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自然の神々


先週の木曜日、花見には絶好の陽気だったので
毎年この時期に必ず訪れる、近所のお寺に行ってきた。


このお寺はテレビや雑誌でも話題になったせいか
毎年、訪れる人が増えているが
平日のせいか、思ったより人が出ていなかった。


このお寺の良さは
なんといっても、桜と水仙と雪山の構図の素晴らしさである。
自然の美しさのなかに、寺院があると言ってもよい。
また、山岳信仰とは関係のないお寺だと思うが
このようにして眺めると、あたかも雪山を祀っているようにも見える。


実際に、威厳ある神々しい山の姿には、畏敬の念が湧いてくる。



そしてもう一つ、このお寺には素晴らしいものがある。
それは、境内にある一本の桜の樹。


この桜の樹は、樹齢2000年だそうだ。
人間の平均寿命を80歳とすると
この桜は、人間の25倍もの人生を生きている。


同じ場所に2000年もの間、ずっと根付き
存在し続けている桜。


もし、桜に意識があるのなら
どんなものを観て、何を感じてきたのだろうか。


花見の時期が過ぎ、人気がなくなった頃に
桜の樹の前で静かに目を閉じ
こころの耳を澄ましてみたい、と思った。



アニミズムは原始的宗教と言われるが
温暖化が深刻な現代には
アニミズムの良さに目を向ける必要があると痛切に思う。


山尾三省さんの言葉を思い出す。


「土は無限の道場、詩はそこに正座する。」


まさにこの一本の桜の樹は、三省さんの言葉を体現していた。
私にとっては、この桜の樹も雪山も神である。


投稿者 haruki : 2007年04月08日 13:01

桜の木に支えられた思い出


一昨日、まだ観光名所になっていない
地元の人しか知らない桜並木に行ってきた。


ここは、村のはずれにある農道沿いの桜並木で
とてものんびりした空気が流れている。


まさに「スローライフ」という言葉がぴったりの場所だ。


この場所が、旅行雑誌に掲載され
観光バスが行き来し、たくさんの人が押し寄せて
賑やかにならないことを祈ろう。


「ひっそりと佇む美しさが保たれますように。」



なぜ私たち日本人は、これほど桜に惹かれるのだろう。
この答えは、皆それぞれ違うと思う。


私は小学校を二度転校したこともあるだろうが
私にとっての桜は、転校した学校での新学期の始業式のイメージと重なる。


期待と不安とが入り交じった登校初日、校庭にはたくさんの桜が咲いていた。


友達がまだ一人もいない初日、桜の木の下に座って
在校生が校庭で元気にボール遊びをしているのを
羨ましさとともに眺めていたことを思い出す。


そんな心細い私の背中を、満開の桜の木は支えてくれていたのだった。


日本では新学期を4月と決めたのは
その頃の人々が季節のリズム、自然のリズムに調和していた証拠だと思う。


新しいものが生まれるエネルギーに満ち溢れる季節に
新学期を迎えられたことは幸せだった。


桜の木に感謝。


投稿者 haruki : 2007年04月14日 01:32

野生の目


昨夜、家の近くを車で走っていた時
林道の約20メートル前方を大きな物体が二つ、横切っていった。


「大きな物体」に目を移すと
森のなかに二頭の鹿が駆けていくのが見えた。


慌てて車を停めると、鹿も立ち止まった。
二頭とも同時に振り返り、私と目が合う。
一頭には大きな角があった。


1秒ほど見合った後、二頭の鹿は振り返るのをやめ
森の奧に走り去っていった。



私の好きな写真家、星野道夫さんは熊の写真を撮る時
銃も持たずに熊が生息する場所に独りでキャンプをした。
以前、星野道夫さんの本を読んで
確か、このような内容のことが書いてあったと思う。


「熊と同じ空間に身を置くと
 自分のなかにある動物的な感覚が呼び覚まされる。」


私の場合は、安全な車のなかにいて
しかも相手は熊ではなく鹿だ。


それでも一瞬、森のなかの野生の目と出合い
思考がとまり、感覚が研ぎ澄まされ
自分のなかの野生が触発された。


「私も鹿と同じ動物なのだ」と実感した瞬間だった。


昨夜、山には雪が降り冬に戻った。
その雪山がより野生を感じさせてくれた。


投稿者 haruki : 2007年04月19日 22:09

里人の温かさ


最近、地元の人の温かさを感じる機会が増えている。


定期的に通っている病院では、先生、看護士さんをはじめスタッフが
患者さんと心を通わせているのが、その場にいると伝わってくる。


会話のテンポものんびりしていて
方言が入っていることも影響しているのだろう。
会話に入らなくても、その場にいるだけで心が和む。


先週、病院に行く途中、いつものガソリンスタンドに寄ると
店員さんがガソリンを入れた後に、笑みを浮かべて大きな袋を持ってきた。


「今朝、タケノコ採れたから、持ってって。」


大きなタケノコと灰が入っていた。
毎年、このスタンドで貰うタケノコは格別に美味しい。


その日の午後、里山を散歩していると
田圃の近くで、地元の農家の方が何かを摘んでいるのが見えた。


挨拶をして何をしているかを尋ねると
蕗味噌を作るために蕗を採っているのだと。
蕗味噌の作り方から始まり、地元のいろんな話をしてくれ
最後に「今度、家に寄ってくだされ」と、にこやかに挨拶をして去っていった。



翌日、地元の神社で神楽があった。


天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になった時
アメノウズメが滑稽な踊りを岩戸の前で踊ったことが
神楽の起源だそうだ。


その滑稽な踊りに神々は大笑いをし
その笑いに誘われて天照大神が覗き見をしようとしたところを
引っ張り出されて、再び世界に光りが戻ったのだと。


私は神道には詳しくないが
日本の神々は、なんと大らかで生命の輝きに満ちているのだろう。


本殿の奧に地元の知人が見えたので、遠くから会釈をすると手招きされる。
近づいていくと「よう来てくれたな」と声をかけてくれ
「家に飾って」と、神楽で使用する弓矢を手渡してくれた。


連日、里人の温かさに触れ、心が満たされる。



神楽から戻って休んでいると
ドアをトントンと叩く音が聞こえた。
玄関に出ると、地元の好々爺が佇んでいた。


「散歩をしていたが、疲れてしまってのぉ。
 ちょっとそこまで車で送ってくれないかのぉ。」


里人に連日、温かく接して貰ったこともあり
里人に恩返しが出来る気がして快く引き受け、車で送っていく。
車中では世間話をするが、なんとも話すテンポがのんびりしていて心地が良かった。



田舎暮らし関連の書籍や雑誌からは
「集落の人々との付き合いでは苦労する」と脅されてきた。
その脅しのため、里人とはつかず離れずの距離を保ってきたが
もしかしたら必要以上に過敏になっていたのかもしれない。


実際に接してみると、里人は温かい心と懐の深さを持っている。
そして何より、支え合って生きる共同体が里山にはしっかりと残っている。


自然と同様、里人もいろんなことを教えてくれ、与えてくれる。
里山を囲む自然とそこに生きる里人に、私はどんな恩返しができるのだろうか
と思いを馳せた。


投稿者 haruki : 2007年04月22日 12:24

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