雪景色


この冬、初めて一面銀世界になった。


朝、目を覚ますと、視界の片隅にいつもと違う風景が飛び込んできた。


「雪だ!」


雪がチラチラ舞っている風景見たさに
飛び起きて、窓辺に向かう。


カーテンを開けると、一面雪景色。
自然と心が躍り出す。


現実的には雪かきなど不便なことが多くなるのに
嬉しくなるのは、子供の頃から変わらない。


雪は、一夜にして別世界をもたらしてくれる。
これほどまでに短期間に別世界をもたらしてくれるものは
災害を除いて、雪しかないのではないだろうか。


そして雪は、静けさをもたらしてくれる。
なによりこの静けさが好きだ。


この静けさは、私のなかにある静けさを
目覚めさせてくれる。


投稿者 haruki : 2007年01月06日 15:47

霧の魅力


今日は比較的暖かいせいか、霧が出ていた。


霧が出ると、木々、山々が幻想的な風景となる。
まるで木々や山々に魂が宿り、私に何かを語りかけてくるようだ。


子供時代の夢は、写真家になることだった。
中学時代は、自分の部屋を暗室にして写真を焼くほど熱中していた。


小学校高学年では蒸気機関車に惹かれ
中学生では宿場町、街道、寺院に魅せられて
写真を撮っていた。


そのなかに、印象的な一枚の写真がある。
箱根に残る石畳の街道を撮ったもので
霧が立ちこめているなかに街道が続いている写真だ。


もう30年以上も前なのに、その写真を撮った時の空気感を
リアルに思い出すことができる。


その頃から霧に魅せられている。



私は東山魁夷の絵画が大好きだ。


それは私が感じている霧の魅力、霧の空気感が
見事なまでに描かれているからだと思う。


なぜ私は、日本の風景が好きなのだろう。


都会暮らしをしていた頃は、そのような空気感を感じる余裕はなかったが
森に暮らすようになって、子供の頃に感じていた
日本的な原風景に再び惹かれるようになった。


同じ自然でも、日本の自然に対して特に親和性が高いのは
日本人として自然なことなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年01月17日 20:41

宵の明星


夕方6時頃、ふと窓の外に目を向けると
薄暗くなった空に、雪山が浮かび上がっていた。


冬の空、月光に照らされて浮かび上がる雪山を観るのが、私はとても好きだ。
もしかしたら、一年で一番好きな光景かもしれない。


私は、いろんなジャンルの音楽が好きだし
その時々の気分でお気に入りのCDは変わる。
でも、お気に入りのCDを一枚だけ選ぶのなら
Kamalの「Blue Dawn(蒼い夜明け)」だろう。


このCDの音は、月光に照らされて浮かび上がる雪山のイメージにぴったりなのだ。
透明感のある洗練された音楽は、ピーンと透き通った空気感と静寂さが現れている。


陽が沈み、闇が徐々に染み入ってくる。
この闇というのは、決して怖いものではなく
闇には闇の美しさがある。


それは、沈黙の美しさ。


その沈黙のなかで創造性は開花し
神話や芸術が生まれてきたのだ。


そんなことに思いを馳せながら山を観ていると
山頂の少し上に宵の明星が見えた。


後ろを振り向くと、満月に近い月が昇ってきていた。


「ようこそ、私たちの世界へ」と
月、星、山々に歓迎されているような気分になった。


徐々に自分のなかの創造性が開花していく。



たまに、夜9時頃に東京の仕事場に向かうことがある。
街灯がない森では、9時というとすでに真夜中である。


東京には11時を過ぎて着くが
都会では、たくさんの人々が騒ぎ
ネオンサインが眩しいほどに輝いている。


私は、森とは全く違うリアリティにいつも当惑する。
このリアリティの違いには慣れることはない。


投稿者 haruki : 2007年01月31日 23:19

雪化粧


昨日は、車で2時間かけて山間部の過疎村に行ってきた。


山並みが幾つも重なり
ぽつりぽつりと古い民家が点在する風景だった。


この風景が目の前に拡がった時
私が探し求めていたのは、このような場所だということがわかり
魂が震える感じがした。


その場所に辿り着くまでは、そういう感覚になるとは
予想だにしなかったから不思議なものである。


100年前から変わらずに存在していたであろう
観光名所が一つもない、近代化されていない村。


現実的には過疎化が進み、深刻な問題もあるだろうが
日本の原風景が残っている、素晴らしい場所だった。



その山間部に向かう途中、峠にさしかかると
それまでの小雨が雪になった。


瞬時に冬が戻ってくる。


「雪化粧」とはよく言ったものだ。


「日本語の表現は美しい」と思うと同時に
このような美しい表現を持っている、日本人としての誇りを感じた。


投稿者 haruki : 2007年03月02日 01:06

雪山に月


冬の楽しみのひとつとして
雪山に朝日があたる風景がある。


時間にしてほんの数分
雪山が赤くなる。


このような素敵な光景が観られるとは
山に住んでみるまでは知らなかった。


住んでみてわかる、思いがけない歓びはたくさんあるが
朝焼けで赤くなる雪山は、そのひとつだ。


今朝は、山に沈もうとする月が一緒だった。


慌ててカメラを取り出し
デッキに出てシャッターを押す。


シャッターを数回押しているうちに、月は稜線に近づいていき
あれよという間に山に入ってしまった。


こういう時は、太陽や月の動きの速さを実感する。


それだけ私たちの地球は、凄い勢いで動いているのだ。


投稿者 haruki : 2007年03月07日 06:52

夕焼けに染まる山並み


この2週間、出張が重なり、疲れが溜まっていたが
朝起きて天気が良かったので、思い立ったが吉日
懲りずに2時間近く車を走らせ、山間部の過疎村に行ってきた。


今日は、いくつか集落を回った。


同じ山間部の過疎村でも、集落によって空気感が違う。
濃密な暗い集落もあれば、開放的な明るい集落もあった。
残念なことに、期待を膨らませて訪れた集落は
私にはピンとこなかった。


実際にその場に身を置き、肌で感じてみないと
その場所の空気感はわからないものだ。


帰る途中、3週間前に訪れた土地に寄りたくなる。


その土地に着くと
あたかも自分の家に戻ってきたかのように
私の心は落ち着いた。


日が経つと異なった印象を持つかもしれない、と思っていたが
3週間前に初めて訪れた時と同じ感動があった。


人間関係で「肌が合う」ということはあるが
土地や集落とも「肌が合う」ということがあるようだ。


今日は夕方にこの土地に着いたが
そこには夕焼けに染まる山並みが拡がっていた。


幾つも重なる山並みが、グラデーションになっている。


なんて美しいのだろう。


言葉を失う。



私は東山魁夷の「残照」を思い出した。


「残照」を描いた時のことを画伯はこう述べている。


「この場所に腰をおろして、遥か遠くへ重なり続けている冬枯れの山肌が
 折からの夕陽に彩られて、刻々と変化していく有様を見ていました。
 その瞬間、私を包む天地のすべての存在は、私と同じ運命にあり
 静かにお互いの存在を肯定し合いつつ、無常の中に生きていると思った時
 当時の私は寂寞とした心が救われるのを感じたのです。」


この夕焼けを観ていた時
魁夷画伯が感じていたものに
ほんの少し、触れたように感じた。


投稿者 haruki : 2007年03月22日 20:41

自然の神々


先週の木曜日、花見には絶好の陽気だったので
毎年この時期に必ず訪れる、近所のお寺に行ってきた。


このお寺はテレビや雑誌でも話題になったせいか
毎年、訪れる人が増えているが
平日のせいか、思ったより人が出ていなかった。


このお寺の良さは
なんといっても、桜と水仙と雪山の構図の素晴らしさである。
自然の美しさのなかに、寺院があると言ってもよい。
また、山岳信仰とは関係のないお寺だと思うが
このようにして眺めると、あたかも雪山を祀っているようにも見える。


実際に、威厳ある神々しい山の姿には、畏敬の念が湧いてくる。



そしてもう一つ、このお寺には素晴らしいものがある。
それは、境内にある一本の桜の樹。


この桜の樹は、樹齢2000年だそうだ。
人間の平均寿命を80歳とすると
この桜は、人間の25倍もの人生を生きている。


同じ場所に2000年もの間、ずっと根付き
存在し続けている桜。


もし、桜に意識があるのなら
どんなものを観て、何を感じてきたのだろうか。


花見の時期が過ぎ、人気がなくなった頃に
桜の樹の前で静かに目を閉じ
こころの耳を澄ましてみたい、と思った。



アニミズムは原始的宗教と言われるが
温暖化が深刻な現代には
アニミズムの良さに目を向ける必要があると痛切に思う。


山尾三省さんの言葉を思い出す。


「土は無限の道場、詩はそこに正座する。」


まさにこの一本の桜の樹は、三省さんの言葉を体現していた。
私にとっては、この桜の樹も雪山も神である。


投稿者 haruki : 2007年04月08日 13:01

桜の木に支えられた思い出


一昨日、まだ観光名所になっていない
地元の人しか知らない桜並木に行ってきた。


ここは、村のはずれにある農道沿いの桜並木で
とてものんびりした空気が流れている。


まさに「スローライフ」という言葉がぴったりの場所だ。


この場所が、旅行雑誌に掲載され
観光バスが行き来し、たくさんの人が押し寄せて
賑やかにならないことを祈ろう。


「ひっそりと佇む美しさが保たれますように。」



なぜ私たち日本人は、これほど桜に惹かれるのだろう。
この答えは、皆それぞれ違うと思う。


私は小学校を二度転校したこともあるだろうが
私にとっての桜は、転校した学校での新学期の始業式のイメージと重なる。


期待と不安とが入り交じった登校初日、校庭にはたくさんの桜が咲いていた。


友達がまだ一人もいない初日、桜の木の下に座って
在校生が校庭で元気にボール遊びをしているのを
羨ましさとともに眺めていたことを思い出す。


そんな心細い私の背中を、満開の桜の木は支えてくれていたのだった。


日本では新学期を4月と決めたのは
その頃の人々が季節のリズム、自然のリズムに調和していた証拠だと思う。


新しいものが生まれるエネルギーに満ち溢れる季節に
新学期を迎えられたことは幸せだった。


桜の木に感謝。


投稿者 haruki : 2007年04月14日 01:32

素晴らしき山村との出合い


今日は、梅雨の時期にもかかわらず、初夏の爽やかな気候だったので
近頃行ってみたいと思っていた山村に向かった。


いつもは、別の村に行くために
この山村近くのインターチェンジは通り過ぎていた。
だから今日初めて、このインターチェンジで降りる。


天気がよく、山並みが遠くまで、くっきりと見えたこともあり
山深い土地にもかかわらず、それほど閉鎖的な感じがせず
とても気に入った。



いつも家から眺めている山々も気に入っているが
ここで眺める山々は、印象が違って見える。


いつも眺めている山々は、家が山麓にあることもあって
山々の懐に私個人が抱かれている感じがする。


それに比べて今日眺めた山々は、遠くに長く連なり
大袈裟な言い方だが、日本列島を支えている感じがした。
まさに「日本の屋根」と呼ばれるには相応しい、堂々たる存在感だ。



このような山深い土地で、農業をされている方々が居ることも驚いた。
天気の良い日に、観光気分で車で走っていると気持ちいい。
しかし、一生、このような山深い土地に暮らすことは、厳しいことだと思う。


道路脇の石碑には「農魂」と刻まれていた。


このような決意を持たないと、この土地で農業はできないのだろう。
辛い時には、この言葉を心に刻み込み、自分を奮い立たせるのかもしれない。


都会に育った私にとっては、想像を絶する世界だ。



また、それだけ厳しい環境だからこそ
信仰心も育まれ、霊性も鍛えられるのかもしれない。


この山村の入口には、変わった道祖神が祀られている。


滑稽で親しみを持って旅の安全を守ってくれると同時に
邪悪なものを村に入れないような恐さを持つ道祖神。


正月のしめ縄で作ると説明書きにあった。
毎年、年の初めに、一年の祈りを込めて作るのだろう。


親しみと恐さを持つ神というのは
村人たちの神に対する想いを反映していると思った。


これらの神々は、決して遠くにいるのではなく
近くで見守ってくれる存在たちだった。



山村には、棚田があり
その向こうに、集落がぽつりぽつりと点在していた。


日本人の原風景のような光景で
原田泰治さんの絵の世界が、そこには拡がっていた。


素晴らしい山村との出合いがあった、良い一日だった。


投稿者 haruki : 2007年06月17日 00:02

雲と影絵


露天風呂に入って、目を閉じない時はいつも
山の稜線に沿って流れる雲を眺めている。


その時々で、雲はいろんな色といろんな姿を見せてくれる。
ある時は龍、またある時は犬や人の笑顔など
雲の創り出す作品は変幻自在だ。


特に夕方、露天風呂に入るのが私のお気に入り。
なぜなら、茜色に染まる雲が目の前に拡がるからだ。


特に今日は言葉を失うほど、雲が立体的に現れて
素晴らしかった。



温泉から出て、車を走らせる。


夕焼けの色がどんどん深まっていった。


運転中、視線を空に向けると、そこには茜色の世界が拡がり
瞬時にして私の心は、その世界に惹きつけられた。


車を路肩に停めて降り、無我夢中にシャッターを押す。


そこには、藤城清治さんの影絵の世界が拡がっていた。



私の世代は、藤城清治さんの影絵に馴染みがある。
私たちは幸運にも、天気予報で毎日のように
藤城清治さんの影絵を観ることができた。


私は、天気予報のためではなく
藤城さんの影絵を観るために
いつもチャンネルを合わせていたことを思い出す。


私が小学校に入学する時
親がお祝いに、小さな電気スタンドを買ってくれた。


そのスタンドには、蛍光灯だけではなく
台座に、豆電球に映し出される影絵が付いていた。


夜、部屋の電気を消した後
私は枕元で、この影絵を観るのがとても好きだった。


毎晩、影絵の世界に入り込み、非日常的な感覚を楽しんだものだ。


子供の頃から、光と影の世界に惹かれる自分がいる。


投稿者 haruki : 2007年07月05日 22:17

年に一度の出会い


先日は、織女とひこ星が出会う七夕だった。


年に一度だけ出会うからこそ
私たちは七夕に特別な想いを持ち、祭る。


森に住むようになってから、私にとっての七夕は特別の意味がある。


それは、七夕の時期になると、家の前にある沢に
源氏蛍が20〜30匹飛ぶからだ。


7時から8時にかけて、窓から外を見ると
緑色の光が音もなく飛んでいる。


暗闇の静けさのなか、沢や森を緑色の蛍が自由に飛び回る光景は
とても神秘的で、毎年感動する。


心の深いところの何かが、震える。


これが一年中飛んでいたなら、これだけ感動するだろうか。



悲しいことに、私たちは当たり前になると
感動もありがたみも、感じられないことが多い。


年に一度だからこそ、私たちは感動し
「今ここ」に居ることができるのだと思う。


野菜にしても、その時期にしか食べられないからこそ
旬の野菜を十分に味わって食べることができる。


私たちは、便利さの恩恵を受けているが
不便であるからこそ、得られる恩恵もある。


それは、新鮮と感じる心、今ここにいる感覚、感謝
そして日本人として「季節の風物詩」を味わう心だ。


私たちは便利さによって、大切な質を失っているかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年07月13日 01:38

ご神木の大ケヤキ


今日、地元の友人夫妻に、とても良いエネルギーの神社があるから、と誘われ
彼らの車に付いて行った。


山に向かって走り続け、普通だったら見過ごすような道に入る。
その道は坂道になり、対向車とそれ違えないくらい細くなっていく。


こんなところに神社なんてあるのだろうか、と不安になったが
それ以上に期待に胸が膨らむ。


なぜなら、どんどん私の好きな空間になっていくからだ。


そのうち森に囲まれた、山間の小さな集落に入る。
そこに、緑深い山を背負った、質素な小さい神社があった。


神社の佇まいも素晴らしかったが
何よりも驚いたのは、神社の鳥居の両脇にどっしりと根を下ろした
幹周が優に10メートルは越えるであろう
推定樹齢700〜800年の大ケヤキだ。


このような大ケヤキに結界された神社の聖域は
神道特有の静寂さに包まれていて、居心地が良かった。



写真を撮っていると、寝間着姿のご老人がとぼとぼと
ゆっくりとした足取りで、神社に歩いてきた。


皆で挨拶を交わすと、そのご老人は、神社にお詣りをし
本堂の縁側で少し休んだかと思うと
神社を後にして来た道をゆっくりと戻っていった。


あのような足取りだと、神社まで歩いてくるのは大変だっただろう。
それでもお詣りをするというのは、ご老人の信仰心の現れだと思う。


やはり日常生活の場に、聖域があるのは素晴らしい。


この神社の片隅には、雑草に囲まれた石像が佇んでいた。


お気に入りの聖域がまた一つ増えた幸せな一日だった。


友人夫妻に感謝。




投稿者 haruki : 2007年07月14日 00:13

浅葱色の渓谷


昨日、山村からの帰り道に
浅葱色の渓谷を通った。


この渓谷を通っていて、中学生の頃
会津にある只見川に惹かれていたことを思い出した。


なぜなら、只見川もこのような浅葱色をしていたから。


昔から思うが、何故、水がこのような色になるのだろう。


自然は不思議な色を醸し出すものだ。



この風景も、東山魁夷画伯の絵の世界だった。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 21:19

秋の空


この2ヶ月間、とても忙しかったので
山村に出かけることはできなかったが
今日は久しぶりに、車を走らせていくつかの山村を訪れる。


山村を巡る時、自分の内的感覚を大事にし
共時的な出来事をサインにして動くようにしている。
どんなに前評判が良い土地であっても
私自身の肌に合うとは限らないからだ。


そして最後は、お気に入りの山村に行く。
ここは観光地でもなければ、特産物もない。


でも、この場所に近づくと、私の心もからだも喜び
輝き出すのが分かる。



特に、視界いっぱいに、幾重にも山々の稜線が重なって見える
この場所からの夕陽は、大好きだ。


ただただ、呆然と立ちつくして
目の前に拡がる風景を見続けたくなる。


心もからだも打ちのめされる風景には、なかなか出合えないが
この場所の夕陽には、いつも打ちのめされてしまう。



呆然と立ちつくしていると
軽自動車が村道を登ってきた。


車一台分しか道幅がない村道であるために
私の車を退かさないといけない。
慌てて、車まで走っていく。


私の走っていく姿を見たからだろう
軽自動車から60代の男性が降りてきて
「そこに置いたままで、大丈夫だよ」と、優しく声をかけてくれた。


山村を訪れると、怪訝な顔をされる場合と
好意的に温かく迎え入れてくれる場合とがある。


この場所は、ありがたいことに後者だった。



その方は、この区域の区長さんだということがわかり
夕陽が見える場所で、村のことをいろいろと聴くことができた。


「ぜひ、また来てくださいな」


わざわざ被っていた帽子を取り
嬉しそうな顔で挨拶をしてくださった。
私も帽子を取り、笑顔でお辞儀をした。


「また来ます」


素晴らしい夕陽との再会と
温かな人との出会いがあった一日だった。


投稿者 haruki : 2007年10月12日 22:55

魂への滋養


今日は、自動車免許の更新のために山から降りる。


遠回りだが、最近見つけた、昔ながらの町並みが残る道を走る。


途中、一本の桜が目に飛び込んできた。
光の加減で紅葉した葉っぱが透けて輝いていた。


瞬時に、その光景に心惹かれたが
運転をしていたので、そのまま通り過ぎる。


心残りはあったが、「帰りに写真を撮ればいいか」
と自分を納得させた。


でも、戻りたい衝動にどうしても駆られ
手続きの受付時間を気にしながらも車をUターンさせて
桜の木に向かった。


車を停めてカメラを取り出し、撮影ポイントを探して走り回る。
残念ながら良い撮影ポイントは見つからない。


時間がなかったので妥協して写真を撮る。


すると数分も経たないうちに、光線の加減が変わってしまった。


自然相手だと、心惹かれる瞬間が「そのタイミング」であることを
あらためて感じさせてくれた出来事だった。



フランスから来たトレーナーの言葉を思い出す。


「食べ物は心身に滋養を与えるが
 感覚を味わうことは魂に滋養を与える。」


まさに、心惹かれる瞬間は「魂からの叫び」だ。


その叫びに耳を傾け、行動を起こすことで
魂に滋養を与えることができるのだ。



無事、更新手続きが終わり、帰路についた。


途中で、何故だかわからないが、どうしても左折をしたくなった。
その衝動に従い、左折して車を走らせる。


ふと左を向くと、そこには夕陽のなかに富士山が浮かび上がっていた。



自然のなかでは、感覚が研ぎすまされ
魂が喜んでいく。


誰もが自然を求めるのは、魂からの叫びなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年11月14日 18:47

空と山々


東京ではまだ紅葉が楽しめるが
山麓の森では紅葉が終わり
広葉樹の殆どが葉を落としている。


葉が落ちて視界が開けると
雄大な山々が姿を現す。


山々は、あたかも葉が落ちることを予想していたかのごとく
葉が落ちる寸前に、雪化粧をしてくれた。


このような自然の絶妙なタイミングに
いつも敬服してしまう。



乾燥と冷たさによって、空気が凛としてくると
空や山々の美しさが際立つ。


美しい空と山々が、目の前に広がると
感動から、思わずため息をついてしまう。


その感動を言葉にしようとしても言葉にならない。


無理に言葉にしようとすると、感動が薄れてしまう。


ため息にしかならない。


このような時には、思考の無力さを感じる。


思考ではなく、身体でじかに感じること
感覚に乗っ取られることの方が
自意識よりも、遥かに大きなものに触れているように感じる。


この大きなものとの触れ合いは、圧倒的な感覚だ。



逆説的ではあるが、この圧倒的な感覚は
外側の「空」と内側の「空」が共鳴しているように思える。


圧倒的ではあるが、「空」なのだ。


そこには魂も介在しているかどうかもわからない。


投稿者 haruki : 2007年12月06日 22:49

雪と棚田


今回は、今までよりもさらに遠くの地域に向かった。
初めて向かう地域なので、出かける前から期待が高まっていた。


家を出る時は快晴だったのだが
途中で雲が増え始め、雨になる。


そして、目的地は雪だった。


地域が変わると、これほどまでに天気が違うものか、と驚く。


今まで通っていた山村とは、また違ったエネルギーの地域だった。



この地も気に入ってしまう。


なにしろ棚田の規模が違うのと
山間の集落だが開放的で
雪が降っているにもかかわらず、暗く重たくなかったからだ。


そして、日本の原風景がしっかりと残っている地だった。



この地は、家からは遠くではあるけれど
頻繁に訪れたい気持ちになった。


それは、この棚田が四季を通じて
どんな表情を見せてくれるのか、観てみたくなったから。



来年早々、雪深い時にまた来よう。


雪が深々と降りしきるなか、静寂を感じてみたい。


帰ってきたばかりなのにもかかわらず
次回の訪れを、もう楽しみにしている自分がいる。


投稿者 haruki : 2007年12月21日 23:01

豪雪の里


ようやく時間が出来たので
昨年末に訪れた遠くの山里に出かける。


この地域は、積雪量が多い年で5メートル以上にもなる
世界有数の豪雪地帯である。


そのような豪雪地帯には、生まれてこのかた足を運んだことがなかったので
昨年末訪れた時から待ちこがれていた。


道路脇の2メートル以上の雪の壁に感動し
朝5時から除雪車やロータリー車が動いていることに驚き
3階の屋根の上で平然と雪下ろしをする人に驚嘆する。


何もかもが新鮮である。



地元の方と話をすると
豪雪地帯での生活の大変さは切実だ。


公道は除雪車で綺麗になるが
私道は、それぞれが雪かきをしなければならない。


酷いときには、一晩で1メートルは積もるらしい。


そうなると毎朝、雪かきをしてから
仕事に出なければならなくなる。


ましてや、高齢者にとっては、さぞかし負担なことだろう。



昨夜は、その地域にある日本三大薬湯のひとつに宿をとった。


雪を見ながらの露天風呂は
風情あり、効能ありで素晴らしかった。


雪で冷えきった身体は芯から温まり
疲れが抜けていく。



風呂から出て、部屋に戻る。


夜中に、雪が降りしきる外を眺めながら、静かに座る。


雪は雨とは違い、本当に静かだ。
その静寂の世界で、1時間ほど目を閉じて座った。
容易に内面の静けさに触れていく。


この感覚は、刺激の多い都会では難しいだろう。


この地域は、歴史に名を残す数多くの師が生き
日本の霊性を深めてきた。


それは、雪に閉ざされ
否応無しに、内面に向かはざるを得なかったからかもしれない。



今日は、近くにあるブナ林に行った。


スノーシューも初体験で
道なき道を歩いていく。


よく言われることだが
足跡が全くないところを歩くのは気持ちがよかった。



最後に博物館を訪ねる。


この博物館には、国宝に指定されている縄文土器が
たくさん展示されているので、楽しみにしていた。


この地域では、火焔土器が多く出土している。


火焔土器と対座していると
縄文人の芸術性の素晴らしさと、炎のような熱き情熱が伝わってくる。


まるでゴッホのようだ。


岡本太郎氏は、この火焔土器をよく眺めていたという。
太郎氏はこのように述べている。


「日本の芸術ですばらしいのは縄文の土器と土偶のみである。」


そして梅原猛氏は、このように述べた。


「太郎の言葉として『芸術は爆発である』という言葉が有名であるが
 太郎がその言葉を発したとき、この火焔土器のことが頭にあったのではないか。
 火焔土器はまさに爆発する縄文土器といってよかろう。」



なぜ、このような豪雪地帯に縄文人は住んだのだろう。


それを知るすべはないが、このような雪深い地域だからこそ
太郎氏に「爆発だ」と言わしめた火焔土器が作られたのだと思った。


そして、その流れは、日本の霊性を深めた先人達にも受け継がれている。



生きるには過酷な地域だが
「日本の霊性」という側面では、エッセンスに満ち溢れている地域だった。


これからも、たびたび訪れよう。


投稿者 haruki : 2008年02月01日 23:08

魂を育む大地


丁度、去年の今頃、田圃の水面に惹かれて写真を撮っていた。
そして今年も相変わらず、田圃の水面に惹かれている。


これほどまでに、田圃の水面に惹かれていても
天候、風景、田圃の水入れ、すべてのタイミングが揃うのは
一年のうち、ほんの数日だ。


今朝は天気がよかったので、眠い目を擦りながらも思い切って起き
カメラを持って車に乗り込む。


田圃の水面を見つけると車を停め
水面に映る風景を確認しながら撮影ポイントを探し
惹かれた風景に出合うとシャッターを押す。


その行動を繰り返していると、先ほどまでの眠気がなくなって
感覚が冴え渡り、魂が活き活きと喜んでいた。



魂が感応し夢中になると、どんなに身体が疲れて消耗していても
活き活きしてくるのは何故だろう。


「ねばならぬ」でいやいや行動していると、身体は消耗するが
魂が感応し夢中になり、その感覚に身を委ねていくと
疲れた身体が元気になっていく。


そういう意味で、身体は正直だ。


私たちは、魂を日常の意識で直接実感することは難しい。
でも身体が、魂に添っているかどうかを知るバロメーターになる。



身体は、魂の乗り物。


そして身体は、魂を育む大地である。


投稿者 haruki : 2008年05月15日 19:04

光り輝くとき


昨年の今頃のエッセイを読んでみると
7月13日に、源氏蛍のことを書いていた。


丁度一年後の今、また家の前の沢に
源氏蛍が20〜30匹飛んでいる。


一年前に書いたエッセイと
同じことを今年も感じている。


同じことを感じているのに
新鮮な気持ちでいることが嬉しい。



蛍は、カレンダーもないのに
毎年、同じ時期に光り輝き飛びまわる。


梅の花も、桜の花も、桃の花も、ハナミズキの花も
カレンダーもないのに
申し合わせたように一斉に咲く。


私たちも、内面にあるリズムを信頼することができるなら
他者の評価によって自己価値が上下することもなく
機が熟せば、自ずと花咲き、光り輝くことだろう。


投稿者 haruki : 2008年07月11日 20:59

初雪


前回、エッセイを書いたのは
源氏蛍が飛び交う季節だった。


それが、もう初雪が降る季節になってしまった。


「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだ。
本当に月日が流れるのが速い。


振り返ってみると、確かにこの数ヶ月、とても忙しく
目の前にあることを次から次へと、休む暇もなくこなしていく日々だった。


そのことによって、成し遂げることは多く
新しい出会いもあり、充実していたのも事実だが
自分の心象風景に目を向けるゆとりがなかったのは、残念なことだった。



この数ヶ月は、交感神経が優位だったと思う。


それは必要だったことだった。
なぜなら、交感神経が優位になることで
目の前にあることに集中して対処することができるから。


でも、そろそろ副交感神経を優位にする、ゆとりを自分に与えたいと思う。
そのことによって、内側にある心象風景を浮かび上がらせることができるから。



12月に入ったら、久しぶりに「地球の体液」である温泉に浸かりながら
自分の心象風景に再会しよう。


投稿者 haruki : 2008年11月23日 17:51

大晦日の夕空


夕方、外に出て1分もしないうちに
手がかじかんだ。


昼間、暖かいと思っていたのに
日が沈むと途端に寒くなる。


でも、山と木をシルエットにして、空のグラデーションを眺めていると
寒さを一瞬忘れられる。


一年間の疲れが溜まった身体が、ピーンと澄んだ空気に晒されて
浄化される感じがした。



風に揺れる木の奥で
三日月が控えめに輝いていた。


年の終わりに、素敵な光景に出合えて、嬉しい。


投稿者 haruki : 2008年12月31日 18:37

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