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日本的霊性の深化


先週は、ある国際会議が黒部であったおかげで
親鸞ゆかりの地を再び訪れることができた。


前回、訪れることが出来なくて心残りだった神社に向かう。


この神社は、流罪になった親鸞が上陸して
最初に参拝した神社であると言われている。



親鸞は、早く赦免になるよう
そして念仏が盛んになるよう、祈願したという。


その時の状況から
親鸞がそのように祈願する気持ちはわかる。
しかし、神仏習合に詳しくないからかもしれないが
素朴な疑問が浮かぶ。


「将来を約束された比叡山を降り
 既成仏教から反発を受けながらも、阿弥陀仏に帰依する親鸞が
 流罪の地で、なぜ最初に神社に参拝したのだろうか。」


神仏習合については今後、学んでみたいと思うが
他宗教を異端と決めつけ、数多くの宗教戦争を行なってきた一神教の宗教では
このようなことは想像し難いことだろう。



鈴木大拙老師は、日本的霊性の目覚めとして
越後に流罪になった親鸞を重要視している。


「宗教は、親しく大地の上に起臥する人間
 即ち農民の中から出るときに、もっとも真実性をもつ。」


「本当の鎌倉精神、大地の生命を代表して
 遺憾なきものは親鸞上人である。」


「親鸞が、具体的事実としての大地の上に
 大地と共に生きている越後のいわゆる辺鄙の人々のあいだに起臥して
 彼らの大地的霊性に触れたとき
 自分の個己を通して超個己的なるものを経験したのである。」


「親鸞は、どうしても京都では成熟できなかったであろう。
 京都には、仏教はあったが日本的霊性の経験はなかったのである。」


これらの老師の文章を読むと
親鸞の流罪が、日本人の精神性に
どれほど大きな影響をもたらしたかがわかる。


もともと親鸞は、神仏習合の精神を持っていたからこそ
越後の地で、大地性を柔軟に吸収して
霊性を深めることができたのだと思う。



そして、梅原猛氏はさらに
大地性の起源を「農民」から「縄文人」へと、推論を押し進める。


「親鸞が、越後で宗教的霊性に目覚めたのは
 後の上杉謙信同様、縄文時代の霊性の名残をとどめるこの地から
 何らかの影響を受けたゆえであろうか。」


親鸞は、周囲から尊敬されても天狗にならず
弟子も取らず教団も作らず
最後まで自分の足元を見続けた
阿弥陀仏に帰依する凡夫だったと思う。


これだけの人が凡夫で在り続けることは
凡人には難しいことだ。


そのような在り方は
万物を人間と同等としていた縄文時代の霊性を基層にした
「大地性」ゆえかもしれない。


デクノボーに憧れていた宮沢賢治を思い出す。



先週行なわれた国際会議は、ひきこもりやニートに関するものだったが
何人かの発表者が以下のように述べていた。


「NPOなどの民間団体が連携して
 縦割り行政に働きかけていくことが
 社会を変えていくと思う。」


このような提唱が、神仏習合が強固になった白山と
霊性を深めた越後との間で行なわれたことは
私にとっては意味深かった。


実際、すべての発表者は
ご自身の信念を貫き、長年行動してきているにもかかわらず
ご自身の活動に固執せずに周りに開かれていた。



帰りに日本三大薬湯のひとつに立ち寄る。
疲れた心身が癒される。


豪雪地帯のため、まだ残雪があったが
少しずつ棚田に人が入り、田んぼの準備をしていた。


またこの地に来よう。



投稿者 haruki : 2008年04月10日 01:12

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