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土との触れ合い


この3ヶ月、「森の生活」も、「越後奥寂庵だより」も
読んでくださっている方には申し訳ないと思いつつ
更新できなかった。


それは休みになると、ほとんど外にいるために
パソコン離れをしているから。


森では朝から日が暮れるまで畑に出ているし
越後では、やはり朝から日が暮れるまで敷地の草刈りのため刈払機を担いでいる。


ニッカボッカに地下足袋を履き、足首に脚絆を巻き付けて
首には濡れたタオルを巻いてTシャツのなかに入れ
軍手をはめるのが、休日スタイル。


いずれにしても土と触れ合いながら
身体を動かすのは気持ちがいい。



いざ畑を始めてみると知らないことばかり。
地元の農家の方をはじめ、通りすがりの諸先輩方に相談しながらも
試行錯誤の連続だ。


みなさんからは、温かい言葉をかけて頂いているが
内心、「なにをやっているんだろう」と思われていることだろう。


それでも、畑を介して
地元の方々と交流できるのは嬉しい。



無農薬有機栽培で行っているので
この1年は何でも実験だという気持ちでいるが
先日、通りかかった地元の方にこう言われた。


「もう60年以上も農業をしているが、毎年ほやほやの1年生だよ。
 昨年うまくいったからといって、今年同じことをしても
 うまくいくとは限らない。
 なんといってもお天道様次第だからね。
 農業は奥が深いんだよ。」



「毎年、実験になるのか」と思うと気が遠くなるけれど
それだけ面白いとも言える。


そのように実験として始めたけれど
収穫してみると予想以上に採れて、消費するのに大変。


しかも、甘かったり、柔らかいのにしっかりしていたり
香りが強かったりと、本当に美味しくて幸せになる。



この3ヶ月で作った野菜は、以下の通り。


ミニトマト、大玉トマト、きゅうり
長なす、水なす、普通のなす
ピーマン、セニョリータ、バナナピーマン、万願寺、唐辛子
トウモロコシ2種類、長ネギ、シソ、バジル
枝豆、チンゲンサイ、ルッコラ



昨日は、終わった夏野菜を抜いて、完熟堆肥と有機肥料をすき入れ
土を作っていたところには、秋冬野菜の植え込みを始めた。


キャベツ、白菜、レタス
ブロッコリー、スティックセニョール、オレンジカリフラワー


これからも時間が許す限り、いろいろと植えていこう。



投稿者 haruki : 2010年09月02日 12:12

体得するということ


不便な場所に住んでいると
インターネットの恩恵を受けていることを実感する。


欲しい情報は、世界中から容易に手に入れることができるし
書籍にしてもCDにしても、森に居ながらにして手に入るのだから。


以前なら欲しい書籍は、都心の大手書店まで
わざわざ買いに出かけなければ行けなかったわけだから
インターネットは本当にありがたい。


メールにしても、日本にいる友人より
ブラジルにいる友人の方がレスポンスよくやり取りできる。


不思議でならないほど、便利な世の中である。



最近、「日本力」という本を読んだ。


編集工学者、松岡正剛氏と
写真家、エバレット・ブラウン氏の対談である。


この本は、日本人というものを考える上で
素晴らしい洞察に満ちていたので、面白くて一気に読んだ。



「ある場所に身を置くことで、初めて体得できるものがある」
という思いは、以前から強かった。


小学5年生から一人旅が好きで
その場所に行って、そこの空気感を感じ取って
写真を撮り、テープにその場の音を録音していた。


日常とは異なる場所に身を置くことで
自分の気持ちや価値観が変わる。


その新鮮な自分で、人や自然に出会い
自分と対話をすることが好きで旅をしていた。


このような経験から
「ある場所に身を置くことで、初めて体得できるものがある」ことは
私にとって当たり前になったのだろう。


この感覚は、今でも大切にしていて
最近では二つのことが当てはまる。


一つは、「日本人とは何か」を体得するために
わざわざ越後奥寂庵を手に入れたこと。


それは、越後という日本的霊性の故郷で
日本人の精神構造を現している古民家に、自ら身を置いてみたかったし
その地に代々住んでいる方々に、住民として出会ってみたかったから。


もう一つは、畑をやり出したこと。


これは、鈴木大拙氏がいう「大地性」、松岡正剛氏がいう「土発性」という
日本的霊性を少しでも体得したかったから。



実際にその場所を訪れて、その場の空気感を全身で味わい
人や自然と直に出会うことは、時間もエネルギーも要することであるが
この「手間暇かけること」がいかに大切であるかを
「日本力」を読み、あらためて認識した。


インターネットで検索して、容易に得られる情報では
「日本力」のなかの表現を用いるなら
「自分が探している以上のものはやってこない」。


どうやら手間暇かけて、身体を使って興味のあることを繰り返し行うことで
心が深くまで耕され、その土壌の上に
共時的な出来事や新しいものが生み出されるようなのだ。


越後奥寂庵や畑で起こり始めた
人との偶然の出会いや、思いもよらない出来事は
私の心が、それぞれの地で深まりだしたことによるのだと思う。



反対に、その地域を訪れてもいないのに借り物の知識によって
その場所をあたかも知っているかのように錯覚してしまったり
人と直に出会わずに、うわさ話や他人の言動をもって
その人のことがわかったつもりになると
思い込みの世界に生きることになる。


私たちは悲しいかな
容易に、思い込みの世界にはまり込み
それが真実であると信じて疑わない傾向をもつ。


そこに気づきという光がもたらされなければ
無明の世界に生きることになり
残念ながら、現実から離れ、煩悩が止めどもなく生まれてしまうことだろう。


インターネットを通して容易に情報が入る現代では特に
サイトやメールに書かれている文章を読んだだけで
「わかった」と錯覚してしまうリスクが高いと思う。



現代社会は、リズムやサイクルがとても速い。


このような時代では、大量の情報を即座に取捨選択する必要があるので
手間暇かけることは、効率が悪いと感じるのも仕方ないことだ。


しかし、このような時代だからこそ
手間暇かけてでも、実際にある場所を訪れたり
人や自然と直に出会って深く共鳴したりするなど
自分の身体で体得することが、心を耕すことになるのではないだろうか。


そのような「手間暇」の積み重ねにより
容易に手に入る借り物の知識で自分を飾ることなく
周囲からの情報に惑わされることもなく
自分の内奥が深まり、豊かな土壌になると思う。


私は、インターネットの恩恵に感謝しつつも
手間暇かけて、場所、人、自然と直に出会い、自分の身体で体得することを
これからも大切にしたいと思う。


投稿者 haruki : 2010年09月14日 23:48

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