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夕暮れどき


夜になると、窓から冷たい外気が流れ込んでくる。


それは、確実に暑い夏が去り
秋であることを感じさせてくれる。


ひとつの季節が終わるとともに
暑い夏に起きた出来事も、ようやく一段落し
エッセイを書くゆとりが出てきた。



今年の夏は、本当に暑かった。


その暑さとともに、様々なことが立て続けに起き
その時々で対処しながらも、いろんな気持ちを感じてきた。


それでもまだ、自分のなかではすべてが動き続けている。
消化して自分の身となるには、もう少し時間がかかるだろう。


身近に病いがあり、老いがあり、最期の別れがあった。
それにともなって、いろんな人間模様があった。


そこで感じた気持ちは、未だ言葉にならない。



このような魂が震えるような体験は
言葉で理解しようとするより
心に響く音楽を、身体、感情、心、魂に染み込ませることで
自分自身に馴染んでいく感じがあった。


心に響く音楽は、古今東西関係なく
宗教性、精神性に深く根づいたものだった。



また、そのような気持ちを、言葉で表現するのではなく
心に響く音楽を流しながら、気持ちのままにドラムを叩いた。


徐々に思考が静まるとともに、意識が深まっていく。


深みには、静寂のなかに音になる気配があった。


その気配を感じてドラムを叩く。


ドラムの余韻が徐々に消えていき、静寂が訪れるとまた気配を感じる。


その気配から、また叩く。


そのようなことを続けていると
内面にある気持ちが微妙に変容していく。


神の恩寵が訪れる瞬間だった。



音楽とドラムが身近にあったおかげで
その後の日常では、深みを感じながらも
生きる喜びがあり、感謝があり、魂からの表現があり、分かち合いがあった。


やはり、魂、神に近づける音楽は、素晴らしい。


静寂からの音が、天国に届きますように。


投稿者 haruki : 2007年09月13日 00:37

黄金色の風景


今、田圃では、稲穂は頭を垂れ、稲の葉は黄緑色になり
遠くからは、田圃が黄金色に輝いて見える。


自分のエッセイの画像を振り返って観てみると
田圃の画像が多いことに、あらためて気づく。


このエッセイを始めるまで
これほど田圃の画像を撮るとは
予想だにしていなかった。


春、田圃に水が入り、水面に風景が映り風景が深くなっていた。
上の画像は、春先のエッセイ、「氏神様」で載せた画像と
同じ構図で撮影したものだが、同じ風景でも季節が変わると
こうも違う印象を与えてくれる。


森の緑を映していた水面は、今ではまるで黄金色の絨毯のようだ。



その後には、田植えがあった。
腰を屈めて植えられた小さな苗が、少しずつ育っていった。


植えられてすぐの頃は、少し緑色はしているものの
まだ、風景を水面が映し出していた。


そして梅雨の時期に、苗はぐんぐんと成長し
夏になると、青空と積乱雲の下
田圃は深い緑色で、そよ風になびいていた。


そして秋の今、一面の黄金色になり、収穫の時期を向かえている。



このように木で稲架を組んで
刈り取った稲穂を掛けていく天日干しは
まだまだこの地には多い。


コンバインで刈り取って火力で乾燥させる行程に比べると
天日干しは、人の手で行うので
かなり手間暇がかかるらしい。


それでも、天日干しにするのは、味が如実に違うから。



コンバインで刈り取って、火力で急激に乾燥させるのとは違い
自然の太陽の光ものと、徐々に乾燥させていくことで
米が割れにくいそうだ。


そして刈り取られた後も、最後の最後まで
栄養分を米に送っていると聞いたこともある。


ありがたいことに、もうすぐ天日干しの新米が店先に並ぶ。


天日干しを行っている農家の方々に感謝である。



黄金色の田圃の上には
赤とんぼがたくさん飛んでいた。


その光景を見ていたら、「赤とんぼ」を口ずさんでいた。


20代、30代と、唱歌を口ずさむことはなかったが
このように里山の近くに住むようになって
唱歌というものが、里山の風景をいかに美しく表現しているか
よく分かった。


唱歌の表現する日本の美しさが、なるべく多く残されますように。


投稿者 haruki : 2007年09月19日 22:01

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