師、法然とはもちろんのこと
妻とも別れ、僧籍も奪われて身一つ、見知らぬ土地で
「愚かなざんばら髪の人間」と自らを名乗る心境とは
いかなるものであろうか。


親鸞は、歎異抄のなかで、以下のように述べていたと伝えられている。


「自分は地獄に堕ちるような罪深い人間である。」



私たちの自我には、防衛機制という働きがある。
自分を正当化したり、味わいたくない感情を抑圧したり
弱く、嫌な面を否定したり否認したりするものだ。


そして自我を心地のいい状態に保つために、プライドを身につけ
他人からの賞賛、地位や名誉、金銭を求める。


親鸞は、そのようなプライドを捨て去り
徹底的に人間が持つ闇や影と向き合った人だと思う。


自分の醜さと向き合うことは、かなり勇気のいることであり
そのようなことを可能にしてくれたのが
この流罪体験だったのではないだろうか。



流罪という人生最大の危機に、敢えて「愚禿」と名乗り
自分の醜さと向き合う機会としたところに
信仰からくる強さ、楽観性を感じるのは、私だけだろうか。


「陰極まれば陽に転ず。」


親鸞は、徹底的に自分の醜さと向き合い、自力の無力さを感じ
陰極まって陽に転じた時に、阿弥陀如来と出会ったのではないだろうか。



そんなことを思っていたからか
帰路で、大きな黄色い満月が夜空に昇ってきたが
まるで阿弥陀来迎図のように見えた。


投稿者 haruki : 2008年02月22日 01:20

日本的霊性の深化


先週は、ある国際会議が黒部であったおかげで
親鸞ゆかりの地を再び訪れることができた。


前回、訪れることが出来なくて心残りだった神社に向かう。


この神社は、流罪になった親鸞が上陸して
最初に参拝した神社であると言われている。



親鸞は、早く赦免になるよう
そして念仏が盛んになるよう、祈願したという。


その時の状況から
親鸞がそのように祈願する気持ちはわかる。
しかし、神仏習合に詳しくないからかもしれないが
素朴な疑問が浮かぶ。


「将来を約束された比叡山を降り
 既成仏教から反発を受けながらも、阿弥陀仏に帰依する親鸞が
 流罪の地で、なぜ最初に神社に参拝したのだろうか。」


神仏習合については今後、学んでみたいと思うが
他宗教を異端と決めつけ、数多くの宗教戦争を行なってきた一神教の宗教では
このようなことは想像し難いことだろう。



鈴木大拙老師は、日本的霊性の目覚めとして
越後に流罪になった親鸞を重要視している。


「宗教は、親しく大地の上に起臥する人間
 即ち農民の中から出るときに、もっとも真実性をもつ。」


「本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して
 遺憾なきものは親鸞上人である。」


「親鸞が、具体的事実としての大地の上に
 大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して
 彼らの大地的霊性に触れたとき
 自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。」


「親鸞は、どうしても京都では成熟できなかったであろう。
 京都には、仏教はあったが日本的霊性の経験はなかったのである。」


これらの老師の文章を読むと
親鸞の流罪が、日本人の精神性に
どれほど大きな影響をもたらしたかがわかる。


もともと親鸞は、神仏習合の精神を持っていたからこそ
越後の地で、大地性を柔軟に吸収して
霊性を深めることができたのだと思う。



そして、梅原猛氏はさらに
大地性の起源を「農民」から「縄文人」へと、推論を押し進める。


「親鸞が、越後で宗教的霊性に目覚めたのは
 後の上杉謙信同様、縄文時代の霊性の名残をとどめるこの地から
 何らかの影響を受けたゆえであろうか。」


親鸞は、周囲から尊敬されても天狗にならず
弟子も取らず教団も作らず
最後まで自分の足元を見続けた
阿弥陀仏に帰依する凡夫だったと思う。


これだけの人が凡夫で在り続けることは
凡人には難しいことだ。


そのような在り方は
万物を人間と同等としていた縄文時代の霊性を基層にした
「大地性」ゆえかもしれない。


デクノボーに憧れていた宮沢賢治を思い出す。



先週行なわれた国際会議は、ひきこもりやニートに関するものだったが
何人かの発表者が以下のように述べていた。


「NPOなどの民間団体が連携して
 縦割り行政に働きかけていくことが
 社会を変えていくと思う。」


このような提唱が、神仏習合が強固になった白山と
霊性を深めた越後との間で行なわれたことは
私にとっては意味深かった。


実際、すべての発表者は
ご自身の信念を貫き、長年行動してきているにもかかわらず
ご自身の活動に固執せずに周りに開かれていた。



帰りに日本三大薬湯のひとつに立ち寄る。
疲れた心身が癒される。


豪雪地帯のため、まだ残雪があったが
少しずつ棚田に人が入り、田んぼの準備をしていた。


またこの地に来よう。



投稿者 haruki : 2008年04月10日 01:12

魂を育む大地


丁度、去年の今頃、田圃の水面に惹かれて写真を撮っていた。
そして今年も相変わらず、田圃の水面に惹かれている。


これほどまでに、田圃の水面に惹かれていても
天候、風景、田圃の水入れ、すべてのタイミングが揃うのは
一年のうち、ほんの数日だ。


今朝は天気がよかったので、眠い目を擦りながらも思い切って起き
カメラを持って車に乗り込む。


田圃の水面を見つけると車を停め
水面に映る風景を確認しながら撮影ポイントを探し
惹かれた風景に出合うとシャッターを押す。


その行動を繰り返していると、先ほどまでの眠気がなくなって
感覚が冴え渡り、魂が活き活きと喜んでいた。



魂が感応し夢中になると、どんなに身体が疲れて消耗していても
活き活きしてくるのは何故だろう。


「ねばならぬ」でいやいや行動していると、身体は消耗するが
魂が感応し夢中になり、その感覚に身を委ねていくと
疲れた身体が元気になっていく。


そういう意味で、身体は正直だ。


私たちは、魂を日常の意識で直接実感することは難しい。
でも身体が、魂に添っているかどうかを知るバロメーターになる。



身体は、魂の乗り物。


そして身体は、魂を育む大地である。


投稿者 haruki : 2008年05月15日 19:04

熊の出没


先日、家から1キロも離れていない集落の民家に熊が出た。


朝、玄関を開けたら倉庫の前に熊がいた、とのことだった。


猟友会の人が来て、本来は麻酔銃を使って眠らせて
山に戻すらしいが、今回は実弾を使ったという。


大人4人がかりでも運ぶのが大変だったと
地元の人に聴いた。



この話を聴いたとき
不思議と怖さは感じなかった。


それよりも、殺された熊が可愛そうに感じていた。


集落に出没したということは
山のなかにある家に出没しても不思議ではないのに
怖さを感じない、自分の反応にちょっと驚いた。


それは、被害がなかったからなのかもしれないし
熊がすでに殺されていたからなのかもしれない。


山では、狸、猿、狐、猪、鹿と出遭ってきたが
出遭いたくないのは熊であることは間違いない。


でも、以前、東京に住んでいた時の方が
熊が出たことを伝えるニュースを見て
怯えていたように思う。


山に住み始めて数年が経つうちに
何かが、自分のなかで少しずつ変わってきているのかもしれない。


投稿者 haruki : 2008年12月23日 09:20

奥への憧れ


17年前に、一番近い個人商店まで車で20分という
南アルプスの過疎村で過ごしたことが影響しているのか
それ以来ずっと、新聞もテレビもない、世間から隔絶された
自然に囲まれた環境に憧れてきた。


住まいのみならず、神社や寺院にしても
京都や鎌倉よりも、山麓にあるものの方に、何故か惹かれる自分がいる。


20年前は、年に数回、高野山に行ったものだ。
奥の院に続く道が好きだった。
特に御廟の橋を越えてからの空間は特別で
身が引き締まっていた記憶がある。


この10年間は、戸隠の奥社が気に入っている。
宝光社、中社を経て、戸隠山に近づいていき
鏡池から歩いて随神門に至り
圧倒されそうな杉並木を歩いて奥社に向かう。
奥社に向かえば向かうほど、気持ちが高まると同時に静まってくる。


気がつけば、実際の生活環境も
引越の度ごとに、東京から奥へ奥へと移り
「奥」に惹かれ続けている自分がいる。


そして今、「奥」に導かれて越後まで達し
越後奥寂庵に辿り着いた。



朝、集落の外れにある氏神様の前を通った。
丁度、朝日が鳥居に当たり、美しい光景だったので
思わずカメラを取り出して撮影した。


この氏神様も私のお気に入りの場所である。
なぜなら、集落の外れにあり、神聖な空間だから。


最近、「奥」というのは、私が惹かれるだけではなく
日本人の精神を現しているように感じている。



ヨーロッパなどでは、精神的支柱である教会は
高い塔をそびえさせて、街の中心に位置している。
それは、街の何処からでも見ることができるし
教会を中心にして街が成り立っているとも言える。


このように、しっかりと存在感を示す、父性的で全能なる神も素晴らしい。


対照的に日本では、集落にある氏神様は、集落の外れにあり
鳥居は外から見えるけれど、その奥は鎮守の杜に囲まれていて
奥行きがあり、何があるのかが全くわからない。


神道の知識がないので、全くの誤解かもしれないが
感覚として日本の神は、このように全く存在感を感じさせない
奥ゆかしい母性的な神であるように感じる。


興味深いことに、存在感がないが故に
「奥」は「空」となり、吸引力を生み出し
私たちは、磁力のように「奥」に引き寄せられるのではないだろうか。


また、「奥」は母胎のように受容してくれる場所でもある。


私たちは、「参道」を通って「お宮」にお参りに行くが
「産道」を通って「子宮」に向かう母胎回帰を象徴しているように思う。


そのようにして、私たちは、お参りに行くたびに
死と再生を繰り返している。



日本の昔の家屋も、神社仏閣のように奥行きのある空間を持たせていると
以前読んだ、藤原成一氏の本に書かれてあった。


「昔の家屋は、物質的身体的快適さや安全性よりも
 精神的なものを肌身で感じることが快さであり
 それを感じさせてくれる家が求められた」


「物心両面において、ひかえ目で質素簡素にして清潔
 そしてなによりも奥行きがあることが、家に求められる快さであった」


越後奥寂庵もそうだが、確かに昔の家屋は
玄関から入ると土間があり
履き物を脱いで上がり框から板の間に上がり
茶の間、上座敷、奥座敷へと向かうようにできている。
 

実際、越後奥寂庵で玄関から奥に向かって歩いていくと
高野山の奥の院、戸隠の奥社に向かうような
神聖さが増していく感覚がある。


特に奥座敷は、他の部屋とは違い
何かに引き寄せられるものがある。


そして、奥座敷のさらに奥には床の間があり
床の間の空間は、あたかも異次元への入口であるかのように
さらに奥にある「何か」の気配を感じさせてくれる。


藤原成一氏は、さらに続ける。


「神は清浄清明なところに宿る。奥は神の在所として、清浄清明に保たれてきた。
 空っぽに保たれてきた。イエや集落において奥であるところ
 床の間や神社は、世俗の入らない唯一の空っぽの地である」


「核の中では、心身ともに清浄でなければならない。
 心身を浄化するために、奥への道筋が設けられた。
 奥行きは、空間と心身を清浄にするためのものであった」



私は、人の表面的な言葉の背後にあるもの
こころの奥にある「美質」に意識を向ける仕事をしていることも
この「奥への憧れ」から来ているかもしれないと、最近思う。


そして、人のこころの奥にある「美質」に近づくときも
私自身、心身を清浄にしていくことが大事だろう。



存在感を誇示しない、奥ゆかしさという美徳
言葉の背後にあるものを察する感性
背後にあるものを感じたとしても、そのままにしておく情感


そのような日本人にとって大切な美質を意識して
これからも人と関わりたいと、あらためて強く思う。


投稿者 haruki : 2009年01月29日 01:48

田の字型という間取り


長い間、多くの古民家を観てきたが
越後奥寂庵も含め、例外なく「田の字型」の間取りだった。
文字通り「田」の形をした間取りである。


私は、小学校4年生までは社宅住まい
その後は、普通の住宅に住んできたので
田の字型の間取りでの生活は、体験がない。


以前、地元の方と、その方の家の前で立ち話をしていた時
大きくて立派な家であることを褒めるとこう言われた。


「昔ながらの田の字型の家だから」


廊下もない、田の字型での生活を想像すると
部屋と部屋がふすまで仕切られているだけなので
台所や洗面所の行こうとすると、他の部屋を通らなければならない。


プライバシーがない環境である。



悩みを持って相談に来る方の話のなかで
嫌な思い出として、よく聴くことがある。


それは、思春期の頃、親に自分の部屋に無断で入られて掃除をされる体験や
自分宛のはがきや手紙、日記などを親に読まれる体験である。


自分の子どもであっても、親の所有物ではないので
子どもを一人の人間として尊重すべきだと思うし
特に思春期になれば、秘密を持つことは子どもにとって自立への大切な要素となる。


子どもを愛しているからこそ、心配をし、面倒をみる親の気持ちもわかるが
同時に、子どもの秘密や尊厳をも大事にして貰いたいと思う。


ただ、田の字型の間取りを観ていて、このようなことは
単に、個々の関係性に寄るものだけではないと、思うようになった。



私たちの心、身体、精神は、意識するしないにかかわらず、環境の影響を受ける。
家族との関係はもちろんであるが
生活空間である住環境から受ける影響も大きいと思う。


日本は何百年と、田の字型の間取りにふすまや障子という生活空間だった。


それは、個を重んじる家造りではなく
部屋を繋ぎ、人の和を大切にした家造りである。


冠婚葬祭時には、ふすまが外されて大広間となり
ハレの舞台となることからもうなずける。


ふすまや障子で仕切られた家では、何処にいても
家族の気配や息づかいが感じられ
家族は各々の状態を、言葉を交わさなくても
察することができたのではないだろうか。


そのような環境から私たちは、言葉で確認し合うことよりも
察しあうこと、気持ちを汲み取ること、息を合わすことなど
非言語レベルの関わりと感受性を発達させていったのだろう。


また、ふすまや障子という淡い境界であるために
「親しき仲にも礼儀あり」という諺が示すように
逆に、礼節、義、仁、惻隠という日本的な美質が培われたように思う。



ところが、ここ数十年ほどで、住環境は大きく変わった。


1960年頃から文化住宅という和洋折衷の住宅が建ち始め
最近では、壁それ自体が構造物となるツーバイフォー、ツーバイシックス工法など
アメリカ生まれの家が多くなった。


マンションはもちろんのこと、そのような家は
部屋を繋ぎ、人の和を優先した家造りではなく
部屋を明確に分け、個を重んじることを優先した家である。


鍵をかければ家族から離れ、自分の世界に没入できることは
とても恵まれていることだ。


それは、西洋の「個」を重んじる良さであり
日本文化のなかに取り入れていく必要はある。


しかし同時に、気配を察するという非言語レベルの関わりと感受性が
長い年月をかけて、遺伝子レベルや民族的な集合無意識に染みついた
私たちにとって、混乱も生じているようにも思う。


頑丈な壁に仕切られた部屋にいる子どもの気配を感じ取ろうとしても難しく
西洋で長い年月をかけて形成されていった、個を重んじる関係の築き方もわからない親は
やむにやまれず、子どもの部屋に勝手に入り
子どもの状態を把握しようとしている部分もあるように思う。


また、「親子であろうとも人間として対等であり
責任と自己主張を伴う個人主義」が徹底されないなかで、子どもに個室を与えることは
子どもが周りへの気遣いをせず、好き勝手に行動する
一因となっているかもしれない。


数百年かけて培われた住まいの構造が、短期間に変われば
そこに住む人々の身体と心、関係性は、変化について行くことは難しいし
混乱するのが当たり前だろう。



日本は昔から、渡来するものを柔軟に吸収して
自分のものにするという懐の深さを持っているから悲観はしていない。


ただ、時間はかかるにしても
日本的な良さと弱さ、西洋的な良さと弱さ双方に目を向けて
どのように統合していくかを模索することは、大事だと思う。


投稿者 haruki : 2009年02月10日 01:53

諏訪大社の御柱祭


昨日、越後奥寂庵から山梨まで戻る途中
長野県のある街に寄る。


なぜなら、その街には、僕のお気に入りのお店があるから。


南部鉄瓶、囲炉裏周りの器具、農具などを扱っている昔からの金物屋さんで
店主が全国を回って良い物だと認めたものや
職人さんに注文して作らせたものしか扱っていない。


今回は、南部鉄瓶を注文していたので、楽しみにしていた。


土佐と越前の職人さんが作った、お勧めの鍬2本と
左利き用の鎌もあったので購入する。


いつもその店に行くと
店主が飲み物と和菓子を用意してくださり
四方山話に花が咲く。



店主は、金物についてはもちろんのこと
文化、芸術、建築についての造形が深い。
それも地元のものから世界的なものまで広範囲だ。


芸術的な建築を行う
有名な建築設計事務所で設計をしていた経歴を持つので
話題は尽きない。


昨日も、居心地が良く3時間もお邪魔をしてしまった。



店主は、今年、諏訪大社の御柱祭の氏子として
一週間毎日祭りに参加したとのこと。


お店に訪れていた他のお客さんに、御柱祭の体験を店主が話していたら
今年は、死者が3名、けが人が数十名出たことに話が及ぶ。


そのことについて店主が言ったことが心に残った。


「亡くなられたのは残念なことですが
 彼らは死を覚悟して御柱に乗っています。


 6年間準備をして迎える祭りですし
 祭りに携わる人にとってみると、あれは最高潮になる瞬間なんですよ。


 あれは、イニシエーションであり
 山を信仰し、自然と神と自分が一体になる体験ですから
 死は、神と一体になることなので、彼らは死を怖れていないんです。


 そして、死の瞬間を子どもたちも観ている。
 そうやって、生と死を感じることも大事なことだと思います。」



精神性のために死を怖れない文化が
まだ日本に残っているとは、正直思わなかった。


店主に、北陸にある縄文遺跡はもともとウッドサークルで
それは聖なる魂を送る儀式なのではないかと
梅原猛氏が唱えていると話すと、店主はこう言われた。


「私たち人間が行うことは、昔も今もそれほど変わらないと思うんです。
 この辺りにも国宝の土器や土偶がありますから
 御柱祭の精神も、縄文時代のものが脈々と続いている可能性はありますね。」



僕は人混みが苦手なので、御柱祭を観に行ったことはない。


それでも、その場に居た人から話を聴くだけでも
伝統、祭り、歴史の重みを感じられた。


いつかは、御柱祭を観に行ってみたいと思った。


投稿者 haruki : 2010年05月18日 18:29

体得するということ


不便な場所に住んでいると
インターネットの恩恵を受けていることを実感する。


欲しい情報は、世界中から容易に手に入れることができるし
書籍にしてもCDにしても、森に居ながらにして手に入るのだから。


以前なら欲しい書籍は、都心の大手書店まで
わざわざ買いに出かけなければ行けなかったわけだから
インターネットは本当にありがたい。


メールにしても、日本にいる友人より
ブラジルにいる友人の方がレスポンスよくやり取りできる。


不思議でならないほど、便利な世の中である。



最近、「日本力」という本を読んだ。


編集工学者、松岡正剛氏と
写真家、エバレット・ブラウン氏の対談である。


この本は、日本人というものを考える上で
素晴らしい洞察に満ちていたので、面白くて一気に読んだ。



「ある場所に身を置くことで、初めて体得できるものがある」
という思いは、以前から強かった。


小学5年生から一人旅が好きで
その場所に行って、そこの空気感を感じ取って
写真を撮り、テープにその場の音を録音していた。


日常とは異なる場所に身を置くことで
自分の気持ちや価値観が変わる。


その新鮮な自分で、人や自然に出会い
自分と対話をすることが好きで旅をしていた。


このような経験から
「ある場所に身を置くことで、初めて体得できるものがある」ことは
私にとって当たり前になったのだろう。


この感覚は、今でも大切にしていて
最近では二つのことが当てはまる。


一つは、「日本人とは何か」を体得するために
わざわざ越後奥寂庵を手に入れたこと。


それは、越後という日本的霊性の故郷で
日本人の精神構造を現している古民家に、自ら身を置いてみたかったし
その地に代々住んでいる方々に、住民として出会ってみたかったから。


もう一つは、畑をやり出したこと。


これは、鈴木大拙氏がいう「大地性」、松岡正剛氏がいう「土発性」という
日本的霊性を少しでも体得したかったから。



実際にその場所を訪れて、その場の空気感を全身で味わい
人や自然と直に出会うことは、時間もエネルギーも要することであるが
この「手間暇かけること」がいかに大切であるかを
「日本力」を読み、あらためて認識した。


インターネットで検索して、容易に得られる情報では
「日本力」のなかの表現を用いるなら
「自分が探している以上のものはやってこない」。


どうやら手間暇かけて、身体を使って興味のあることを繰り返し行うことで
心が深くまで耕され、その土壌の上に
共時的な出来事や新しいものが生み出されるようなのだ。


越後奥寂庵や畑で起こり始めた
人との偶然の出会いや、思いもよらない出来事は
私の心が、それぞれの地で深まりだしたことによるのだと思う。



反対に、その地域を訪れてもいないのに借り物の知識によって
その場所をあたかも知っているかのように錯覚してしまったり
人と直に出会わずに、うわさ話や他人の言動をもって
その人のことがわかったつもりになると
思い込みの世界に生きることになる。


私たちは悲しいかな
容易に、思い込みの世界にはまり込み
それが真実であると信じて疑わない傾向をもつ。


そこに気づきという光がもたらされなければ
無明の世界に生きることになり
残念ながら、現実から離れ、煩悩が止めどもなく生まれてしまうことだろう。


インターネットを通して容易に情報が入る現代では特に
サイトやメールに書かれている文章を読んだだけで
「わかった」と錯覚してしまうリスクが高いと思う。



現代社会は、リズムやサイクルがとても速い。


このような時代では、大量の情報を即座に取捨選択する必要があるので
手間暇かけることは、効率が悪いと感じるのも仕方ないことだ。


しかし、このような時代だからこそ
手間暇かけてでも、実際にある場所を訪れたり
人や自然と直に出会って深く共鳴したりするなど
自分の身体で体得することが、心を耕すことになるのではないだろうか。


そのような「手間暇」の積み重ねにより
容易に手に入る借り物の知識で自分を飾ることなく
周囲からの情報に惑わされることもなく
自分の内奥が深まり、豊かな土壌になると思う。


私は、インターネットの恩恵に感謝しつつも
手間暇かけて、場所、人、自然と直に出会い、自分の身体で体得することを
これからも大切にしたいと思う。


投稿者 haruki : 2010年09月14日 23:48

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