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からだは魂にとっての住み家


今、越後奥寂庵の補修工事をしていて
毎朝、大工さんと電話で打ち合わせをしている。


保険会社と自治体による損壊調査のため
何も手をつけられなかったが
7月に入りようやく補修を始めることができた。


保険会社の診断は、半壊。


一見、それほど大きな損壊があるとは思えないけれど
基礎廻りにかなりのずれが生じていることから
そのような診断が下った。


そのために、基礎廻りには大々的に補修工事が行われている。


お金はかなりかかってしまうが
これを機に、今まで以上に丈夫で良い空間にしようと思っている。


今日は、1階の床下すべてに大量の炭を入れていると連絡が入る。


今度、訪れるのが楽しみだ。



大工さんがこんなことを言っていたのが印象的だった。


「こんな家はよう、手がかかるもんだよ。
 たびたび、床下に入ってよう、様子を観るもんだ。
 こんな家は、畑と一緒でな。
 まめに手を入れる必要があるんだよう。」


また、別の業者さんはこんなことを言っていた。


「家っていうのはな、住まねぇと駄目なんだ。
 住んでいる家は、見えるところが駄目になっていく。
 でもな、住まねぇ家は、見えねぇところが駄目になってくもんだ。
 だからな、住んでやんねぇと、家が傷んでしまうぞ。」


補修が終わってからは、なるべく越後奥寂庵に滞在する日を多くしよう。



大工さんたちの話を聴いていて
人間も一緒だな、と思った。


からだのなかにしっかりと存在し
からだからのサインに耳を傾けていれば
少しの変調から、からだの状態を知ることができる。


からだに対して五感を研ぎ澄ますことによって
変調だけではなく、何処に居たいのか、何を食べたいのか、誰と会いたいのか
何を不快に感じるのか、何をしたいのか、どう感じているのか・・・などなど
いろいろと自分自身のことを教えてくれる。


でも、外側にばかり意識を向けていたり
心ここにあらずで頭のなかで空想ばかりしていたら
からだを忘れ、抜け殻状態になってしまう。


そうすると現実ではなく、仮想空間に生きることになる。


からだにしっかり根づけば
心身は生命力に溢れ、からだの動きに優雅さがもたらされて
自ずと内面から輝き出すことだろう。



からだは魂にとっての住み家だと言える。


家と同様、いつもしっかりとからだのなかに
住んでいたいものだ。



投稿者 haruki : 2011年07月25日 19:45

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