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豪雪の里


ようやく時間が出来たので
昨年末に訪れた遠くの山里に出かける。


この地域は、積雪量が多い年で5メートル以上にもなる
世界有数の豪雪地帯である。


そのような豪雪地帯には、生まれてこのかた足を運んだことがなかったので
昨年末訪れた時から待ちこがれていた。


道路脇の2メートル以上の雪の壁に感動し
朝5時から除雪車やロータリー車が動いていることに驚き
3階の屋根の上で平然と雪下ろしをする人に驚嘆する。


何もかもが新鮮である。



地元の方と話をすると
豪雪地帯での生活の大変さは切実だ。


公道は除雪車で綺麗になるが
私道は、それぞれが雪かきをしなければならない。


酷いときには、一晩で1メートルは積もるらしい。


そうなると毎朝、雪かきをしてから
仕事に出なければならなくなる。


ましてや、高齢者にとっては、さぞかし負担なことだろう。



昨夜は、その地域にある日本三大薬湯のひとつに宿をとった。


雪を見ながらの露天風呂は
風情あり、効能ありで素晴らしかった。


雪で冷えきった身体は芯から温まり
疲れが抜けていく。



風呂から出て、部屋に戻る。


夜中に、雪が降りしきる外を眺めながら、静かに座る。


雪は雨とは違い、本当に静かだ。
その静寂の世界で、1時間ほど目を閉じて座った。
容易に内面の静けさに触れていく。


この感覚は、刺激の多い都会では難しいだろう。


この地域は、歴史に名を残す数多くの師が生き
日本の霊性を深めてきた。


それは、雪に閉ざされ
否応無しに、内面に向かはざるを得なかったからかもしれない。



今日は、近くにあるブナ林に行った。


スノーシューも初体験で
道なき道を歩いていく。


よく言われることだが
足跡が全くないところを歩くのは気持ちがよかった。



最後に博物館を訪ねる。


この博物館には、国宝に指定されている縄文土器が
たくさん展示されているので、楽しみにしていた。


この地域では、火焔土器が多く出土している。


火焔土器と対座していると
縄文人の芸術性の素晴らしさと、炎のような熱き情熱が伝わってくる。


まるでゴッホのようだ。


岡本太郎氏は、この火焔土器をよく眺めていたという。
太郎氏はこのように述べている。


「日本の芸術ですばらしいのは縄文の土器と土偶のみである。」


そして梅原猛氏は、このように述べた。


「太郎の言葉として『芸術は爆発である』という言葉が有名であるが
 太郎がその言葉を発したとき、この火焔土器のことが頭にあったのではないか。
 火焔土器はまさに爆発する縄文土器といってよかろう。」



なぜ、このような豪雪地帯に縄文人は住んだのだろう。


それを知るすべはないが、このような雪深い地域だからこそ
太郎氏に「爆発だ」と言わしめた火焔土器が作られたのだと思った。


そして、その流れは、日本の霊性を深めた先人達にも受け継がれている。



生きるには過酷な地域だが
「日本の霊性」という側面では、エッセンスに満ち溢れている地域だった。


これからも、たびたび訪れよう。


投稿者 haruki : 2008年02月01日 23:08

地球の体液


先週、日本三大薬湯に行ったが
今日は、地元の露天風呂に入ってきた。


それぞれ、泉質や効能は違うが
いずれにしても温泉に入ると、心も身体も深くくつろぐ。



昔から温泉は好きだが
地元の温泉の説明書きを読んでから
それまで以上に、温泉が大のお気に入りになった。


説明書きには、こう書いてある。


「地球の神様『ガイア』から授けられた『地球の体液』と言える温泉」



地球の体液に浸かり、地球に抱かれると
心身ともに浄化され、地球から活力を貰い、生まれ変わる感じがある。


地元の温泉は塩分が濃いので、エネルギーフィールドの浄化にもなる。


週一回、温泉に入り、胎内回帰をして生まれ変わることは
健康を保つために、なくてはならないものになっている。



今日も、空気が冷たく澄み渡るなか
露天風呂で、地球の体液に身を委ねた。


目を開けると、空は、新月のために深い藍色だった。


その深い藍色のなかに、雪山が紫色に控えめに輝く。



ある時は、温泉に浸かりながら、うたた寝をし
疲れた心身が癒される。


またある時は、深くくつろぎながら、直感が冴え渡り
いろんな発想が思いつく。


やはり週に一回は、地球に溶け入り
地球から生まれたい。


投稿者 haruki : 2008年02月08日 21:22

親鸞ゆかりの地


今日は、親鸞ゆかりの地を訪ねてきた。


約800年前、親鸞は、35歳の時に京都で僧籍を剥奪され、流罪となったが
親鸞を乗せた舟が着いた流罪地の浜に立ってみる。


現在の浜辺は、800年前より海岸が浸食されていて
実際に親鸞が降り立った場所ではないらしい。


それでも、激しい日本海を前にすると
能生からよくここまで舟で来られたものだと驚く。



この地に着いた親鸞は、「愚禿親鸞」と名乗ったという。
自らを、「僧侶でも俗人でもない愚かなざんばら髪の人間」と称したのだ。


同じく流罪となった師、法然とはもちろんのこと
妻とも別れ、僧籍も奪われて身一つ、見知らぬ土地で
「愚かなざんばら髪の人間」と自らを名乗る心境とは
いかなるものであろうか。


親鸞は、歎異抄のなかで、以下のように述べていたと伝えられている。


「自分は地獄に堕ちるような罪深い人間である。」



私たちの自我には、防衛機制という働きがある。
自分を正当化したり、味わいたくない感情を抑圧したり
弱く、嫌な面を否定したり否認したりするものだ。


そして自我を心地のいい状態に保つために、プライドを身につけ
他人からの賞賛、地位や名誉、金銭を求める。


親鸞は、そのようなプライドを捨て去り
徹底的に人間が持つ闇や影と向き合った人だと思う。


自分の醜さと向き合うことは、かなり勇気のいることであり
そのようなことを可能にしてくれたのが
この流罪体験だったのではないだろうか。



流罪という人生最大の危機に、敢えて「愚禿」と名乗り
自分の醜さと向き合う機会としたところに
信仰からくる強さ、楽観性を感じるのは、私だけだろうか。


「陰極まれば陽に転ず。」


親鸞は、徹底的に自分の醜さと向き合い、自力の無力さを感じ
陰極まって陽に転じた時に、阿弥陀如来と出会ったのではないだろうか。



そんなことを思っていたからか
帰路で、大きな黄色い満月が夜空に昇ってきたが
まるで阿弥陀来迎図のように見えた。


投稿者 haruki : 2008年02月22日 01:20

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