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雲と影絵


露天風呂に入って、目を閉じない時はいつも
山の稜線に沿って流れる雲を眺めている。


その時々で、雲はいろんな色といろんな姿を見せてくれる。
ある時は龍、またある時は犬や人の笑顔など
雲の創り出す作品は変幻自在だ。


特に夕方、露天風呂に入るのが私のお気に入り。
なぜなら、茜色に染まる雲が目の前に拡がるからだ。


特に今日は言葉を失うほど、雲が立体的に現れて
素晴らしかった。



温泉から出て、車を走らせる。


夕焼けの色がどんどん深まっていった。


運転中、視線を空に向けると、そこには茜色の世界が拡がり
瞬時にして私の心は、その世界に惹きつけられた。


車を路肩に停めて降り、無我夢中にシャッターを押す。


そこには、藤城清治さんの影絵の世界が拡がっていた。



私の世代は、藤城清治さんの影絵に馴染みがある。
私たちは幸運にも、天気予報で毎日のように
藤城清治さんの影絵を観ることができた。


私は、天気予報のためではなく
藤城さんの影絵を観るために
いつもチャンネルを合わせていたことを思い出す。


私が小学校に入学する時
親がお祝いに、小さな電気スタンドを買ってくれた。


そのスタンドには、蛍光灯だけではなく
台座に、豆電球に映し出される影絵が付いていた。


夜、部屋の電気を消した後
私は枕元で、この影絵を観るのがとても好きだった。


毎晩、影絵の世界に入り込み、非日常的な感覚を楽しんだものだ。


子供の頃から、光と影の世界に惹かれる自分がいる。


投稿者 haruki : 2007年07月05日 22:17

年に一度の出会い


先日は、織女とひこ星が出会う七夕だった。


年に一度だけ出会うからこそ
私たちは七夕に特別な想いを持ち、祭る。


森に住むようになってから、私にとっての七夕は特別の意味がある。


それは、七夕の時期になると、家の前にある沢に
源氏蛍が20〜30匹飛ぶからだ。


7時から8時にかけて、窓から外を見ると
緑色の光が音もなく飛んでいる。


暗闇の静けさのなか、沢や森を緑色の蛍が自由に飛び回る光景は
とても神秘的で、毎年感動する。


心の深いところの何かが、震える。


これが一年中飛んでいたなら、これだけ感動するだろうか。



悲しいことに、私たちは当たり前になると
感動もありがたみも、感じられないことが多い。


年に一度だからこそ、私たちは感動し
「今ここ」に居ることができるのだと思う。


野菜にしても、その時期にしか食べられないからこそ
旬の野菜を十分に味わって食べることができる。


私たちは、便利さの恩恵を受けているが
不便であるからこそ、得られる恩恵もある。


それは、新鮮と感じる心、今ここにいる感覚、感謝
そして日本人として「季節の風物詩」を味わう心だ。


私たちは便利さによって、大切な質を失っているかもしれない。


投稿者 haruki : 2007年07月13日 01:38

ご神木の大ケヤキ


今日、地元の友人夫妻に、とても良いエネルギーの神社があるから、と誘われ
彼らの車に付いて行った。


山に向かって走り続け、普通だったら見過ごすような道に入る。
その道は坂道になり、対向車とそれ違えないくらい細くなっていく。


こんなところに神社なんてあるのだろうか、と不安になったが
それ以上に期待に胸が膨らむ。


なぜなら、どんどん私の好きな空間になっていくからだ。


そのうち森に囲まれた、山間の小さな集落に入る。
そこに、緑深い山を背負った、質素な小さい神社があった。


神社の佇まいも素晴らしかったが
何よりも驚いたのは、神社の鳥居の両脇にどっしりと根を下ろした
幹周が優に10メートルは越えるであろう
推定樹齢700〜800年の大ケヤキだ。


このような大ケヤキに結界された神社の聖域は
神道特有の静寂さに包まれていて、居心地が良かった。



写真を撮っていると、寝間着姿のご老人がとぼとぼと
ゆっくりとした足取りで、神社に歩いてきた。


皆で挨拶を交わすと、そのご老人は、神社にお詣りをし
本堂の縁側で少し休んだかと思うと
神社を後にして来た道をゆっくりと戻っていった。


あのような足取りだと、神社まで歩いてくるのは大変だっただろう。
それでもお詣りをするというのは、ご老人の信仰心の現れだと思う。


やはり日常生活の場に、聖域があるのは素晴らしい。


この神社の片隅には、雑草に囲まれた石像が佇んでいた。


お気に入りの聖域がまた一つ増えた幸せな一日だった。


友人夫妻に感謝。




投稿者 haruki : 2007年07月14日 00:13

囲炉裏での団欒


今日もまた、飽きずにとある山村に出かける。


昨日は爽やかな晴天だったのに、今日は曇り。
そのために、残念ながら山並みなど風景は望めなかった。


しかしながら、風景が望めないおかげで
今日は屋内で温かな時間を過ごすことができた。


殆どが傾斜地である山村では、田圃は棚田の形状を取り
そのため米作りは、かなりの労力になり
米の収穫量は、多くはない。


米を主食には出来ないので、この山村では昔から
小麦粉を使ったおやきが主食だったという。



今日は、この山村にあるおやきのお店に行った。
ここは「村おこし」のために起業されたようで
村民が働いていた。


特に60代以上の方が多かった。
聴くところによると、この店を持つ会社では
目標として60歳入社を掲げている。
それは長い間、家でおやきを作り続けてきたお母さん達を
宝物としているから。


お店の奧には囲炉裏があり、囲炉裏脇ではお婆さんがおやきを作っていたが
温かそうな分厚い手によって、包み込まれながら作られていくおやきを見ていると
長年のお婆さんの愛情が篭もっているように思えた。


こうやって長い間、家族のために愛情を込めておやきを作り続けたのだろう。



小麦粉を水で溶いた皮に、いろいろな野菜や小豆で作ったあんを入れて丸め
それを鉄鍋のようなものに置き、ゆっくりと中まで温める。
十分に温まった時点で、火に近づけて焙り焼き、焦げ目をつけていく。
そして、本当はその後に、囲炉裏の灰にまぶして蒸すらしい。


蕎麦茶を飲みながら、出来立ての熱いおやきを囲炉裏脇に座って食べる。
中まで熱くて、美味しい。



囲炉裏を囲んで座っていると
そこには、別のお客さんが来たとしても
自然と会話を交わしそうな雰囲気がある。


囲炉裏の中心には温かな火があり
愛情を込めて作ってくれるお婆さんが側に居る。
そのような空間に身を置くだけで心が和む。


心理学的に滋養というのは、栄養と愛情の両方を意味するが
このように囲炉裏を囲んで食べることは
本当の滋養が得られる感じがした。


囲炉裏を囲む文化が、日本に母性社会を作り出したと言っても
大袈裟でないと思った。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 00:17

浅葱色の渓谷


昨日、山村からの帰り道に
浅葱色の渓谷を通った。


この渓谷を通っていて、中学生の頃
会津にある只見川に惹かれていたことを思い出した。


なぜなら、只見川もこのような浅葱色をしていたから。


昔から思うが、何故、水がこのような色になるのだろう。


自然は不思議な色を醸し出すものだ。



この風景も、東山魁夷画伯の絵の世界だった。


投稿者 haruki : 2007年07月26日 21:19

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