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旅に魅せられて


先週も、紅葉盛りの山村に行き
色とりどりの景色に心を奪われて、シャッターを押した。


このように風景に魅せられ、心を奪われて
写真を撮っていると、少年時代を思い出す。


小学校高学年の頃から、旅と写真が好きで
愛読書は時刻表、という少々変わった少年だった。


実際、友達と鈍行列車に乗って日帰りの小旅行をしたものだった。


中学になると一人旅が好きになった。
中学2、3年と、2年続けて北海道に一人で行った。
この頃になると写真だけではなく、音にも興味を持ち
鳥の声や環境音を集めていた。


カメラとともに、テープレコーダーにヘッドフォン
それに集音機にするためのビニール傘とマイクを持ち歩いていた。
通り過ぎる大人たちには、物珍しいものを観るような表情で
振り返られたものだ。



北海道では、日の出とともに起き
朝の爽やかな空気感を何とか音にして収録しようと
テープレコーダーとマイクを持って林に入った。


小鳥のさえずりや、遠くから聞こえる犬の声などしか録れなかったと思う。


でも、小鳥のさえずりや犬の声ではなく、ざーっという雑音のような音が
その場の空気感を現しているように思えて
旅から戻ると、目を閉じて、ヘッドフォンから流れるざーっという音を聴き
その空気感を懐かしんだものだ。


旅や写真は、直接仕事には結びつかなかったが
ミュージシャンの時も出版社勤務の時も、全国を回り
車中からの景色をよく眺めるのが好きだった。


出版社に勤めていた時、社長から冗談まじりに
こんなことを言われたことがある。


「普通は皆、出張から疲れてやつれて帰ってくるのに
 お前は出張に出ると生き生きする。
 お前には、放浪癖があるな。」


そして今、その放浪癖が山村巡りになっている。



先週、山村から戻り、いつもの露天風呂に入りにいく。


いつもより遅い時間だったからか
露天風呂は私だけだった。


お気に入りの岩に身体を横たえて
うとうとと、うたた寝をする。


ふと目を覚ますと、人の気配を感じた。


こんなに遅い時間から入ってくる人もいるんだな、と目を開けると
金のネックレスをした、白髪で短髪の初老の方が入られていた。


目が合うと、「この温泉はいいねぇ」と話しかけてこられた。
それから、その方が行かれた全国の温泉の話をしてくれたり
この地方のことを私が話したり、楽しい時間を過ごす。


話をしていて徐々にわかってきたのは
その方はトラックの運転手さんだということだ。


「俺はよぉ、若い頃から一匹狼でな、トラックで全国回ってきたんだ。
 若い頃は、月に15,000キロ走っていたもんだよ。
 さすがに68歳にもなると、好きな仕事しかしねぇけどな。
 それでも、一昨日から900キロ走ってきたところでな、
 あともうすぐだから、ここの温泉に立ち寄ったんだ。

 
 こうやって全国回って、その土地の温泉に立ち寄って
 そこの人と話をするのが好きでなぁ。


 この歳になると、俺が走ることよりも若い衆に
 今まで俺がしてきたことを伝えることが
 俺のやるべきことだと思っとる。

 
 荷物を積みに工場に行って、大きな元気な声で挨拶する。
 そういうことっていうのはな
 太鼓と一緒でな
 打てば響いて必ず返ってくるんだよ。


 そういう小さなことの積み重ねで、仕事になっていくんだな。」


そんな話を、温泉の話などの合間にしてくださった。
優しい温厚そうな表情と話し方だったが
若い衆の話になると眼光が鋭くなり、厳しさが伝わってきた。



結局、温泉施設の閉館間際まで、二人だけになった露天風呂で話し込む。


久しぶりに優しさと厳しさを持つ、親分肌の人に出会えた。


そして、いろいろな場所を訪ねることが好きなことを再認識したひとときだった。


投稿者 haruki : 2007年11月01日 23:01

炎に魅せられて


先日、近所の方々と芋煮会をした。


芋煮だけでなく、秋刀魚や手作りベーコンを焼いて
昼から夕方まで、世間話などをしながら
ゆったりと過ごす。


幸い、暖かい秋晴れだったので
景色を眺めながらの楽しいひとときだった。


日が沈むと急に寒さが厳しくなったが
そこの家主が、薪を炉に勢いよく焼べてくれた。


炉の近くに座り、燃え盛る炎を眺めると
まるで炎に魂が宿っているように感じた。


ゾロアスター教が、火を拝んだというのは
わかるような気がする。



小学校高学年から旅に出ていたが
一つは、お寺や宿場町、今に残る街道や風景に惹かれて写真を撮っていた。


そしてもう一つは、蒸気機関車に魅せられていた。
電車には興味を持たず、ひたすら蒸気機関車を追って写真を撮った。


電車と違い、蒸気機関車には
何か生命力のようなものを感じていたからだと思う。
少年の頃はそのようなことは考えもしなかったが
今から思えば、火の力強さ、炎に宿る魂に惹かれていたのだろう。


上下の蒸気機関車の写真は
中学1年生の時に山陰本線で撮ったもので
部屋を暗室にして、自分で現像したものだ。


定着液をちゃんと落とさなかったために、セピア色になってしまっているが
この暗室での作業もとても好きだった。


それは写真が好きだったからであるが
それだけではなく、暗室では赤い電球を使うために
空間全体が赤暗くなることも好きだった。


実際の火ではないが、この赤暗い空間にも火の質を感じていたのだろう。



高野山が好きで、今まで十数回行っている。


それも今から思えば、不動明王の炎の質に惹かれていたのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年11月06日 23:13

魂への滋養


今日は、自動車免許の更新のために山から降りる。


遠回りだが、最近見つけた、昔ながらの町並みが残る道を走る。


途中、一本の桜が目に飛び込んできた。
光の加減で紅葉した葉っぱが透けて輝いていた。


瞬時に、その光景に心惹かれたが
運転をしていたので、そのまま通り過ぎる。


心残りはあったが、「帰りに写真を撮ればいいか」
と自分を納得させた。


でも、戻りたい衝動にどうしても駆られ
手続きの受付時間を気にしながらも車をUターンさせて
桜の木に向かった。


車を停めてカメラを取り出し、撮影ポイントを探して走り回る。
残念ながら良い撮影ポイントは見つからない。


時間がなかったので妥協して写真を撮る。


すると数分も経たないうちに、光線の加減が変わってしまった。


自然相手だと、心惹かれる瞬間が「そのタイミング」であることを
あらためて感じさせてくれた出来事だった。



フランスから来たトレーナーの言葉を思い出す。


「食べ物は心身に滋養を与えるが
 感覚を味わうことは魂に滋養を与える。」


まさに、心惹かれる瞬間は「魂からの叫び」だ。


その叫びに耳を傾け、行動を起こすことで
魂に滋養を与えることができるのだ。



無事、更新手続きが終わり、帰路についた。


途中で、何故だかわからないが、どうしても左折をしたくなった。
その衝動に従い、左折して車を走らせる。


ふと左を向くと、そこには夕陽のなかに富士山が浮かび上がっていた。



自然のなかでは、感覚が研ぎすまされ
魂が喜んでいく。


誰もが自然を求めるのは、魂からの叫びなのかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年11月14日 18:47

35年ぶりの再訪


小学校5年生の時に、友人と二人で
初めて日帰りの撮影旅行をした。


今から35年前だ。


まだ、中央線の高尾から先の鈍行列車は
電車ではなく、茶色の客車を機関車が引っ張っていた。


その客車には、両端にドアが付いていて
そのドアを走行中も自由に開けることが出来た。


走行中にドアを開けてタラップを降り
手すりを握って車外に身を乗り出して
風に当たりながら、景色を眺めていたことを鮮明に思い出す。


客車の照明は蛍光灯ではなく、白熱灯だった。
それが室内を暖かく照らしていた。


そんな客車が私は大好きだった。



その日帰り旅行をした場所に
35年ぶりに今日行ってきた。


実際の風景と、自分の記憶との違いを感じて、戸惑いもあったが
岩山がそびえ立つ、見事な渓谷だった。


この場所を35年前に訪れた自分は
何を感じていたのだろう、と思いながら歩く。


確かなことは
自然や伝統に惹かれて旅をするのが
好きだったことだ。


それは、今も変わらない。



小学校4年生は、引っ越したこともあって電車通学だった。


満員電車に45分乗っていた。


時にはランドセルが挟まって
降りたい駅で降りられないこともあったが
電車が走る時のレールの継ぎ目の音に惹かれていて
電車通学は苦にならなかった。


レールの継ぎ目が奏でるリズムが心地よかったのだ。


1年間、通学していたので
「何処にどんな継ぎ目があるか」を知っていて
45分間のレールの継ぎ目の音を
正確に口にすることができるほどだった。


その4年生の時に、電鉄会社のストで学校が休校になり
喜んで、一歳下の従兄弟を連れて
踏切から線路に入り込み、線路を歩いた。


上野毛駅から宮前平駅まで歩いていった。


二子玉川駅から多摩川に架かる鉄橋も
枕木の間から下に流れる多摩川を覗きながら歩いていった。


梶ヶ谷駅からのトンネルもワクワクしながら歩いた記憶がある。


昼に上野毛駅を出たが、再び上野毛駅に戻ってきたのは夕方だった。


今から思えば、逃げ場のない鉄橋を渡っている時に
ストが解除になっていたらどうしたのだろう。


子供は、純粋に惹かれたことを後先考えずにするものだ。


だから、映画「スタンド・バイ・ミー」の冒険はよく分かる。



年齢、それ相応の質があるから
今の年齢だからこそ出来ることもあるが
子供の頃に持っていた無謀な冒険を懐かしくも思う。


投稿者 haruki : 2007年11月15日 22:36

柿の季節


里山にいると、干し柿にするために
軒先に柿が吊るされている光景をよく目にする。


生のままでは食べられない渋柿が
日の光によって、甘い食物になる。


最初にそのようなことを誰が発見したのだろう、と思いを馳せる。


また、柿は食べるだけではなく
古来から日本では柿渋として重宝されてきた。


柿渋は、柿の果実を搾った液を発酵させたものだ。
この柿渋は、おもに防腐剤として
木工品や建築の塗装の下地塗りとして用いられてきた。


現在は、新建材に取って代わられているが
シックハウス症状を起こさない塗料として
見直されている。


柿渋が塗られた柱や梁を見たことがあるが素晴らしかった。


なぜなら、元々の木材の味わいに
より深みを持たせているように見えたから。



聴き間違いでなければ
戦争中、漆喰の土蔵だと空から認識され、爆撃を受けるからと
土蔵に柿渋を塗ったそうだ。


実際に、里山では赤い壁の土蔵によく出合う。


私は戦後生まれではあるが、赤い壁の土蔵の前に立つと
その当時の人々の気持ちに、触れているようだった。


どんな思いでこの壁に柿渋を塗ったのだろう。


古い建物には、歴史が刻まれている。



その赤い壁の前に立った時
先日行った、介護予防教室のことが思い出された。


会場に、一組のご夫婦がいらした。
旦那さんは杖をつき、奥さんが付き添われていた。


様子を見ていると奥さんが
無理矢理、旦那さんを連れてきた感じだった。


教室が始まる前、旦那さんがトイレに行っている間に
奥さんと立ち話をした。


「あの人は中学を出てすぐに軍隊に入り、戦争をくぐり抜けてきた人でね。
 終戦後は、ずっと自衛隊にいたんですよ。
 だから、楽しむことをしてこなかった人なんです。
 それもあって、教室とかで人から指図されるのがとても嫌いでね。


 でもねぇ、心臓を煩っているから少しでも元気になって貰いたいと思って
 本人は嫌がるんですけど、何とか連れてきたんですよ。」


確かに旦那さんは、不機嫌そうな面持ちで椅子に座られた。


介護予防教室を行っている間
私は、その旦那さんのことを気にかけていた。


そこには太鼓を、表情一つ変えずに叩いている姿があった。



最後のシェアリングの時に、その方の表情が
初めて柔らかくなり、このように話をしてくださった。


「私は伊豆で生まれ育ちましたが
 太鼓を叩いている時に
 子供時代に、よく聴いていたお祭りのお囃子が思い出され
 自分がそのお囃子を叩いているようでした。


 楽しい時間でした。
 ありがとうございました。」


無表情だったその人の奥から、笑顔と輝きが現れたことが
何より嬉しくて、心からその方にお伝えした。


「ようこそ、お越しくださいました。
 こちらこそ、ありがとうございました。
 またお待ちしていますね。」


投稿者 haruki : 2007年11月23日 19:01

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