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ニセアカシアの花


初夏のような陽気になると
川沿いには一斉に、ニセアカシアの白い花が咲き乱れる。


この花の香りは、とても甘いので
川沿いを運転して、この香りが漂ってくると
誘惑に勝てずに、車を停めて外に出て
鼻先を花に近づけて深呼吸をしてしまう。


そうすると、甘い香りが胸に広がっていく。


一度、天ぷらにして食べたことがあるが
やはり食べるより、この甘い香りの方が好きだ。


以前から気になっているのは、この花の名称である。


なぜ、「ニセ」と付くのだろう。


数年前にアマゾンに行った際
アカシアの木から抽出したオイルを買ったことがあり
同じような甘い香りだった。


アカシアに香りが似ていることから
誰かがニセアカシアと名付けたのだと、勝手に思っている。



東京から中央道を走り、甲府盆地を抜けていくと
南アルプスが正面に迫ってきて、その後に右前方に八ヶ岳が見えてくる。


いつも運転しながら、この景色を見ると嬉しくなってしまう。


しかし、この景色に見慣れていても
八ヶ岳が見える前に、同じような裾野をもつ茅ヶ岳が見えてくるので
一瞬、茅ヶ岳を八ヶ岳と見間違ってしまうことがある。


そのように見間違いをする人が多いのだろう。
茅ヶ岳には「にせやつ」という愛称が付いている。



私たちは、違いによって物事を認識していて
違いがあるからこそ、それぞれを別個のものと認識できる。


その違いを、個性、固有の質といってもいい。


人工的なものは別にしても
自然界にもともと存在するものには
高低、優劣というものはなく、存在するものすべてが平等だと思う。


そのような自然界にもともと存在するものに
「にせ」という名称を付けてしまうのは
暴力的なことではないだろうか。


そのようなスタンスから、すでに自然破壊は始まっている。



私たちは、主観から抜け出せないことから
自分を基準にして物事を捉えるのは仕方のないことだが
だからといって、自分以外の存在を軽んじてはいけないと思う。


それは人間関係でも同じこと。


「にせ」とまでは思わなくても
「自分の方が正しい、優れている」というスタンスで人と関わるなら
どんなに表面的には優しくしても
私たちは、相手に対して暴力を振るうことになる。


それは、本人は無自覚でも、ちょっとした仕草に現れる。


そのような無自覚な暴力によって
どれだけ多くの人が苦しみ、辛い思いをしていることだろう。


私たちは、自分のエゴの働きに意識的になる必要がある。


投稿者 haruki : 2009年05月23日 01:08

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