霧の魅力


今日は比較的暖かいせいか、霧が出ていた。


霧が出ると、木々、山々が幻想的な風景となる。
まるで木々や山々に魂が宿り、私に何かを語りかけてくるようだ。


子供時代の夢は、写真家になることだった。
中学時代は、自分の部屋を暗室にして写真を焼くほど熱中していた。


小学校高学年では蒸気機関車に惹かれ
中学生では宿場町、街道、寺院に魅せられて
写真を撮っていた。


そのなかに、印象的な一枚の写真がある。
箱根に残る石畳の街道を撮ったもので
霧が立ちこめているなかに街道が続いている写真だ。


もう30年以上も前なのに、その写真を撮った時の空気感を
リアルに思い出すことができる。


その頃から霧に魅せられている。



私は東山魁夷の絵画が大好きだ。


それは私が感じている霧の魅力、霧の空気感が
見事なまでに描かれているからだと思う。


なぜ私は、日本の風景が好きなのだろう。


都会暮らしをしていた頃は、そのような空気感を感じる余裕はなかったが
森に暮らすようになって、子供の頃に感じていた
日本的な原風景に再び惹かれるようになった。


同じ自然でも、日本の自然に対して特に親和性が高いのは
日本人として自然なことなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年01月17日 20:41

夕焼けに染まる山並み


この2週間、出張が重なり、疲れが溜まっていたが
朝起きて天気が良かったので、思い立ったが吉日
懲りずに2時間近く車を走らせ、山間部の過疎村に行ってきた。


今日は、いくつか集落を回った。


同じ山間部の過疎村でも、集落によって空気感が違う。
濃密な暗い集落もあれば、開放的な明るい集落もあった。
残念なことに、期待を膨らませて訪れた集落は
私にはピンとこなかった。


実際にその場に身を置き、肌で感じてみないと
その場所の空気感はわからないものだ。


帰る途中、3週間前に訪れた土地に寄りたくなる。


その土地に着くと
あたかも自分の家に戻ってきたかのように
私の心は落ち着いた。


日が経つと異なった印象を持つかもしれない、と思っていたが
3週間前に初めて訪れた時と同じ感動があった。


人間関係で「肌が合う」ということはあるが
土地や集落とも「肌が合う」ということがあるようだ。


今日は夕方にこの土地に着いたが
そこには夕焼けに染まる山並みが拡がっていた。


幾つも重なる山並みが、グラデーションになっている。


なんて美しいのだろう。


言葉を失う。



私は東山魁夷の「残照」を思い出した。


「残照」を描いた時のことを画伯はこう述べている。


「この場所に腰をおろして、遥か遠くへ重なり続けている冬枯れの山肌が
 折からの夕陽に彩られて、刻々と変化していく有様を見ていました。
 その瞬間、私を包む天地のすべての存在は、私と同じ運命にあり
 静かにお互いの存在を肯定し合いつつ、無常の中に生きていると思った時
 当時の私は寂寞とした心が救われるのを感じたのです。」


この夕焼けを観ていた時
魁夷画伯が感じていたものに
ほんの少し、触れたように感じた。


投稿者 haruki : 2007年03月22日 20:41

氏神様


最近、里山の田圃に水が入った。


田圃に水が入ると、風景が一変する。
なぜなら、水面に風景が映り、景色に深みが出るからだ。


田圃の水面に映る風景を観ていて
東山魁夷の「緑響く」を思い出した。


最初に「緑響く」を観た時、湖面に映る逆さの風景が
みごとに描かれていて、感動したものだ。


魁夷画伯の描く絵は、画伯の心象風景であるとともに
多くの日本人の心象風景でもある。
だからこそ魁夷画伯の絵は、多くの日本人の共感を得ているのだろう。
私は「緑響く」を前にして、この風景のなかに入ってみたいと思っていた。


今日、集落のはずれにある農道を車で走っていて
ふと窓の外に目をやると、「緑響く」と似ている風景が飛び込んできた。


「緑響く」のような幻想的な風景ではないが
田圃に映る緑は、画伯の心象風景の世界に足を踏み入れた気がした。



「緑響く」では、水辺に白馬が描かれているが
私が撮った画像では、白馬の位置に鳥居がある。


田畑という生活の場に、精神的な支えとなる聖域があるのは
なんと素晴らしいことではないだろうか。


自然と身近な神々に対し、畏敬の念と感謝の気持ちを抱き
大地に根づいた生活を日々繰り返すことこそが
日本的霊性の象徴であるように思う。


里山では、そのような生活が延々と続いているからこそ
里人は懐が深く、優しいのではないだろうか。


最近、心が痛む事件が新聞を賑わしているが
このような時代には、日本にもともと在る「大地の生活に根づいた霊性」を
取り戻す必要があると痛切に思う。


投稿者 haruki : 2007年05月16日 23:55

浅葱色の渓谷


昨日、山村からの帰り道に
浅葱色の渓谷を通った。


この渓谷を通っていて、中学生の頃
会津にある只見川に惹かれていたことを思い出した。


なぜなら、只見川もこのような浅葱色をしていたから。


昔から思うが、何故、水がこのような色になるのだろう。


自然は不思議な色を醸し出すものだ。



この風景も、東山魁夷画伯の絵の世界だった。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 21:19

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